――夢を見る。
僕はいまだに夢を見る。
終わることのない夢を。
一年前に終わってしまったあの日のことを。
――夢を見る。
僕はいまだに夢を見る。
終わることのない夢を。
一年前に終わってしまったあの日のことを。
カツキ、ごめんね。
姉を抱きしめながら僕に向かって笑いかける母の言葉。
その悲しい光景を、僕は忘れることは無いだろう。
恐怖に歪んだ姉の瞳とどこまでも優しい母の疲れた笑顔。
そして、その隣から噴き上がる悪者の血しぶきが。
どくどくと二人と世界を赤く染め上げるこの光景を。
サツキのこと、頼んだね。
母はそう言って胸の中に抱いていた姉を開放し、悪者の胸に突き立てていた包丁をゆっくりと引き抜いて、そのまま、自らの胸へそれを突き刺した。
――ざくり、
鈍い音が部屋の中に響く。
母は、最期にこう言った。
――私はこれから、最高に不幸になるね。
それはきっと、母の口癖の対偶だ。
『私にとっての最高の幸せは、サツキとカツキと一緒に居られることよ』
つまり、母は、もう僕たちと一緒に居られないと、そう言ったのだ。
ずるい、と思った。
両親が目の前で亡くなった事実よりも、母のその一言が僕の胸を抉って離さなかった。
そんなことを言うんだったら、なぜ母も死んでしまうのか。
悪者を殺して、それだけで良かったじゃないか。
そうしたら、僕と姉と母は、いつまでも一緒に居られたのに。
それなのに、母は悪者――僕たち三人をいつでも殺せるほどの暴力をふるっていた父――と一緒に逝ってしまった。
積み重ねられた暴力は終わりが見えないほどに長かったのに、いざ終わりが来てみれば、それはあまりに一瞬であっけなく、僕には止めることはできなかった。
僕と姉はその後、母が自死する前に通報していた警察に保護され、父の暴力で負った怪我の治療を行った後に親戚の家に引き取られることとなった。
怪我は複数箇所の複雑骨折、打撲、および深い裂傷であったため、治療は容易では無く、満足に動けるようになるまでに半年近く時間がかかった。
特に裂傷に関しては、二人とも後少しずれていれば命に関わるものだったらしく、母のあの時の判断は間違っていなかったのだろうと強く感じさせられた。
母が父を止めなければ、おそらく僕と姉、さらに母は近いうちに命を絶たれていたに違いない。
あの日はきっと、そうならないためのポイントオブノーリターンだったのだ。
そうやって、あの日の出来事は自分たちが助かるためには仕方が無かったんだと割り切ろうとしても、
割り切れるはずもなく、僕と姉はその日のトラウマに起因する厄介な性質を持ってしまった。
僕が持ってしまった性質は超ロングスリーパーだ。
一度入眠すると16時間は何をしても起きられない体質となってしまった。
かかりつけ医には身体的な怪我に由来するものであり、怪我が治癒すれば解決する可能性もあると言われているが、僕としては、割り切れないものを割り切れないままに許容するための、脳の自衛本能だろうから、きっと治らないものだと考えている。
その証拠に僕は寝ている時間、ずっとあの日の夢だけを見続けているのだから。
この性質は非常に厄介だった。
この性質を持っている以上、健常者が当たり前にできている一日8時間の拘束時間を、僕は満足にこなすことが出来ないのだ。
そんな感じでどうしたものかと悩んでいたところ、長い夢の中にひょっこり現れた某閻魔大王にスカウトされて地獄の弁護人を務めることになってしまったというのが僕の現状だ。
あまりにも突飛で突然の話ではあったが、まあ双方に得のある話ではあったのだ。
僕にとっての得は必要な睡眠時間の確保だ。
地獄は人間世界と時間の流れが異なる。
分かりやすく言えば人間世界での8時間が地獄での24時間に当たるのだ。
このため、僕は現実世界で8時間分の睡眠時間の枠を確保し、そのすべての時間を地獄で過ごすこととした。
現実世界で16時間、地獄で8時間、合計24時間働き、地獄で必要な睡眠時間の16時間を寝させてもらう――そうすることで人間世界での目覚めもスッキリするというわけだ。
この日、この時から僕にとっての1日は40時間となったのだった。
地獄にとっての得は不足していた弁護人の確保だ。
どうやら前任者がつい最近人間世界での人生に幕を下ろしたらしく、早急に後任者が必要となったらしい。
「前任者にそのまま魂でやらせればよかったんじゃ……」と僕が指摘すると、人間世界は刻一刻と変化しているのにその弁護人が人間世界から離れて現処離れをしてしまっていたら、弁護人としての機能が保てないだろう、とのことだ。
なるほど、言っていることは理にかなっている。
とにもかくにも、僕は現在も1日16時間、あの日の夢を見続ける生活を送っているというわけだ。
『――私はこれから、最高に不幸になるね』
という、母の最期の言葉を子守歌とするように。