16 図書室の秘密
16 図書室の秘密
城に案内されたエルカは、王子の後ろをてくてくと歩いていた。
彼は速足で歩くので、エルカは追いつくのに必死だった。
ナイトは先に厨房に案内されているので、今は別行動を取っている。
王子は余程、ナイトが苦手だったのだろうか。
ナイトと別れて以降は、上機嫌にスキップまで踏んでいた。
彼がピョンピョンと飛び跳ねる足元に、敷かれた赤い絨毯。
それには埃ひとつ付いていない。
磨かれた窓ガラスの向こうには、美しいバラの園が広がっている。
廊下に飾られている花瓶には、赤や紫のバラの花々。
庭にあるものと同じものなのだろう。
エルカ、図書室に着きましたよ
王子の声にハッとして顔を上げると、目の前には大きな扉がひとつ。
木製の素朴なデザインの扉だった。
その大きな扉を、王子は顔を真っ赤に染めて、歯を食いしばって押し開く。
先ほど、役立たずと言われたことを気にしていたのだろう。
手伝うと申し出たエルカの言葉は却下された。
ゼェゼェ……こ、ここが、ボクのお城の図書室です。何か手伝いま……
案内してくれてありがとう。一人の方が集中できるから、あとは大丈夫
息切れをしながら微笑む王子の申し出を、エルカはやんわりと断る。
彼に告げた通りに、一人の方が集中できるのだ。
ナイトが途中で離れてくれたことにも感謝していた。
わかりました……何かあったら呼んでください
うん
何でも頼ってくださいね
わかった
それでは……
少し残念そうに眉を下げた王子が微笑む。
肩を落とし寂しそうな背中が、図書室から出て行くのを見送った。
トボトボとした哀愁漂う背中を見ていると、少しだけ胸が痛んだ。
そして、開かれたままの扉を閉める。
確かに重い扉だけれど、あそこまで歯を食いしばる必要はない重さだった。
本当に軟弱な王子なのだと思った。だけどそれを想像したのは自分なので、複雑な心境に陥ってしまう。
完全に閉まったことを確認してから、エルカは振り返る。
図書室の規模は祖父の書庫と同じぐらいの規模だろうか。
目に入る本棚には、びっしりと本が並べられている。
さてと……
エルカはスタスタと控えめな足音を立てて本棚に近付く。
孤独なことは不安だった。
だけど、孤独になることで集中力が高まる。
エルカは集中力を高めていた。
自分と目の前の本棚以外から、意識を閉ざす。
そうすることで、余計な騒音が入ってこない。
静寂の中で、エルカは視線を動かした。
並べられた本の中から適当に一冊を手に取り、パラパラとめくる。
書かれている文字が、知っている文字だったので安堵した。
本があっても、読めなければここでやることは何もないのだから。
そして、いつものように文字を追いかける。
……あれ?
だけど、いつもと違う。
手にした本を、パタンと閉じて本棚に閉まった。
別の本を開いて、同じようにパタンと閉じる。
ここにはエルカを楽しませてくれる物語がないように思えた。
読みたいという欲求が一切湧いてこない。
最初は、気持ちが高揚していたのに。
あんなに読みたいと思っていたのに。
王子の物語を進めるという、目的を放棄してでも読んでしまいそうだったのに。
こんなことは始めてだった。
今は、どれも読みたいとは思えない。
読む気力が起きない。
読書が精神安定剤だったのに、本を開くたびに心が乱れていく気がした。
本の虫だった自分がこんなことになるなんて、思ってもみなかった。
エルカは自分の心が信じられなかった。
今は本を読みたくない。
それでも、読まなければ何もわからない。
手に取った本を再び開く。
(駄目、何もわからない)
読んでいた本を閉じて、本棚に押し込む。
(他のところを、探そう)
立ち上がって、まだ見ていない本棚に移動した。
タイトルを見るだけでも楽しかった。タイトルだけで選んだ本だってあったのだ。それなのに、どれも読みたいとは思えない。
どうして……
何で………
焦る気持ちばかり強くなる。
とにかく図書室の中を、本棚の前を歩き回った。
そして、ふと足を止めた。
無意識にその本棚に近付く。
そこは古い本がギッシリと詰まった本棚だった。
背表紙もかなり古いものと見受けられる。
取り出したらその瞬間に崩れてしまうような気がして、その本には手を触れないことにした。
“そこ”じゃない。
誰かの声が聞こえた。
誰だろうか。声が聞こえた方向に、視線を動かす。
何かに引き寄せられるかのように足が動いた。
(何だろ……これ)
そこに、違和感が置かれていた。
本棚と本棚の間。
その隙間にテーブルがはまっていた。
何の変哲もない、ただのテーブルだ。
木製の正方形のテーブルは、新品らしく傷ひとつ見当たらなかった。
綺麗に並んだ本棚の中で、そこだけがテーブル。
エルカは無意識に、そのテーブルを移動させていた。
重いものではない。
軽く手前に引っ張るとテーブルが動いた
思っていたより、このテーブルは軽いらしい。
他人の家の物を勝手に動かすなんて怒られるだろう。
だけど、そうすることが正しいと思ったエルカの手は止まらない。
(あった)
思わず笑みが零れる。
テーブルの在った場所、そこからテーブルを動かさなければ分からなかった。
そこの壁だけ他とは色が違う。
違うのは色だけではない。
正方形の模様がある壁だった。
他の壁にはないのに、そこにだけ正方形の黒い模様が浮き上がっている。
まるで、
押 し て く れ
と言っているかのようだ。
(押しても……良いよね)
以前読んだ本では、それは隠し扉の鍵だった気がする。
スイッチを押して、別の場所で扉が開くのだ。
エルカの手がそれを、軽く押す。
ギギギという音を立てて自動的に壁が動いた。
(よし)
現れたのは、人間一人が入れるような大きさの穴だった。
その入口は暗くて、その先は何も見えない。
エルカの小柄な体系ならば、簡単に入れるだろう。
視線で周囲を確認。
王子もナイトもここにはいない。
誰もいない。
ここには、エルカしかいなかった。
失礼します
誰にともなく挨拶をして、エルカはその入口を潜った。
薄暗い穴を這って進むと、隣の部屋に辿り着く。
中は閑散としていた。
本棚の並ぶ隣の図書室とは異なり、何もない殺風景な部屋だった。
棚らしいものはない。
あるのは壁。
石の壁で囲まれた部屋にあるのは、テーブルがひとつ。
そして、その上には意味深に開かれた本が一冊。
(……読みなさい……ってことかな……)
エルカは無意識にその本を手に取っていた。
(うーん………開くのは危険だよね……)
この世界に強制的に飛ばされたときのことを考える。
迂闊に開いてはいけない。
心が躊躇してしまう。
しかし、その手は自然に動いていた。
パラパラとページをめくっていたのだ。
(え? 私……どうして、ページをめくったの)
エルカは自分の行動が理解できずに立ち尽くす。
開いた本から、光が放たれた。
暖かい光が、エルカの視界を優しく覆い隠す。
その向こうから、微かに聞こえる誰かの息遣い。
その小さな音に、とても懐かしい気配を感じていた。