扉を開けた先の部屋の雰囲気は異様だった。
薄暗い部屋に、よくSF映画でみるような、培養液が入れられた大きな円柱型のガラス製タンクが一つポツンと置いてあり、ブルーライトが照らされている。
照らされたブルーライトのおかげで薄暗い部屋でもよくわかる。
そのタンク中に入っているのは制服を着た少女だ。
中に入れられた少女は体をピクリとも動かさず、
ただ眠っているようにも見える。
ひどく驚いた……。
僕がその少女に目を奪われ、タンクに手をかけながらそれをじっと見つめていると、
扉を開けた先の部屋の雰囲気は異様だった。
薄暗い部屋に、よくSF映画でみるような、培養液が入れられた大きな円柱型のガラス製タンクが一つポツンと置いてあり、ブルーライトが照らされている。
照らされたブルーライトのおかげで薄暗い部屋でもよくわかる。
そのタンク中に入っているのは制服を着た少女だ。
中に入れられた少女は体をピクリとも動かさず、
ただ眠っているようにも見える。
ひどく驚いた……。
僕がその少女に目を奪われ、タンクに手をかけながらそれをじっと見つめていると、
来楽菜乃花(らいらくなのか)……。
いきなり呟いたので僕はドキっとした。
知り合い……なんですか?
いや、そこのプレートに書いてあったから。
おそらくその子の名前だろうね。
若いのに可哀想に……。
黎佳さんも僕の隣に来て、タンクのガラス越しに少女の顔へと手をかざした。
快活、活発……。
ん? なんですかそれ?
菜の花の花言葉だよ。
ほら、彼女が胸にしているブローチも菜の花だし。
そういう少女だったのかな、と思ってね。
黎佳さんは切なさを残したような笑顔を僕に向けた。
僕はブローチを付けている事に気が付かなくて、
もう一度彼女を……、そしてブローチを……、見つめた。
それにしても来楽 菜乃花……。
どっかで聞いたことがある気がするんだよなあ……?
…………あれじゃないですか黎佳さん、アザミさんが探してるっていう
ああ、そうだそうだ。
たしか俺もアザミに最初会ったとき聞かれたなあー。
お嬢も聞かれてるんじゃないですか?
ふむ、そういえば……。
こりゃうちの可愛いアザミちゃんのためにも、なんとしてでも助け出してあげないとね!
…………いや、黎佳さん。
逆に助けださない方がこの子のためかも知れないですよ……。
だってアザミさん、僕の時の自己紹介でいきなり『来楽 菜乃花って女を知っているか?』から始まって『復讐を果たしたい……』で終わったんですから……。
んー、まあ各々理由はあるさ!
とにかく今はこの先の部屋が先決。
私が時間を止めて先に見てくるよ
僕の言葉を皮切りに少しの暗い沈黙があった後、
黎佳さんがいつもの調子で沈黙を破るようにしてそう言った。
え、黎佳さん! 体調は大丈夫なんですか?
だいじょぶ、だいじょぶ!
そりゃあもーバッチリさ!
新入りの輪君は私のタフさをまだ知らないのだなあー。
またいつもの調子で黎佳さんは僕をからかうようにニマニマとした表情で顔を近づけてくる。
ちょ……黎佳さん、顔が……その近いです…………。
たしかにいつもの調子に戻っているように見えるし、
問題はないのかもしれない。
でもま、ありがとね。
……なんのことです?
私の事心配してくれて……。
そう言った黎佳さんのその言葉には、嬉しさだけではない、
何か寂しさのようなものも詰まっている気がした。
なんて! ドキッとした?
ねえ、ドキッとした?
ほんとこの人は……。
んじゃま。それじゃ軽く行ってくるよ!
そう言った黎佳さんは手をパンパンと二回叩いたが、
今度は目の前から姿は消えなかった。
制限の百二十秒以内で済んだのだろう。
ふむ……どうしたもんかなー……。
首謀者らしき人物はまだ中にいたのだけれど、扉に銃を向けている奴らが二人もいるんだよなあ、コレが。
開けた瞬間……ズドンッ!
蜂の巣だね!!
腕を組んで困った風に話してはいるものの、
本当に困っているのか……という疑問が浮かぶほど楽観的に聞こえる口調だ。
…………じゃあ黎佳さんが時間を止めて首謀者の首にナイフでも突きつけて人質に取ったらどうですかね?
あ、それいいね! 輪君さすがだよ!
びしっ! と僕に指を向けて、ニヒヒと黎佳さんは笑う。
そもそもこんな簡単なことを、あの黎佳さんが気づかないわけがない……。
つまりは、これも僕に対してのテストなのだろうか……。
いや、〝新人研修〟という言葉の方がしっくりする気がする。
それにしてもなぜだろう……。
彼女が喜ぶと、また彼女に褒められると、得も知れない幸福感が僕の心を強く絞めつける。
やはりこれもまたどこか懐かしい感情だ。
なぜ懐かしく感じるのか。
それすらも分からない。
じゃあ私の姿が消えて、十秒したら突入ね。
一応気をつけて入るよーにっ!
また僕らにビシッと指をさしてから手を二回叩いて、姿を消した。
十秒後、僕と葵さんの二人で部屋に突入すると、どうやら作戦は上手くいっているようだった。
首謀者は黎佳さんにナイフを突きつけられ怯えているし、
他の二人も銃を既に降ろしていて、両手を頭の後ろに組んでいる。
黎佳さんこっちの二人は殺りますよ?
うん。おっけ~い!
黎佳さんの許可が下りたと同時に、
両手を頭の後ろに組んだスーツ姿の二人を腹部当たりから切断する。
う、うわあああ!
部下であろう二人の凄惨な姿を目の当たりにして、
首謀者らしき男は大きく叫んだ。
アホみたいに叫ぶな豚。名前を言え。
黎佳さんの雰囲気はまたしても、突入前までの様子とはまるで別人のように豹変した。
こっちまで恐怖を感じる程の威圧感だ。
こ……郡山 静雄(こおりやま しずお)だ……。
郡山さん、どんな商売で儲けたらそんな肥え太ったお肉がつくのかなー?
口調こそはいつもの黎佳さんそのもののような穏やかの口調に思えるが、
相変わらずの威圧感がこもった声でナイフを片手に、郡山静雄の腹部の脂肪をつまんでいる姿は少し猟奇的にも見える。
たしかに郡山 静雄は豚と揶揄されてもおかしくない体型をしている。
小奇麗なスーツを着てはいるものの、ボタンがいつ飛び出してもおかしくない程ぱつんぱつんの状態で、
誰が見ても醜い姿だろう。
風俗だ……、ひ、非合法の……。
なんでもする! 何でも……全て話す!
だから命だけは助けてくれぇ……。
郡山 静雄が懇願したその時だった。
そいつが首謀者ネー!
あいやー豚みたいなヤツあるネ!!
……。
既に全階層を片付け終わったのかノコとアザミさんが部屋に入ってきた。
んー……よし!
ならば場合によっては命は助けてやろう。
まずはここにいる女の子達全員を元にもどせ。
そ……それはできない……。
この後に及んでまだいうつもりかこの豚!
お嬢、もうこいつ刺し殺しちまってください!
いやいやいや! 待ってくれ! 違うんだ! 私の話を聞いてくれ!
説明しろ。
……私の能力は『人体復元』といって死体を完全に復元する能力なんだ……。
けれど魂は戻らない……つまり彼女達はもう既に死んでいるんだ。
はあ!?
はあ!?
僕とアザミさんの声が思わず重なった。
嘘は言っていない!
ほんとだ!
だから頼む、助けてくれえ……。
死者への冒涜だな。
その罪、やはり死んで償うか?
ひっ!?
黎佳さんがナイフをより近く郡山静雄の首筋に突きつけた。
郡山静雄の首筋からは少量の血が赤い糸のようにゆっくりと伝ってくる。
ちょっと待ってください黎佳さん!
その前に郡山さん。
その『人体復元』の詳しい説明をしてもらっても?
もちろん僕の腸は既にこれでもかというくらいグツグツと煮えきっている。
それでも冷静に…………そう――情報は必要なんだ。
あ、ああ……『人体復元』はとにかくどんなにバラバラになった死体でも、
パーツさえちゃんと残っていれば死体を完全に復元する。
体温、呼吸、心音もあるが魂はない……植物状態とも違う、精巧な人形のようなものだ。
だから腐敗する事もないし、歳を重ねる事もない……。
悪い事をしたと思っている……どうか助けてくれ……。
ぐったりとした郡山静雄は徐々に声もか細くなり、
たった数分の会話の間で、既に憔悴しきっている。
……なあ、お前。
殺した人間を『人体復元』しているんじゃないだろうな……?
例えばそこの部屋にいた女の子なんかもそうじゃないのか……?
普段は朴訥としているアザミさんの声が、
怒りで満ちているのにその場にいる全員が気づいた。
ち、違う!!
あの子は自殺していたんだ!
それに彼女は数年前の虎のクーデターに参加していた凶悪な殺人者だ! 本当だ!
嘘は言っていない!
僕はその話に思わず耳を塞ぎたくなった。
アザミさんの方をチラリと横目で見ると今にも怒りが爆発しそうな表情だった。
当然だろう……彼女の妹はそのクーデターに巻き込まれて死んでしまったらしいのだから。
んー、埒があかないねー。
輪くんちょっと本部に扉作って紫(むらさき)さん呼んで来てくれるかな?
あ、はい!
すぐ呼んできます!
黎佳さんが言う紫さんとは〝紫つゆくさ〟という名の猫の構成員の一人だ。
猫のメンバーは全員彼の事を『紫さん』と敬称で呼ぶ。
それは彼が六十代の、猫で最も歳を重ねた男性だからだろう。
僕が紫さんを連れてくると、
黎佳さんは今までの事情を詳細に紫さんに説明した。
あ、紫さん。コイツの名前は〝郡山 静雄〟ね
はい、かしこまりました。
紫さんはおっとりと、そして上品な口調でそう答えると、
紫さんの手から眩い光が発したかと思えばその光はすぐに消えて、代わりに一冊の本が現れた。
じゃーまず……。
紫さん、さっきの部屋にいた来楽 菜乃花って子をコイツは殺してないって言ってるんだけど……白? 黒?
紫さんは現れた一冊の本の一枚一枚をめくり、少し遅れ気味になってから答える。
んーむ……白ですな。
おい豚、どうやらさっきのは本当の事を言ってたらしいな。
お前の命が繋がれるまであと一歩だ。
さて、最後だけど紫さん、コイツは罪のない人を殺して『人体復元』で商売道具にしているのかな?
黒ですな。
さっきの受け答えとは相反して、紫さんは本もめくらずに即答した。
残念だったな豚野郎……さようならだ。
ちょ、ちょっと待て!
このじいさんは嘘をついている!
私はそんな事はしない!
ははは。私は嘘はつかんよ。
この能力『知恵の本』は、私が嘘をつくことを許してはくれないのです。
紫さんの能力『知恵の本』とは、対象者の名前、顔さえ分かれば、その対象者の情報が記された本が顕在化する。
身長から体重、過去に行った善悪の全てまでもが事細か詳細な文章で記されている(例外として能力の詳細等は記されない)。
だが、この能力を使って知り得た情報の詳細は他人に口頭でも執筆でも伝える事ができない。
しかし、質問された場合に限りYES、NOの範囲でなら真実を伝える事が可能になる。
便利な能力だが二本線の亜種に位置づけられる。
……二本線の理由として、この能力の代償である『嘘がつけなくなる』事が大きいだろう。
発動時のみの制限ではなく、能力を持ち続ける限り紫さんは嘘をつけない。
そういった事情から猫の中では〝紫さんに質問してはいけない〟という暗黙のルールまである。
猫に入るまでの紫さんはこの能力を活かして、弁護士をやっていたらしい。
当たり前だけど凄腕の弁護士だったとか。
それじゃあ……僕がやります。
えっ、そう?
じゃあ輪くんよろしくね。
僕が郡山 静雄に右手をかざすと、
彼は僕の顔を見て何かを思い出したような顔をしたあと何か言いかけた。
が、僕はその言葉を最後まで聞くことなく躊躇なく彼の首を切断した。
――――躊躇なく。
○ ○
今日の仕事はあまり気分の良いものではなかった……。
アジトに帰った僕はひとりそう思いふける。
アザミさんも復讐相手だったであろう、来楽 菜乃花が自殺していたと知ってショックを受けたのか、
仕事が終わってからはすぐにアジト内の自室に篭った。
輪くん、お疲れ様。
今日は大活躍だったね。
君を猫に誘って本当に良かったよー。
黎佳さんは僕の座っている椅子の隣に腰掛けた。
僕はこの瞬間の、彼女に労われるためだけに仕事をしているような気がするんだ。
顔がニヤつくのがどうしても止まらない。
なぜ僕はあんなにも簡単に人を殺せるのだろうか。
今はこれだけたくさんの感情がひしめいているのにも関わらず、他人の命を握った瞬間だけはなぜなんの感情も湧かないのだろう。
きっと僕はどこかおかしいんだ。
何かのためならば動物や虫を殺すかのように、人間も殺せてしまう。
何もわからない。僕自身の事が理解できない。
僕の黎佳さんへ対するこの感情は恋心なのか?
――それならば僕はいったい誰の事が好きなんだろう……。