12 通りすがりの騎士

 ナイトから与えられた情報を頭の中でまとめる。

 ここは幼い自分が考えていた世界……かもしれないということに辿り着くと、エルカは眉根を寄せて口をへの字にする。

 視界の端で、花がクスクスと笑っているのが見えた。
 それが、『そうよ、ここは現実ではないのよ』とエルカを嘲笑するような笑いに見えてしまう。

 エルカの住んでいた街には笑う花なんて存在しなかった。

エルカ

……子供の頃の私って、どうしてこんな変な世界を

ナイト

おかしなことじゃないだろ? おとぎ話の世界はこんな感じだから……

エルカ

……そうだね、今の私じゃ想像できないもの。こんな、あたたかい世界なんて

ナイト

……いいかい? 実際に過ぎ去った過去は書き換えることが出来ない。だから君が何もしなくても物語は進行するんだ

エルカ

わかっている。過去は、もう終わった話だもの

ナイト

そうだね、嫌なことも辛いことも、そのままに変えることは出来ないんだ。ただ見るだけ、見せられるだけで、物語が流れていく。その場にいるのに、触れることが出来ない……良い記憶なら良いだろうけど、辛い記憶ならば……

エルカ

……それは嫌だね

ナイト

見たくない過去を見せられることもあるからな……そのときは覚悟しておけよ

エルカ

でも、この世界は私の過去ではない

エルカ

ここは私の【空想の物語】……この場合、私はどうすれば良いの?

 ナイトが話しているのは過去の物語だった。

 しかし、エルカが立っているのは、幼いエルカが空想した物語の世界。

 幼い頃に物語を空想して、本という形にした。

 その中にいる。

 記憶のないエルカには、全く身に覚えがなかった。

 しかし、強制的に本の中に入ってしまった理由は、エルカが物語の【持ち主】であること。

 そして、おとぎ話風の風景から【空想の物語】であると判断できた。

 ナイトの表情は更に真剣なものに変わる。

ナイト

空想された世界は厄介だよ。自然に物語は動かない

エルカ

動かないの?

ナイト

ああ、なるべく君が描いた物語通りに、登場人物を結末に導くことが必要だ。君の手でね

エルカ

え、私が、導く……って?

ナイト

オーケストラの指揮者のように君がタクトを振り人物を導くんだ。そうすれば、主人公たちは動き出す。君はそれを眺めながらタクトを振り続ける

ナイト

まずは主人公に会って話をして、そしてその人物を動かそうか。君が指揮するのは主人公だけで大丈夫だ、周りは主人公に合わせて動き出すのだから

エルカ

でも……覚えていないんだよ。私は、この物語を

 幼い少女の、覚えていない物語を完結に導く。

 それは雲を掴むような話だった。

 エルカはこの物語を空想したことを一切覚えていないのだから。

 覚えていないのは、これだけではない。
 過去の殆どを思い出せない。

 図書棺の中にいたときは覚えていたことも、多分覚えていない。
 今も少しずつ、何かが欠け落ちているような気がする。




 パリン、パリン、何かが割れる音が聞こえる。

 ナイトの柔らかい声が遠くに聞こえた。

ナイト

完全に同じものでなくても良いよ。大袈裟に変わらなければ、少しぐらい、別の結末でも大丈夫だから

エルカ

……でも、私には心当たりがないの

 背中に何かがにじり寄る。

 ペタ、ペタ、という足音が迫ってくる。

 この名前をエルカは知っていた。

 恐怖だった。

 結末を迎えなければ、永遠にこの世界で一人で生きなければならない。

 目の前の風景が灰色に染まる。
 そして、目に映る景色がグルグルと回り始めた。

 孤独で生きる……それでも構わない。
 独りは慣れているはずだから。
 慣れているし、喜んで受け入れる状況だ。

 だけど、それは、いけないことのような気がした。
 どうしてそう思うのか、エルカにはわからなかった。

ナイト

……大丈夫だ

エルカ

え?

 ふいに、頭にポンと手が乗せられる。

 それだけで、緊迫していた空気が和らいだ。

 灰色だった景色が暗転すると、先ほどと同じ鮮やかな色彩の景色が広がる。

 目を見開くと、ナイトの目と視線と交わった。

 離れていたはずなのに、いつの間にか目の前にナイトがいた。
 身長が高い彼は見上げなければ顔が見えない。
 だから、彼は少しかがみこんで視線を合わせると微笑する。

 先ほどの眩暈のような感覚は、もう何処かに消えている。

ナイト

大丈夫、大丈夫。怖がらせるようなこと言って悪かったな。気を張る必要はない

エルカ

でも……

ナイト

不安にさせてごめん……俺も手伝うから

 ナイトがそう言って頭を撫でまわした。

 少し乱暴で痛いけど、この手のぬくもりに安心感を抱いてしまった。

 エルカは目を閉じて、静かに呼吸を整える。

エルカ

………

ナイト

時間はあるんだからさ

エルカ

ありがとう、落ちついたよ。だから、頭撫でるのやめてほしい

ナイト

良かった。それで、エルカの物語の主人公だけど、どんな奴なのかは知っているのか?

エルカ

うん! でも……どんな物語なのかは思い出せないの。昔の私の気持ちも……

ナイト

そうだな。今のエルカは小さな女の子じゃないからな

エルカ

そうだよ、十四歳のつまらない女の子だよ

 思い出せない。

 思い出せないと思うと、モヤモヤする。
 眉間に皺を寄せて、考えるエルカにナイトは微苦笑を浮かべる。

ナイト

そんなに深く考える必要はない。まずは主人公が必要なのだから。主人公がいないと……物語は始めることもできない

エルカ

主人公か……

 自分の本を探せと言ったあの主人公はどこにいるのだろう。
 エルカは顔を上げて、視線を彷徨わせながら彼を探す。



 その時、バタバタと乱暴な足音が遠くから聞こえてきた。
 その足音は、どんどん大きくなってくる。
 エルカとナイトは同時に振り返って、激しい足音の正体を確認する。
 草原の向こうからカボチャパンツ姿の男が現れると、ナイトが黒目を丸くさせた。

……

ナイト

ほう、派手な格好だな。カボチャパンツか

エルカ

や、やっぱり……カボチャパンツは気になるよね?

ナイト

気にするなという方が難しいだろうな……ここが空想の世界だからだろうな……絵本に出てくる王子様のような奴がいるのも

エルカ

考えたくないけれど、あの人も私の空想した存在なんだよね

ナイト

そういうことだろうな

 今、エルカたちはお互いにしか聞こえない程度の小声で話している。

 カボチャパンツというキーワードは、少年には禁句なのだ。図書棺で暴れたことを思い出し。エルカは声のトーンを下げていた。

 エルカに合わせてナイトも声を下げる。

何奴ですか、貴方は? 魔王ですか? 魔王ですね! このぉぉ


 カボチャパンツの少年はナイトに向けて人差し指を突きつけて叫ぶ。

 少年はナイトに何かを言わせる隙を与えなかった。
 ナイトは何かを少年に告げるつもりがなかった。

 飛びかかる少年の一撃。
 それをナイトはヒラリと避ける。

 これはエルカの目でも終えるスピードだったので、ナイトが凄いことをしたわけではない。その証拠に避けたナイトの方が、目を丸くして驚いていた。

ぉぉぉぉぉぉ

ナイト

おっと、あぶな……

うわぁぁぁぁ

ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

 少年は飛びかかった勢いを、自分で止めることはできなかったらしい。

 猪突猛進の勢いで、花畑の中にダイビングする。
 ナイトは何もしていない、ただ避けただけ。



 ボスッという音と共に、花びらがヒラヒラと舞い上がる。
 頭から突っ込んだ少年の足だけが、花畑から突き出ていた。

 その足がピクピクと動いているので、生きてはいるのだろう。
 その突き出たままの足に向けて、ナイトが苦笑交じりに自己紹介をする。

ナイト

はじめまして……俺はナイト。ただの通りすがりの旅人だ

……と、通りすがりですって? ボクの攻撃を通りすがりの旅人ごときが避けられるとは……やりますね

 ゼェゼェ言いながら少年は花畑から抜け出す。

 それを、エルカは冷めた目で見ていた。

 今の攻撃ならエルカにでも避けられた気がしたが、黙って見守ることにした。

第1幕ー12 通りすがりの騎士

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