砂埃を上げ派手に倒れる男。
 左手には半切れのパンを握り締め、がむしゃらに立ち上がる。



 ここはディープス市民区メインストリート。往来の真ん中で騒がしい男は、50を過ぎた頃だろうか。ボロ切れを纏い衆目の視線を独り占めにしている。



 後ろから、市民区の治安を守る衛兵が2人、追いかけてきている。



 男は店先にあった半切れのパンを盗んで逃走中だった。疲労困憊の身体に鞭を打ち、走り続ける。だが、衛兵が投げつけた捕縛道具に足を絡め取られ、捕り押えられてしまった。





 男は悪あがきでジタバタ暴れ回ったがどうにもならず、最後の抵抗で左手に残った砂まみれのパンを信じられないスピードで胃の中に収めた。




















 牢獄の前で王政官が証拠や状況から最初の審判を下す。それがディープスの法。



 どうやら男と王政官は旧知の仲らしく、男は懇願した――――釈放を。







 「ぶち込め」



 汚らしい豚を見るような眼差しで男を見下ろす王政官。旧知の者だからなどという余分な感情は僅かにも感じさせず、懇願し続ける男に侮蔑の視線しか与えない。男はあっけなく、牢獄に叩き込まれた。



































 男の名は、ハル=ビエント(52)。







 33年前、迷宮の最奥に居る魔王を倒した勇者だ。アリデルツ暦1085年の現在、平和があるのはこのハルのおかげと言っても過言ではない。





 ハルは暗くてジメジメとした硬い牢獄の床の上で、昔を思い出していた。







 大魔王(笑)と戦ったあの日を。仲間が倒れていく中で、三日三晩不眠不休の戦い。仲間と共に歩んできた。様々な人に支えられて自分がある。幾つもの苦難を乗り越え成長したハルは、断固たる意思を携え渾身の一撃を放った。

ハル

チェック・メイトっす。

大魔王

ええ〜〜!?
嘘ぉ!?
そんな所、ええ〜〜〜!
ご、ごめん、待った待った、
一手待ってよハル君。

ハル

駄目っすよ。
待ったってもう47回目っすよ。
終わらないっすよ。
皆疲れて寝ちゃってるし、
(前述の通りw)
そもそも待ったなしって、
魔〜君が言い出した事っすよ。

大魔王

そりゃあ、ないよぉ。
殺生だよぉ。
ええ〜〜、嘘ぉ〜、
僕ちんの負けぇ〜。
ふー、しょうがないなぁ。
じゃあ、ディープスからは
手をひくよ、ハル君。
今迄ごめんね。

 ディープスに平和が戻った。





 国一番の勇者と讃えられ、富も名誉も手に入れたのだ。













 だが、栄光の日々は長くは続かなかった。

 相方のチビでクリクリの子男に手柄を横取りされたのだ。それどころか、虚偽の報告をしたとして、指名手配をかけられディープスから逃げ出さなければならない状態になった。

 手柄を横取りしたクリクリの小男は、国の王政官になったと聞いているが、ハルはそれどころではなかった。生きていく事自体が苦痛の連続。今日食べる物にも困る生活。歯磨き粉を舐めて餓えをしのぐなんて事は日常茶飯事だった。違う味の歯磨き粉がご馳走と言えた。何回見てもポケットの中に金はない。だが暇さえあれば何も無いポケットの中を確認していた。奇跡的に金が残っているかもしれない。もちろんそんなことは有り得ないが、ポケットの中身を確認せずにはいられなかった。





 金の為に危ない仕事もした。その金で、「パンのミミが買える♪」と喜び勇んで市場に全力疾走した事もあった。幼子を蹴り飛ばして走るその姿は、餓鬼そのものだった。





 ある下賤の者しかしないドブさらいのような仕事を終えた時、僅かばかりの金を手に入れた。



 その時、市場の人混みに懐かしい顔が見えた。リュウだ。迷宮の謎を解いた後、故郷に帰ると言っていた。確かにここはベインスニクだ。ポケットには金は少しあったが、旧知の者に会うとたかることしか頭を過ぎらない。リュウに駆け寄りいきなり物乞いをするハル。状況的には、只の乞食がまとわりついてきている様にしか見えない。



 リュウは全く見た目が変わっていない。のんびりな性格が影響してるいるのかマジで変わっていなかった。迷宮の謎を解いた日からおよそ33年。リュウも勿論ハルの事を覚えていた。物乞いしてくるハルに快諾の意を示すリュウ。ハルは悲惨な日の中で神を感じた。リュウは少し行く所があると、言うのでそこに行った後、落ち合う事になった。







 リュウを待つ時間は気が遠くなるほど長かった。







 ハルは空腹のあまり、虎の子の金に手を掛けてしまいそうだったが、悪い癖の金の確認をすれば欲望に負けてしまう。そんな思いから、虎の子の金には触れずに我慢し続けた。中々、戻ってこないリュウ。腹がすきすぎて気が遠くなる。あの世との境界線を泳いでいた時、リュウがのんびり戻ってきた。




リュウ

じゃぁ〜、行こうかぁ。

 ハルは空腹を堪え、言いなりでついていく。歩くスピードがトロトロしていて苛立たしいが、スポンサーの機嫌を損ねてはいけないと、慎重に振舞う。



 やがて、二人の居たベインスニクを出て街道に出る。気力を振り絞りついていくハル。やがて到着したのはディープス。もう、ハルの指名手配は解かれているのか? だが、そんな考えより食べ物。リュウは大商人の息子だし、ディープスなら美味しい物はいくらでもあるはず。

 リュウの足は、元訓練場だった場所にある大木の元へ向かった。周りは草原が広がり風が気持ちいい。だが、食物の気配はない。

リュウ

うーん、やっぱり気持ちいい。
懐かしいな、ハル。

 寝っ転がって空を見続けるリュウ。いつまでも空を見ているリュウに痺れを切らし、ハルが問いかける。



「ななな、何してるっすか?」

リュウ

雲、数えてる。

 ハルの心中は混乱の極みだった。



「本当にこの人は神だったんだ、、、、。神様。神様っす」


 一切老けていないリュウを視界に入れフラつく。


「もうダメっす。なんか雲になりたいとかなんとか言ってるし、この人(神)について行ってもメシにありつけないっす。仕方ない。この抜き差しならない状況では、虎の子の自分の金を使うしかないっす」



 ポケットに手を入れたハルは驚いた。どれくらい驚いたかと言うと、『長期連載の物語でいきなり時間が一気に飛んで完結し、連載打ち切り感を嫌と言うほど感じた時』くらい驚いた。

 金がない。何もない。あるはずの金が、ない。どこにもない。ない、ない! ない!! …………しょうがない……。と、なるわけもなく、気が狂ったように探す。どれくらい狂ったかというと、『足の小指をテーブルの角で強打し、のたうち回っている間に財布を盗まれ、次の瞬間突然床が崩れて落下している時』くらい狂った。



 リュウに見ていないか全べソで聴くハル。深くなっていく夕日を背負い、傍若無人なまでに爽やかな笑顔を纏い、リュウは答えた。

リュウ

ディープスに向かう前、
拾ったんで衛兵に届けてきたぞ。
ハルを待たせたけど、
落とした人は
困ってるだろうからなぁ。

 ハルの悲鳴は季節風を逆流させた。








 そしてついには人様の品を掠め取る卑しき身分に落ちぶれたのだった。

 ~湧章~     109、卑しき者

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