熱を入れたフライパンからじわーっと目玉焼きとベーコンが焼けるいい匂いが漂い始める。


幸せだなあ、と僕は料理をしながら何度目になるか分からない感想を抱いた。


地獄の弁護人を務めるようになってから気づけば季節が二つも過ぎたけれど、毎朝飽きることなくその幸せをかみしめている。


一日16時間の睡眠を取らなければならなかった頃は、またこうやって朝ご飯の支度が出来る日々を迎えられるとは思っていなかった。


長時間の睡眠は両親の死によって持ってしまった厄介な性質ではあるが、僕はこの性質を決して疎ましく思っているだけではない。


持ってしまったものは仕方がないのだ。


無くせるなら無いにこしたことは無いけれど、うまく付き合えるならばそれはそれで構わない。


目玉焼きとベーコンを皿へと移し、トーストを焼き始めると、二階から足音が下りてくるのが分かった。

おはよう、姉さん。

あら、おはようカツキ。今日も早いのね。

おじさんとおばさんの方がずっと早いよ。
もう仕事に行っちゃった。

僕と姉を引き取った親戚のおじさんとおばさんは、僕たちに気を使っているのか、あるいはただのワーカーホリックなのか、あまり家に滞在しない。


朝早くに仕事に行き、夜遅くに家に帰ってくるから家族の団らん時間は短い。


こうやって姉とあけすけに話す時間が取れるのはありがたいという側面もあるが、少しだけ寂しい気持ちにもなる。


「あら、申し訳ないわね」と僕より3歳も年上の姉は寝ぼけ眼をこすってから、食卓に着く。


その謝罪の言葉はおじさんとおばさんの好意に向けてなのか、それとも僕の作った朝食に向けてのものなのかは姉の表情からは読み取れなかった。

ちなみに、私が早いって言ったのは、
「カツキにしては」という意味よ。
あなた、確か一度寝たら16時間は起きれないんじゃなかったかしら。
私が見た限りじゃ昨日も10時までは起きていたはずなのにおかしいじゃない。
そんなことじゃカツキらしくないわ。

らしくないって……複雑な気分になるよ姉さん。

あら、アイデンティティは大事なのよ。
私たちは母さんを忘れないために、誰よりも私たちらしく生き続けなくてはいけないのだから

……まあ、それもそうだけどね。
さ、姉さんもご飯を食べよう。
今日もしっかりと食べて血を作らないと倒れてしまうよ。

……人を出来損ないの吸血鬼みたいに言わないで。

それが姉さんのアイデンティティでしょ

僕の言葉にべっと舌を出して答える姉の左手には、まだ赤い血が滲む包帯がまかれている。


それは姉の持ってしまった自傷の性質によるものだ。


姉は一日一度自傷行為を行うことで、痛みから母の存在を思い出し、流れる血に母の血を感じることで、なんとか自分らしく生きていられる。


もし誰かが僕たちの性質を知ったら、そんなことは一刻も早く止めるべきだと百人が百人口をそろえて僕たちに言うかもしれない。


けれど、僕たちが僕たちらしく生きるために必要なのだから仕方がない。


どうにか折り合いをつけて生きるしかないのだ。


食卓に着いた僕と姉はご飯を口にし始める。


今日も学校だし、あまりのんびりとしてはいられない。

まあね、それはともかくとして、実際のところ、どうしたのカツキ。
そろそろ朝早く起きれるようになった理由を聞いてもいいかしら?
まさか、あの日のことを忘れたわけではないんでしょう?

忘れられるならその方が良いのかもしれないけどね。
幸か不幸かまだ忘れられないよ。

僕と姉の今の性質は異なるが、いずれも同じ過去に紐づいている。


ゆえに、お互いにお互いを必要以上に気にかけているように思う。


あの日のことを忘れていないか。


必要以上に傷つきすぎていないか。


お互いに精神のバランスを取りながら、今も同じ日を共有出来ているかを確認しているのだ。

……ならどうして起きていられるの?
私は今もあの日に囚われているのに。

左腕をさすりながらそう言う姉は見ていて痛々しい。

僕は少しの間箸を休めて考えてから口に出す。

俄かには信じられないと思うんだけど。

あら、カツキの言うことなら無条件で信じるわよ、私は。

胸を張る姉の姿に安心して僕は答えを口にする。

実は僕、地獄の弁護士になったんだ。

え、何を言っているの、あなた。

途端に手のひらを返して引いた顔をする姉。


……話が違うじゃないか。

……まあ、信じられないよね。
でも、本当なんだ。
地獄はさ、人間世界と比べると3倍くらい時間の流れが遅いんだ。
だから、僕は最近16時間こちらで過ごし、あちらで8時間働いてから16時間寝て、こちらに戻るという生活をすることで、なんとかちゃんとした生活を送ることが出来ているんだよ。

あら、働き者なのね、カツキは。

まあね、24時間起き続けるのは辛いけど、なんとかやってるよ。

肩をすくめる僕に姉は少し目を瞑ってから口を開いた。

――信じるわ。

え?

信じるって言ってるの。
例えどんな理由だったとしてもカツキが普通の生活を送れるようになったなら、それが何よりだわ。
何をしていたって私には反対する気持ちなんてないからね。

……ありがとう。僕も同じ気持ちだよ、姉さん。

なんだか満ち足りた気持ちになった。


姉もきっとこの気持ちを共有しているのだろう。


食器の触れ合う音だけが響く静かな時がしばらく流れた。


その静寂を割いて、姉が疑問を口にしたのは至極当然のことのように思う。


その内容はこんなものだった。

それにしても、地獄は随分人手不足なのね。
カツキのような年端もいかない子をいきなり雇うなんて。

あ、それについては言ってなかったことがあるんだ。実は――

 箸を下ろし、僕は姉の目を見て答えを口にする。

僕、まだ試用期間中なんだよね。

僕は姉のために料理を作る

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