【2015年、春。柊モカ】
【2015年、春。柊モカ】
なぅの居ない、苺を抜き取られた後のケーキみたいな昼食時、校庭の隅で休んでいたボクの所へ『いっか』がやって来た。
……小娘。
流れる風を払うように、いっかがボクへ向き直った。
なんでしゅか?
彼の射すような目を見つめ返す。
……いい加減話したらどうだ?
いつかこの時が来ると思ってはいたけれど、いざ彼を前にすると逃げ出したくなる。とても怖かった。
……何をでしゅか。
とぼけたボクを『いっか』はただ見ていただけ、だからボクは、
――全てを話すしかなかった。
桃野恵、あいつは何だ。俺たちの周りに起こっている事は何だ。そしてお前は一体、……誰なんだ?
風が吹きぬける。春風は若葉を、粉土を、ボクたちを巻き込むように流れた。
目を閉じ、腰を大木へ預ける。蒼いどこまでも澄み切った空を見上げた。
そうでしゅね。……何から話しましょうか。
やっぱり、なぅと初めて会った事からでしょうか。
ボクはいっかへ1つの家族の話をした。
【2030年、春。ごみ】
今から15年先の2030年。ノアの箱舟がボクたちの地球に降り立った年の事だ。その例年より寒い冬の出来事だった。
ノアの民へ贈る多大な物資と、異常な冷夏による作物不良、重なりあった悪条件で、この国は今までにない食糧難に陥った。
2030年、日本はアメリカの属国となっている。ここ旧『イバラキ県』では多くの人々が食糧を求め街から街へと彷徨っていた。
イバラキの町の1つ『ヒタチナカ』という場所にボクは居た。
『旨そうな栗色の髪が憎い』
街を渡るおじさん達に言われた。ボクは、あの日も呆然と空を見上げていた。
ボク、通称『ごみ』には過去の記憶が無かった。意識した時にはここ、廃墟と荒野の中に居た。破れたシャツとズボンを纏って生きていた。日々、雨露を飲み草木をしゃぶって生きてきた。そんな出鱈目で鮮明な記憶だけがボクの脳裏で騒めいている。
自分が何から産まれたのか?
父親とはなんなのか?
母親とはどんな匂いがするのか?
あの日も青いポリバケツ、自分が居てもいい唯一の場所から低い雲を眺め考えていた。
彷徨う難民に紛れて、その日も国の査察官がボクの元へとやって来る。
彼らは言った。
今は無き日本のために譲って欲しい。今は僅かな食料でもいい。この国には物資が必要なんだ。分かってくれよ、ごみ?
そう言ってボクから歪んだフライパンを、小さなスプーンを、火の点かないライターを奪った。
いつか迎えに来てくれるヒト、その想像上にしか居ない優しい笑みに憧れとっておいたシチューのルーの一欠けを、
……全てボクの手から奪っていく。
雨雲を見上げるボクの前に緑色の服を着た査察団員が草木を踏み分けやってくる。
いつもと同じ、……チョウシュウだった。
彼らの目が語っている。
『くださいませんか?』
って。
彼らはボクの青いねぐらへやって来ると、うずくまるボクを覗きこんで穏やかな声で話しかけた。
ごみちゃん。我々は、今は無き日本の為、――
彼らはボクの家が欲しいと言う。
その眼はボクの顔を見ていなかった。ボクの青い家を見て話した。
家を失ったら。ボクは何処で泣けばいいのだろう。ボクは骨と皮だけのような身体で必死に歪みきった世界へ抗った。
ボク、何か悪いことをしましたか? そんなに罪なことをしましたか?
泣いても喚いても誰も聞いてはくれない。いやらしく歪む瞳が、伸びてくる細く厳つい腕が、眼に映る全てが恐ろしかった。
……今日は緑に溜まる雨水さえ飲めないのだろうか。
……その樹まで歩むことさえボクには許されないのだろうか。
苦しくて、怖くて、でも死にたくなくて、ボクは泣いた。
その時だった。この要らない世界へその声が轟いた。
やめなさい! その子を傷つけたら駄目っ!
空を突くように、遥か先の大地から光が走ってきた。
ボクはぼんやり、眩しい光をポリバケツの淵から見ていた。
そこには剣を掲げる人が居た。その天を突くような腕と、頭上でゆった長い黒髪は絵本で見た神様のようだった。
――何故だろう。生きる意味の無いボクの前に神様が居た。数多くの動物を従えて『ごみ』を守るために居てくれた。
女神様は輝く剣を構えて、タクトのように振りあげる。
その凛々しさに眼が釘付けになった。ボクが見た初めての希望だった。
去りなさい!
女神様の指揮に動物達は怒涛のマーチを奏でた。子犬の、子猫の、小鳥達の雄叫びだった。――それは、ボクの人生に訪れた革命だった。
査察団員が慌てて逃げ出す。彼らは逃げながら女神様を罵っていた。
一件落着! だねっ!
女神様のエールに動物達の呼び声が重なる。
視線の先で皆が吠えあっている。皆が支えあっていた。励まし助けあっていた。それは種族の壁を超えた『キズナ』だった。ボクには一生を賭けても届かない幻想、物語の中だけのソレが今、目の前に在った。
ボクの貧相な青い住居の前へ女神様が腰を下ろす。ボクの目線に合わせて話してくれた。
大丈夫? もう怖いことなんてないよ?
……大丈夫だよ。女神様は笑ってそう言った。
ボクは心のどこかで待っていた。来るはずの無い王子さまを。いつか出逢う、守るべき人を。自分だけの小さな小さな、……家族の姿を。
細くなった腕をおもむろに伸ばした。骨ばったアバラを壊れる程高鳴らせ、問いかけた。
貴女が、貴女がボクの待っていた……
……マァマなんでしゅか?