09 図書棺の過ごし方
09 図書棺の過ごし方
広間に戻るエルカたちを、コレットが微笑を浮かべて迎えてくれた。
その表情に安心感を抱きながら、エルカも微笑する。
見た目は小さな女の子なのに、彼女は包容力のある空気を漂わせていた。
だから自然と、この言葉が出てきたのかもしれない。
ただいま
おかえりなさい
そんな当たり前の挨拶を交わすだけで、エルカは胸の奥が熱くなるのを感じていた。
引き篭もりのエルカは、兄以外と言葉を交わすことが殆どなかった。
兄との挨拶も朝と夜に食事を運んでもらったときぐらい。
こんな風に自然に言葉に出せたのは、とても久しぶりだった。
歩き疲れたでしょ? 二人も座って、紅茶でも飲みましょうか
コレットに促されて、エルカはコレットの隣に、ソルは正面に腰を下ろした。
エルカの視線はテーブルの上にある、白いティーポットに向けられている。先ほどからフワフワと爽やかな香りが漂っている。
コレットが指をパチンと鳴らすと、テーブルの上に二つのティーカップが現れた。
先ほどまでは、コレットが使用していたティーカップとポットしかなかったはず。
エルカの視線に気が付いたコレットが説明を始める。
これは魔法よ
魔法? コレットは魔法使いなの?
これは魔法のテーブルよ。今は、二人のティーカップを出して頂戴って、テーブルにお願いしたのよ
オレには指を鳴らしただけに見えるけど?
ソルくんの目にはそう映ったのかもしれない。でも私の心とテーブル心で会話しているのよ。魔法はね、協力してくれる相手にお願いをして行使されるものなのよ
エルカがロウソクに火を灯したときも、火の精霊に手伝ってもらった。
魔力というエネルギーは自分のもの、だけどそれを補う力が必要だった。それが精霊。
テーブルにも精霊がいるの?
魔法の図書棺では、あらゆるものに魂と心と魔法が宿っているのよ
他には? どんな魔法をお願いできるの?
このティーポットは、無限に紅茶が出て来る魔法のティーポットなの。どんなに注いでもなくならないのよ
それは便利だね。だけど飲むたびにカップを洗うのが大変ではないの?
なくならないティーポットは魅力的だが、いつまでも同じカップで飲むのは、衛生的にどうだろうか。
そんなエルカの心配を見抜いたコレットが悪戯めいた微笑みを浮かべた。
そこは、心配しなくても大丈夫! この魔法のティーカップならね。まずは、飲みなさい、冷めてしまうわ
コレットは二人の前にティーカップを差し出す。
温かい紅茶の香りが身体と心を温めてくれる。
あ、美味しい
当然よ
え? 飲み切ったらカップが変わったぞ?
ティーカップを凝視したままソルが目をパチクリさせる。
エルカの手の中でも同じような変化が起きていた。
先ほどまで紅茶で満たされていたティーカップ。
中身を飲み干すと、真っ白な未使用のものに変化している。
ティーカップには一度飲んだらキレイになる魔法がかけられているのよ
それは、最後の一滴を飲み終えると、新品のものに変わる魔法のティーカップだった。
この魔法は良いね。洗い物が必要ないのは嬉しいな
この紅茶も絶品でしょ?
うん
一口飲むと、仄かな酸味が口いっぱいに広がる。
フルーツの紅茶だった。
柑橘系はリラックス効果があるからね。お疲れの二人にはピッタリね
紅茶の種類は変えられるの?
ええ、こうやってティーポットを持って………飲みたい茶葉を頭に浮かべてお願いするの
コレットは右手にティーポットを持ち目を閉ざす。
閉じていた目をパッと開くと、ティーポットの注ぎ口を傾ける。
ティーカップに注がれる紅茶の色と香りが変わっていた。
これは、ペパーミントかな?
正解よ
ポットの中身は紅茶だけなのか? コーヒーとかジュースとかは
紅茶やハーブティー、ルイボスなどの茶葉から抽出させるお茶だけよ。この棺を作った人の好みなのよ。他の飲み物が欲しくなったら、そこにある『世界飲み物写真辞典』から召喚してね
ソルはコレットに渡された本をジッと見据える。
エルカも横目でそれを見た。
ソルがパラパラとめくるページに怪しげな色の液体が見えた。
エルカは自分がその本を捲ることはないだろうと思い目を反らす。
ティーポットにコーヒーを頼んだらどうなるんだ?
無視されて白湯が出てくるわ。魔法のティーポットも繊細だから、やめてあげてね。じゃあ、次はエルカちゃんの飲みたいものを用意して
じゃあ、ローズヒップが飲みたいから……
エルカは持つと、コレットがやったように右手にティーポットを持って目を閉ざす。
大好きなローズヒップを思い浮かべる。
そして、目を見開いて中身をティーカップに注ぎ込んだ。
白いティーカップが赤いローズヒップでが満たされると、口元に笑みが浮かぶ。
ほら、出来たでしょ?
うん!
おそらくこの図書棺では当たり前のことなのだろう。
ティーポットに願えば、望んだ紅茶が出てくることは。
だけど、エルカは目の前のローズヒップを自分の手で生み出せたことが嬉しかった。当たり前のことだとわかりながら、嬉しいと感じられた。
大好きな本に囲まれて、心地の良いソファーに座り、大好きなローズヒップを飲むだけでも十分幸せであろう。
だけど、エルカの心を満たすにはまだ足りなかった。
その最後のひとつを持ってきたのは、小さな影だった。
バタバタと足音を立てるカボチャパンツの王子さま。
その手には数冊の本が握られている。
本持ってきましたよ
その本は?
これが、空想の物語です。読みたいって言っていましたからね。適当に持ってきたので、どうぞ、読んでください
ありがとう
差し出された本を、エルカは両手で受け取る。ずっしりとした、重み、古い紙とインクの匂い。
間違いない。
本だ。
やっと本が読めるのだ。
大好きな本に囲まれて、心地の良いソファーに座り、大好きなローズヒップを飲みながら、物語に浸る。
エルカの笑みが深まる。
これは、引き篭もり生活をしていた頃は当たり前だったこと。
その時間を取り戻せたような気がして、エルカは微笑する。
その笑みに、ソルが苦笑したがエルカは気付いていなかった。
まぁ、読書は程々にしてね。お腹は空くのだから食事は取ること。いいわね、この図書棺で空腹で死んでしまうなんて笑えない冗談はやめてよね
うん、わかっているよ
わかっているのかしら
エルカはソファに座ってさっそく本を開いていた。
隣に座るコレットが肩を竦めながら微笑む。
わかっていないと思うぞ
ソルは呆れ顔を浮かべながら小さな欠伸を零してソファーに横になる。
その手には料理の本を携えていた。おそらく棺内の説明を受けているときに持ってきたのだろう。
自分の為ではなく、おそらくは食事を怠りそうな義妹の為に。
コレットはこの義兄妹を眺めながら微笑んでいた。