Wild Worldシリーズ

レダ暦7年
セシルとアスター

2

 

 

 

セシル

食事だ。少しでも食え

 セシルの言葉に、ソファに埋もれたアスターは何の反応も示さない。

 その目は光を全く映さず、虚無で、生きているかどうかさえ何度も不安になった。

セシル

アスター

 出来立ての、まだ温かいパンを千切り、アスターの口元に持っていく。

 何の反応もない。

 まるで、植物人間だ。

セシル

アスター

セシルは、絶望に近い気持ちで彼女の名を呼ぶ。















   

 側近としてセシルが学んでいるところに、突然セアト王が部屋にやってきた。

 セシルがやってきてからまだ1ヶ月も経っていない。

 最初からセアト王は、付き人になるセシルをかわいがってくれていた。

 だから、今訪ねてきたのも何も不思議はなかった。



 隣に、小さな少女さえ連れていなければ。

 伏し目がちな、か細い少女。

 セアト王の背中に隠れるように立っている。



 すぐに、初めてここに来た日に庭から見上げた少女だと気がついた。

 セシルは書類の束を抱えたまま、書庫に向けていた身体を反転させた。

 好奇心と、不安が半々で、セシルはセアト王を見上げた。


セアト

わたしの娘だ

 セアト王は、言葉に何の感情も乗せなかった。

 セシルは、セアト王のその言葉に、ひどく驚いて、言葉が出せなかった。



 なぜ、なぜ今、このタイミングでそんな重要なことを明かすのだろう。


 幼いセシルには分からなかったが、セアト王は純粋にアスターの友達がほしかったのだ。

 子供のうちに、純度の高いうちにアスターを受け入れてほしい、そう思っての行動だった。

 歳の近いセシルが一番ちょうど良かった。



 セシルがセアト王の瞳を見つめると、彼はそっと瞼を伏せた。

セアト

実はもうひとり、娘がいる

 呆然とするセシルに秘密を打ち明けるセアト王は、どこかやつれて実年齢よりだいぶ老けて見えた。


 部屋の中は、妙に静かだ。


 セシルはジッと黙ってセアト王の言葉を待っている。

セアト

わたしのせいで命を狙われ、逃亡中だ
もしかしたら、死んでいるかもしれない

セシルは、持っていた書類の束を思わず落とした。














  

 カーテンを開けると、強すぎるほどの光が部屋に差し込んできた。

 光の先端はアスターの足元まで届いている。

 舞い散る埃が目に映り、視界は白く濁った。

 セシルは窓辺から空を見上げた。

 あの日、初めてアスターを見た日に、アスターがそうしていたように。

セシル

外はきれいだよ

 セシルはつぶやく。


 フラウは死んだ。

 アスターは心が死んだ。

 セアト王は病気で死んだ。

 自分と、現レダ王が看取った。


 レダ王は生きている。

 ラムダも生きている。

 自分は、かろうじて生きている。

セシル

お前が死んだら、王家の血は全滅だ

 何を言っても、アスターは反応しない。

 指先ひとつ動かない。


 実はもうひとり王家の血を引いた者がいるのだが、セシルの頭からは完全に抜けてしまっていた。

セシル

レダ王は寛容だ
だけど、この国の中に第三勢力が存在する
お前とは別の理由でフラウの死を歓迎し、お前の命さえ狙っている

 セシルのこの重要な言葉は、アスターに届いているのか。


 振り返ると、アスターは人形のように、虚ろな瞳のまま空を見ていた。


 それでも、何度でも声をかける。

  何度でも。



 アスターは孤独で、近い存在は唯一自分しかいない。

 それと同じように、気がつけば、セアト王がいなくなると自分にもアスターしかいなくなっていた。

 レダ王やラムダはよくしてくれるが、フラウを殺してしまった手前、どう接していいのか分からず、心を開けない。


 セシルは、アスターの前まで来ると、その手を取った。

セシル

この城から逃げよう、アスター

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