へっくしょん!


 凄まじいくしゃみが、放課後の教室に響きわたった。
 廊下を歩いていたトオルは何事かと思い教室へ急いで入る。

 げほっげほっごほっごほっ

 くしゃみをしていたのは笹塚先生だった。大きなマスクで顔を覆い、今度は激しく咳込んでいる。

トオル

先生、大丈夫ですか?


 さすがのトオルも心配になる。

笹塚先生

ああ、よし、やるぞ

トオル

・・・


 笹塚先生は肩で息をしながら言った。
 そこまでして百人一首を訳そうというのか。トオルは笹塚先生の情熱に胸を打たれた。

 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

 あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも

 笹塚先生がいざ訳そうかという段になってから、おもむろに右手を挙げるとそれをパチンと鳴らした。すると、教室に付けられたスピーカーから軽妙な音楽が流れ、どう考えてもプロのラジオDJが話はじめる。

さあ、はじまりましたAMANOHARA RADIO、それでは早速参りましょう、第三位!


 一瞬の間のあとで、音楽がきこえだす。

 ~帰ろうかもう帰ろうよ 茜色に染まる道を 手をつないで帰ろうよ 世界に一つだけmy sweet home~

 サビが流れると今度はDJが軽快にしゃべりだす。

さあ、第三位は木山裕策さんでHOME、でした。大切な人とうちに帰りたい、という想いに溢れていましたね! つづいて第二位の発表です!

トオル

え? ナニコレ?


 DJのしゃべりが巧すぎて現状に全くついていけないトオル。笹塚先生は激しい咳と戦っている。

笹塚先生

げほっげほっ

~カントリーロード この道ずっと行けばあの街に続いてる気がするカントリーロード ひとりぼっちおそれずに 生きようと夢みてた さみしさ押し込めて 強い自分を守っていこ~

 今度はトオルのよく知るメロディが流れ始める。サビの手前の部分で音が低くなった。
 トオルはちょっと残念な気持ちでいるとDJが話しだす。

スタジオジブリの長編アニメーションより、カントリーロードが第二位でした。私はこの曲を聴くと実家に帰りたくなりますが、皆さんはいかがでしょう?

トオル

んん?


 そこでトオルはこの和歌の意味に気がついた。

それではお待ちかねの第一位の発表で―

トオル

いや、もう大丈夫です


 トオルがスピーカーのスイッチを切ったため、DJの声が途中で途切れてしまう。

笹塚先生

はーっ、帰りてぇなぁ

トオル

そういうことですね


 やっと咳が治まった笹塚先生が、のど飴を口にしつつ現代語訳を呟く。喉が炎症を起こしているためか声がしわがれてしまっている。
 トオルはこのためにわざわざラジオDJに頼んでいろいろ準備していたのかなど非常に気になったが、それもきっとせんないことなので、聞くのは遠慮することにした。

笹塚先生

でもな


 がらがら声の笹塚先生が言う。

笹塚先生

きっと、この作者は風邪なんかひいていなくても家(日本)に帰りたかったんだろうな

トオル

そうですね


 帰りたいけど帰れない。それが辛くない人など、きっといないだろう。

 それにしても。

トオル

先生、大丈夫なんですか?

笹塚先生

ああ、うん、ただの風邪だから・・・多分

トオル

ちゃんと病院に行ったんですか?

笹塚先生

ああ、いくよ・・・多分

トオル

多分って・・・インフルエンザだったらどうするんですか、今年は早いって言うし

笹塚先生

ああ、うん・・・

トオル

・・・なんか・・・嫌な予感が・・・

 事実、トオルの予感は的中することになる。

 笹塚メモ
・七一七年、吉備真備らと唐に渡る。
・七五三年に帰国を決意するも暴風により断念、唐にて没する。

掲載歌詞
・木山裕策さん「HOME」
・本名陽子さん「カントリーロード」

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

pagetop