17 見えない姿と触れる心
17 見えない姿と触れる心
くそ、どうなっているんだよ
誰かが大声を上げていた。
その聞き覚えのある声に、エルカは思わず声を上げる。
視線を左右に動かすが、自分以外の誰かは見当たらなかった。
しかし、確かに声が聞こえた。
何処からなのかは分からないが、誰なのかは何となく分かった。
ソル?!
……っ
エルカはその名前を呼ぶ。
声の主がどこにいるのかは分からない。
本の向こう側で誰かが息を飲んだ。
声は、この本の向こうから聞こえてきた。
誰かなんて考える必要はないだろう。
それはとても聞き慣れた声なのだから。
エルカは開かれた本に視線を落とす。
本の向こうから声が聞こえてくるなんて有り得ない。
だけど、エルカはそこに声をかけていた。
……ソルだよね
エルカ? おまえ、どうして
やっぱりソルだった。
エルカはソルが苦手だったはず。
それなのに、声を聞いただけで不思議と安心してしまった。
味方だと言ったナイトのことは分からない。
王子とは出会ったばかりだから、やっぱり分からない。
心の奥底では、あの二人を信じ切れずにいたのだ。
会いたかった迷子の片割れとの再会はエルカが待ち望んでいたこと。
それが、一冊の『本』越しでのものであっても嬉しかった。
ソル、私ね………あの男の子が主役の本を見つけたの
マジかよ
うん。でも、その本を開いたら本の中に入っちゃった。今はね……その本の中。ソルはどこにいるの?
開いている本に手を触れる。
そこから放たれている光で文字は見えない。
その代わりにソルの声が聞こえるのだ。
エルカの話を彼が信じるか信じないかは、この際考えない。
自分の身に起きたことを、ソルに伝えていた。
こんなバカみたいな話、誰が聞いても、笑いとばされるか、失笑されるかのどちらかだろう。
だけど、既にソルはエルカと共に不可解な状況に陥っていた。
一緒に祖父の書庫のような場所に迷い込んで、扉を開いて、魔法の図書棺に迷い込んでいる。
それでも怒鳴る可能性はあるので、念のために心の準備はしておいた。
ソルはイライラすると、誰ふり構わずに怒鳴ってしまう。
そういう男の人だった。
目の前にいるわけでもないのに、目をギュッと瞑って警戒する。
だけど、
思っていた以上にソルの声は冷静だった。
そうだったのか。オレはお前が本を開いて……そこまでは覚えている。次に………気が付いたら何処かの個室にいた
え? コレットは一緒じゃないの? どういう場所にいるの?
あの案内人はいないよ。ここは壁しかない。天井も床も、四方を囲む壁も黒だ………ここは扉もない部屋だ。オレ以外誰もいない
コレットが一緒なら安心だと思っていた。
しかし、彼の言葉から察するに、ソルの置かれている状況はあまりよくないのだろう。
扉もない部屋というのは、果たして部屋なのだろうか。
気が短くて怒りっぽいソルが、そんな状況に陥れば、気が狂ってしまうかもしれない。エルカが同じ状況なら、きっとおかしくなる。
だ、大丈夫なの?
オレの心配の前に自分の心配をしろって
え?
そっちも、十分におかしな状況に思えるぞ
そ、そうだね……本の中にいるのも変だよね
状況だけ見れば、エルカもソルも閉じ込められているようだった。
エルカの側には王子もいるしナイトもいる。
味方かどうか分からない彼らだけど、一人じゃないだけ良い。
だけど、ソルはひとりぼっちで不安なはず。
一人は、寂しくない?
慣れてるよ……そっちは?
こっちにも図書室があるから、寂しくない
……相変わらずだな
(不思議ね、ソルの声が優しい)
いつもはあんなに意地悪なのに調子が狂う。
いつもと同じような口調なのに、顔が見えないだけでこんなに違うものだろうか。
面と向かって話すから恥ずかしいし、不安だったのかもしれない。
だけど、見えないことも不安になる。
本当に自分は相手と会話しているのかと、疑ってしまう。
胸にモヤモヤとした不安を抱きながら、エルカはソルとの会話を続けた。
それに、こうしてソルとお話できたから……ソルの無事が知れて安心したよ
それは、オレもだよ。実はさ………お前とこうして話しているみたいに、コレットとも一度だけ話をしていたんだよ
そうだったんだ。コレットは何て言っていたの?
物語が完結されないと、オレは部屋から出られないって話だ……ハハハ
彼の乾いた笑いが聞こえてくる。
ソルの置かれている状況はかなり良くないと思えた。
物語……それはエルカが今いる世界のことだろう。
…………
これは罰だな。オレが………罪を犯したから
諦めないで! 私がどうにかするから!
エルカは怒鳴っていた。
目の前にソルがいないからだろうか、どこまででも強気になれる気がする。
今のソルがどんな顔をしているのか、わからない。
合流したら、怒られるかもしれない。
だけど、エルカは叫ばずにはいられなかった。
どうにかって……
ソル………諦めようとしてない?
……っ
物語を完結させないと、私も元の場所に戻れないの
………
ソルが深くため息をつく。
呆れているのか、怒っているのか、わからない。
わからないけど、返事がないからエルカは続けた。
だから帰る為に協力して欲しいの。私の為に諦めないで、私もソルの為に諦めないから
え? お前、帰りたいのかよ
え?
不思議そうなソルの声にエルカは首を傾げた。
自分の住んでいた世界に帰りたいのは当然のはず。
当然のはずなのに、何かが引っかかる。
……い、いや……何でもない
とにかく、帰るためにも頑張って! 諦めないで
ソルは一瞬だけ何かを言い淀んだような気がする。
何かを隠していることは明白だった。
それについても外に出てから問い詰めようとエルカは思った。
こんなメルヘンな世界からは早く出て行きたいのだ。
…………顔が見えないからって、いい気になるなよ
本の向こうから零れたのは、いつもの冷たい言葉だった。
だけど、声色が暖かかった。