19 兄妹の思い出2
19 兄妹の思い出2
そ、それで……ケンカの原因は?
おやつを一緒に食べようって思ってさ
お、おやつ?
兄は小首を傾げるエルカの目の前に、皿を差し出してみせる。
エルカは、反射的にそれを受け取り目を瞬かせた。
そうだ………試しにお前がコレを持って行ってやれよ
え?
渡された皿の上にはプルンとした黄色いプリンがのせられている。
バニラオイルの甘い香りに、幼い少女は笑みを浮かべた。
美味しそう
美味しいぞ。おれが作ったんだからな!
お爺様じゃなくて、兄さんが?
ああ
…………
エルカは少しだけ不安になった。
いつも兄は祖父と共に料理をしてくれていた。
祖父の作る料理が絶品であることは、エルカも知っている。
その祖父から指導を受けている兄だって、負けていない腕の持ち主だ。それも理解している。
大丈夫、爺さんのと同じぐらいに美味いからさ
毒……とか入ってないよね
仕返しに毒入りプリンでも食べさせるつもりだろうか。この兄はエルカには甘い。
ソルにはエルカに向けるのと同じ笑顔を向けて、鳩尾にとっておきの一撃を食らわせるような男だ。
だから、毒の一滴は盛るような気がした。
そんな不安が脳裏をよぎった。
当たり前だろ。兄妹になるためのプリンにそんなもの入れるかよ
そうだね…………でも、これをソルに届けるのは怖いな
先ほど、兄はこれを新しい兄に届けて来いと言った気がする。
表情が暗くなった妹の髪を兄の手が優しく撫でる。
さすがに女の子のことは傷つけないだろ
で、でも
あんなに怒って出て行ったのだ。
本人にその気がなくても、勢い余ってということもあるだろう。
そんな状態の彼の所に行くのは恐怖しかない。
何かあったら、おれが仕返しするから
また、ケンカするの?
何もなければ、ケンカにはならない
でも、怖いよ
怖がったらダメだ、あいつとも兄妹になるんだからさ。あの人はおれたちの母親ではないけど、ソルはおれたちの兄弟だ
エルカの視線はプリンに向けられる。
目の前の兄は、彼と兄弟になる為にこのプリンを作ったのだ。
ならば、エルカが彼と兄妹になる為にやることは……
わかった……がんばる
頷くと、兄も満足したように頷いた。
彼の姿は食堂で見つけることが出来た。
水を一気飲みして、どうにか腹を満たそうとしている。
空腹なのだろう。腹の音がおさまらない。
廊下まで聞こえてくる。
彼は意地を張って食事を取らないことが多い。
今朝だって、食べた痕跡はなかった。
お腹の虫は正直で、グーグーとその音を鳴らし続けている。
エルカはプリンを落とさないように、ゆっくりと彼に近づいた。
現れた妹に鋭い視線で睨む。
エルカは、ここまで来て泣きたくなった。
引き返した方が良いと思ったが、彼の視線が別の物に向けられていることに気付いた。
怖い視線の先にはプリン。
プルプルと揺れるそれを、ジーッと見ていた。
なに? これ
えっと……プリンだよ。食べ物、美味しいの
た、食べ物なのか? プルプルしてるぞ
うん、甘い食べ物………プルプルしてるから、口の中にプルっと入ってく。このスプーンですくって食べるの
何とか説明すると、彼は皿をおそるおそる取った。
エルカはドキドキしながら皿が離れるのを見守っていた。
もしかすると、その皿を投げつけられるかもしれない。
だから、ジーーッと彼の手元から目を離さない。
彼はスプーンですくい、それを口に頬張る。
鋭い目が、大きく見開いた。
んん
(……あ、殴られる?)
殴られるのかと、構えた時……
……うまい
彼の感嘆の言葉がポロリと零れ落ちた。
え?
よく、聞き取れなかった。
エルカは目をパチクリさせながらソルを見上げる。
何だ……これ、美味しいな
彼は目を輝かせて微笑みを浮かべた。
笑顔がキラキラしていて、エルカまで笑みが零れてしまった。
◇
目の前に浮かび上がるのは笑いあう子供たちの姿。
エルカはその光景を見ていることしか出来ない。
これは、過去にあった出来事でエルカは手を出すことが出来ない光景。
幼い自分とソルが初めて笑い合った、あの日の記憶だった。
無理だと思いつつも手を伸ばす。その手は何にも触れなかった。
目を瞬かせるエルカの視界に映るのは、一冊の本が置かれたテーブル。ここは、プリン王子の城にある図書室の、更に奥にあった隠し部屋だ。
(これが、過去の記憶の本ってことなのかな?)
少し、違うわよ
(……なに、幻聴?)
違うわ、私はここにいる。見えないけれどここにいるの。私は図書棺の魔女よ。貴女の心に語り掛けているのよ
(魔女……コレットとは違うのね)
ええ、彼女とは異なる存在よ。さて、貴女が見たものは確かに過去の本だわ。だけど少し違う
貴方たち二人は同じ記憶を共有しているわよね。これはその同じ記憶について書かれている本。同じ本だけど、同じ本ではない。この本は、二人が同時に見ようとしなければ見えないわ
(この先が見えないのはどうして?)
どちらかが見ようとしていないか……もしくは、貴女の記憶がまだ曖昧すぎるからね
(それじゃあ、いずれは見えてくるのね)
(貴女は……)
ただのお節介な魔女よ……私はこの言葉を貴女に伝えたくて来たの。貴女は自分が一人ではないことを忘れてはダメ……これを忘れないで
(え……待って)
大丈夫よ、貴女には味方がいるわ
それっきり、彼女の声は聞こえなかった。
エルカは胸に手を当てながら目を閉ざして、彼女が最後に告げた言葉を脳内で反芻させる。
(私には味方がいる……)
……っっ
その時、本の向こう側でソルが息を飲んだ。
魔女との会話は心に語り掛けていたから彼には聞こえていない。
過去を語っていた彼にもこの映像が見えたのだ。
二人の記憶だから、この過去はエルカとソルに同時に見せられる。彼が語らなければエルカは思い出すことが出来なかった。
………わかったよ。ありがとう
良いのか? これだけで
うん
悪いけど、この先はオレも思い出せない
今は、これで十分だよ。それにしても子供って単純だよね。プリンで簡単に釣れるのだから
全くだな………そうだ、オレと話したことは誰にも言うなよ
どうして?
混乱の種になるからだ
ソルの言っている意味がエルカにはわからなかった。
だけど意味はわからなくても良かった。
ソルがエルカの為に言っていることだけは、理解できるから。
エルカはソルの言葉を信じている。
だから、『誰にも言うな』と言うのなら、誰にも言わない。
ソルはエルカにとって、怖いし、苦手な人だけれど、悪い人ではない。
ソル……
敵か味方かと、問われれば彼は味方。
だから、こうして話をするだけで安心できるのだ。
今は、姿も見えない、手も届かない、声だけが届く。
ここにはエルカを睨む鋭い視線も、たまにパンと壁を叩いてくる傷だらけの手もない。だから、少しだけ強気になれた。
な、なんだよ
………絶対に助けるからね
おいおい……閉じ込められているのは、お前も一緒だろ
そうだったね
本の向こうでため息が聞こえてくる。
どんな表情を浮かべているのだろう。
少しだけ、興味が湧いた。
用があるときは本を開いて鈴を鳴らしてくれ。気付けたら、気付くから
鈴?
言われて視線を動かす、机の上には赤い鈴が置かれていた。
ソルは寂しいの?
退屈だ
わかった。それじゃあ、また……話しに来るからね
……気が向いたらで良いよ。お前は、その物語を導くんだ……じゃあな
うん
エルカは本を閉じて目を閉じた。
名残は惜しいが、今やるべきことをやらなければならない。