11 物語のハジマリ

 まるで絵の具を広げたような、鮮やかな青の空が広がっていた。
 青空に浮かぶのは白い雲。





 足元には眩しい萌黄色の草。


 そして、白や赤や黄色に彩られた小さな花が咲き乱れる花畑が広がる。

エルカ

………

 頬を撫でる優しい風からは、爽やかな花の香りがする。
 見たことのない花々には、丸い目と三日月の形の口があるように見える。

 そんな、夢と幻想に溢れたような、汚れのない世界が広がっていた。

エルカ

どういうこ……と?

 エルカは視界に映る色鮮やかな風景を一通り見てから考える。

 ここは不快感のない心地の良い場所。
 だから、不気味だった。

 エルカは『魔法の図書棺』と呼ばれる場所の、本棚の前にいたはず。

 それがどうして、いつの間にこんな場所に来てしまったのだろうか。

 初めに目覚めたときと違い、自分が確かに本棚の前にいたという記憶はある。
 

エルカ

こ、これは………夢だよね。夢なら覚める

 夢なら覚めて欲しいと願い、エルカは目をギュッと閉ざした。

 全てが夢なのだ。

 魔法の図書棺なんて場所も夢だ。

 いつも怖い義兄が優しいのも夢で構わない。

 早く祖父の地下書庫に戻って読みかけの本が読みたかった。

 どんな本なのかは覚えていないけれど、読みかけの本があったはずだから。


 そんなことを考えながら 閉ざされた瞼を、ゆっくり開く。

エルカ

ほら、夢………

 しかし、目を閉ざす前と変わらない光景が飛び込んできた。

エルカ

……………これは、どういうこと?

 問いかけに答えるものはいるはずがなかった。

 風で草花が擦れ合う音ばかりで、誰もいなかった。鳥の声は聞こえるのに、その姿は見えない。

エルカ

誰も……いない、よね

 不安と後悔が押し寄せる。

 孤独を紛らわすように、エルカは自問自答を繰り返す。それは、声で問いかけて、頭で考える作業。

 本を開いたことは覚えていた。

 自分の手には本があったはず。今はどこにも見当たらないが。手にはまだ固い本の感触が残っていた。

 本を開いた結果、ここにいることに間違いはないのだろう。
 だったら、どうして一人なのだろうか。

エルカ

もしかすると、私が一人で本を開いたから、一人で来ちゃったのかも……ソル……大丈夫かな

 すぐ側にいたはずの彼がここに居ないことが気がかりだった。
 
 一緒に本を開いたわけではなかった。
 だから、彼はここにいないのかもしれない。

エルカ

コレットは本が見つかれば扉は開くと言っていた……じゃあ、本を開いたことは間違いだったのかな?

いや、間違いではないぞ

エルカ

これから、どうすれば良いのかな

そうだな、まずは物語の主人公を探さないといけないよ

エルカ

……え?

………

 エルカの問いに答えた声があったので、顔を上げる。ここには自分以外誰もいなかったはずだ。
 誰かが近づいたという気配も足音も聞こえていない。
 だけど、確かに彼はそこに居た。

 こげ茶色の髪と瞳を持つ若者だ。パッと見た目は、旅人、戦士、そんな単語が当てはまるような人だった。
 エルカは、訝しげに青年を見上げる。

 逆光でよく見えない彼の口元には穏やかな笑みが浮かぶ。
 

エルカ

…………貴方、だれ?

……ナイトだよ。もしかして、俺を知らない?

エルカ

………………ごめんなさい

…………

 首を横に振って答えると、彼は少しだけ悲しそうに眉を下げた。
 
 その表情に胸の痛みを感じた。
 どこかで会ったことがあるような気がする。

 だけど、エルカは思い出せない。
 思い出そうとすると、何かに阻まれて何も見えなくなる。
 こめかみ抑えて顔をしかめるエルカに、ナイトと名乗った彼は穏やかな笑みを向ける。

ナイト

無理して思い出す必要はないよ。大丈夫だ、怪しい者じゃないよ。君の味方だ

エルカ

……うん

ナイト

魔法の図書棺に居たってことは覚えているかい?

エルカ

うん……一応は……誰かの人生や、誰かが空想した物語が本となって保管されている場所だよね

ナイト

正解……

ナイト

じゃあ、図書棺の書物についての説明は聞いているよね?

エルカ

……誰かの記憶や思い出の本と、誰かが空想した本、それ以外にも現実に存在する本があって。食事は料理の本を開いて召喚する……だよね?

ナイト

ああ、その通りだな………………実在する本以外は、それの【持ち主】が許可を得なければ開くことはできない

エルカ

持ち主?

ナイト

……まずは、そこの説明が必要みたいだな。【持ち主】とは【空想の物語】の場合はそれを想像した人物。【過去の物語】であれば、その過去を過ごした人物のことだ

エルカ

私が想像したり、私の過去の本なら、私が【持ち主】ってことかな?

ナイト

そうだね………『【持ち主】である君が読んでも良いと思った人』にしか、君の本は読むことができない。それじゃあ、【持ち主】が自分の本を開いたら……どうなる?

エルカ

え?

 ふいに、空気が変わった。

 ナイトの表情がスーッと真剣なものに変わる。
 先ほどまで晴れていた空が、急激に曇る。
 気温も下がったような気がする、冷たい空気が頬に触れた。

 【持ち主】本人ならば許可を得なくとも、本を開くことが出来るだろう。
 だけど、それだけではないような気がして、エルカの表情も次第に引き締まっていた。
 
 ナイトの次の言葉を固唾を飲んで待つ。
 彼は勿体ぶるように間を置いてから、言葉を続けた。

ナイト

………本の【持ち主】が本を開いた場合……【持ち主】は………問答無用に本の中に取り込まれてしまう。

ナイト

時には本の方が【持ち主】に本を開かせることもある。【持ち主】は無意識に本を開いてしまう……それだけでも厄介だが、それだけじゃない

エルカ

それって……?

ナイト

本の世界に取り込まれた【持ち主】は、その物語を最後まで見届けなければならないんだよ。結末を見届けるまでは、その世界から抜け出せないんだよ

 エルカは、ここに来る直前のことを思い出していた。

 ソルと一緒に、あのカボチャパンツの少年が主人公の本を探し歩いていた。

 タイトルもジャンルも分からない本。

 そんなものは簡単に見つかるわけもない。
 ひたすら本棚に並べられた本を眺めていると、何かに引き寄せられるように、一冊の本を手にした。

 それは絵本だったと思う。

 あのとき、エルカは絵本を開いていた……
 
 手が勝手にページを捲っていた。
 そうして、ここに……

エルカ

………っ

 直前の光景が脳裏によぎる。

 キーーンと頭の中で甲高い音が響いた。
 本を開いて、辺りが白く染まって、そして、

ナイト

君は突然、ここに来たのだろ?

 ナイトはエルカの目を見据える。

 まだエルカは何も言っていないのに、彼は全てをお見通しだと言わんばかりの視線をエルカに向けた。

エルカ

……うん……本を開いたら、ここにいたの

ナイト

それは………君は本の【持ち主】ってことだ。ここは君の世界。だから、君は、君に確認するまでもなく本の世界に取り込まれた

エルカ

……え?

ナイト

図書棺の本、【持ち主】のいる本は文字ではなく、その世界に入って、持ち主の物語を見せる

エルカ

じゃあ、ここは?

ナイト

そして、おそらく、ここは【空想の世界】だ。現実には有り得ない絵のような世界だろ

 ナイトの声は優しかったが、エルカは軽い眩暈を感じてうずくまる。

ナイト

ところで君の名前は?

エルカ

エルカよ。ねぇ、ナイト……教えて欲しいのこの世界のことを

第1幕ー11 物語のハジマリ

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