黎佳さんはコートに片腕を通しながら、愛称などは一切使わずに軍隊式を思わせるように僕らの名前を、正しくフルネームで呼んだ。
それじゃあ私と来るのは藍美輪と田地葵!
黎佳さんはコートに片腕を通しながら、愛称などは一切使わずに軍隊式を思わせるように僕らの名前を、正しくフルネームで呼んだ。
よっしゃ! 二人の足引っ張らないよう気張るぜえ!
葵さんは勢いよく両手で大きな頬をバシンとたたく。これは彼なりの出陣前の儀礼のようなものなのだろうか。
鋸と音霧(おとぎり)アザミは二人で行動!
またアザミと一緒あるネ!
……。
楽しげにはねるノコとは対象的に、肩に届くか届かないかくらいの白髪ショートカットの女性。
音霧アザミはただ首を一度縦にふるだけだった。
彼女は別に緊張しているわけでも、タバコを口に咥えているから返事ができないわけでもなく、それが彼女自身の性格からきているものだと分かるのには、彼女のクマの大きい死んだ魚のような目を見ればすぐに分かる。
――僕は最初に会った時から彼女が苦手だった。
一度、百日紅さんに〝ヤツら〟の経営する風俗店前まで連れていってもらったので出口は簡単に作れた。
大きく広げた入口から僕を含めた五人が一斉に入り込み、大きな佇まいのビルの近くまで瞬時に移動する。
このビルが〝やつらの経営する風俗店〟だ。
あ、そうだ。輪君、これ付けておいて。
黎佳さんに言われて渡されたのは、家電量販店でよく見るような小型マイクのついたヘッドセットと、顔を隠すための目出し帽子だ。
二手に分かれたチームでの連携をスムーズにするためのヘッドセットと、身バレを防ぐための目出し帽子だろう。
目出し帽子に多少の戸惑いはあったものの、僕は大人しく目出し帽子を被りヘッドセットを付けた。
上の悪事を知らない末端共は殺さないように。
目標だけを捕える。
黎佳さんの言う〝目標〟とはこの件の首謀者、もしくは賛同者。
とにかく能力を使って悪事を働いている連中の事だ。
私が中の様子を見てくるよ。
五分待って私が来なかった場合は全員で突入。おっけい?
出されたた指示に僕らが頷いた後、
黎佳さんは手を二回叩き僕らの目の前から姿を消した。
おそらく時間を止めて中の様子を見に行ったのだろう。
一分ほど経った後、消えた時と同様にまたいきなり黎佳さんは目の前に姿を現した。
しかし再び現れたその時の黎佳さんはかなり疲弊しているように見えた。
僕達がここで一分間待ったという事は、単純計算で六回連続での能力使用をしたということになるのだろう。
恐らく強すぎる能力故に使用に負担が掛かるのかもしれない。今の黎佳さんの姿を見る限り歩くのもやっとかもしれない。
けれど僕には止める事ができなかった。他の皆もきっと同じだろう。黎佳さんの憎悪にも、正義感にも似た強い信念の目を見てしまっているからだ。
目標らしき人物を……発見した。
五階……奥の部屋だっ…………中は少し複雑だったから……建物内の地図を……取ってきた。
マスターキーもだ……。
肩で息をする黎佳さんの報告を聞く限り、
単独作戦はなんとか成功したようだった。
広げられた地図はたしかに少し複雑だった。
一階は恐らくその風俗店で、それほど複雑なつくりではないが、二階以降は地図を見ても良く分からない部屋が多い。
侵入にはこの非常階段を使う……四階でノコとアザミが突入……私達三人は五階から侵入だっ……。
ノコとアザミはまず四階でこのエレベーターを壊せ……。
エレベーターを封じたら五階に行く方法は……この非常階段と、建物内の階段の二つだけ。
誰ひとりとして五階に上げるな、いいな…………?
黎佳さんは息を荒らげながらも作戦概要を説明し、
広げた地図のエレベーター部分に指をさしノコとアザミに確認をとる。
りょうかいネ!
ああ……分かった。
黎佳さんから詳しい作戦内容、緊急時の対応について充分すぎる程聞いた後、ぼくらは非常階段を駆け登った。
五階の扉前に僕らが辿り着いた頃、既に建物の中は騒々しかった。
ノコとアザミさんが下の階でわざと必要以上に暴れてくれているからだろう。黎佳さんの指示通りだ。
対するぼくらは静かに五階の扉を開け、慎重に建物の中へと侵入する。
少し古びた外観のビルからは想像できないくらい、ビルの中は小綺麗な内装だった。例えるなら高級ホテルの廊下のような。そんな小綺麗さがこの建物の怪しさをよりいっそう顕著にさせる。
慎重に先へ進み、黎佳さんと葵さんと走り続けていると、すぐに例の五階奥の部屋へ繋がる扉が見えてきた。
その扉の取手へと僕が手を伸ばしたその時、背後から男の声が聞こえてきた。
この騒ぎの首謀者はお前らか。
やめときな、ここのボスは郡山さんだ
声の主の方へと振り向くと、おおよそ三十代前後で紺色のスーツを綺麗に纏った紫色の髪が特徴的な男がこちらを向いて立っていた。
悪いが……それはできない。
ここのボスとやらは……能力を使って悪事を働いている。
悪いことは言わない……君も早くここから逃げた方がいい。
なんなんだお前らは。
警察……じゃあないよな。
たしかに目出し帽を被った集団を見れば誰でも分かるよなあ……。
完全にこっちが悪人っぽいな……。
ああ、なんだお前らアレか、アレ。
〝虎〟か。
じゃあこんな忠告聞く耳持つはずもないな。うん。
まあなんにせよお前らには同僚が散々にやられたもんでね。
覚悟はできているんだろうな? あぁ?
男は徐々に熱り立つ。
なんだぁ?
そういうアイツは狛犬か……。
ハッ、俺らを虎さんなんかと間違えるとは心外だよな。
なぁ? お嬢。
きっと葵さんは『虎に同僚が――』と言った男の言動から相手が狛犬である、という事を受け取ったのだろう。
虎というのは、猫とはまったく別の過激派テロ組織だ。
目標を遂行するためならば一般人をも巻き添えにする。
個々の能力は決して強くはないが、人数の多さから、猫と同じかそれ以上の知名度もある。
数年前に〝虎〟と〝狛犬〟との大きな戦闘があり、大量の死傷者がでた。
それ以来〝虎〟は危険な組織として世間一般に知られるようになった。
余談だが〝虎〟というネーミングは「猫より強く」という意味合いを込めて付けられたものらしく、どうやら黎佳さんはそれを良しとは思っていないみたいだ。
なにをごちゃごちゃとお話してやがるんだよ。
なんでもいいけどよぉ、お前らがやる気ならこっちも本気でいかせてもらうぜぇ……。
紺スーツの男が纏う雰囲気が変わった。
産まれて初めて本物の殺気というものを向けられた僕の全身は小刻みに震え、背筋からは冷たいものが走った。
初めて黎佳さんと会った時の殺意はやはり威圧するためだけの偽物だったと今さら、自覚した。
今すぐにでも逃げ出してしまいたい。
狛犬だ、注意しろよ輪。
作戦通りいくからな。いいな?
葵さんが僕の恐怖心を察したのかまだ新人の僕に小声で言って聞かせる。
これには「冷静になれ」という含意も込められているのだろう。
たしかに僕の能力は客観的に見てみれば、
郡を抜いて強い方なのかもしれない。
が、戦闘については彼らの方が僕よりもよほど熟知している。
この場において誰よりも僕だけ圧倒的に場数が違うのだ。
くっ……狛犬か……。
わかったよ、やめてくれ……降参だ。
流石に狛犬の精鋭相手に勝てる気はしねえや。
葵さんはゆっくりと両手を上げて負けを宣言した。
はあ?
お前らお馬鹿さんか?
散々ここで暴れまくっておいて今更降参なんかじゃすまねえんだよ!!
そうか……だよな。
じゃあ一つだけお願いするよ。
――能力は使用するな。
両手を上げていた葵さんが紺スーツの男へと指をさす。
あぁん? だから聞くわけねえだろうがボケッ! カスッ! クズッ! ゴミムシがあああ!!!!
ブチギレてるじゃん!!
こええええええ!!!!
紺スーツの男が右手をピストルのような形にして僕らに指先を向ける。
パン
彼がそう口頭で効果音を口にすると少し遅れて破裂音のような……恐らく本物の銃声が聞こえた。
そして僕のすぐ近くの壁には銃弾が埋もれたような痕。
損傷した外装がパラパラと剥がれ落ちているのを早急に一瞥して確認した。
彼が指先をこちらに向けた時点で既に念のため、
ほぼ一列縦隊の僕と黎佳さん、葵さんの前に扉を作っておいたので扉を介した銃弾が僕らに当たることはなかった。
おそらく奴の能力は〝指先から銃弾を発射〟する能力……ですね。
ちっ外した!? それとも誰かの能力か?
まあいい能力に関してはそいつが言ったとおりだ。
でもな? 人差し指だけじゃねえぞお?
両手の指先から無限に銃弾を出せる。
一瞬で蜂の巣なんてことも簡単簡単かーんたんなんだァ!
紺スーツの男は今にも笑い出しそうにニヤニヤと、そしてペラペラと自分の能力をわざわざ説明してくれた。
ふう……どうやら輪の言った"アレ"ではないようだな……。
輪くんのせいで無駄に緊張しちゃったー……。
はあ……でもまあ少しは私も体力の温存できたし、葵のカードも既に出ちゃってるしね。
じゃあ、もういいよ!
カード……? うわっ! なんだこれ!
ちくしょう取れねえ! 何しやがった!!
紺スーツの男の胸には先程までにはなかった、黄色いカードがついている。
これは葵さんの能力『イエローカード』の効果だ。
対象者に「○○するな」と警告したのち、
五秒以内に対象者が警告された行動をおこなった場合イエローカードが一枚加算される。
イエローカードは対象者の胸に貼り付けられるようにして具現化され、葵以外は外す事ができない。
イエローカードが二枚貼り付けられた時点で対象者は六十秒間その行動を制限される(「心臓を動かすな」等本人にはどうしようもない事には警告できない)。
一度した警告内容は同じ対象者に二度使う事はできない。
また対象者が警告にしたがった場合、その対象者には以後『イエローカード』は一切使用できなくなる。
この『イエローカード』を使い
「能力を使用するな」
と警告することで相手がどんなに分かりにくい能力であろうとも、イエローカードが出れば能力を使用したという事が分かる。
この応用で制限だけではなく相手の能力を確定させるということもできるわけだ。
いやあ、この使い方を輪が教えてくれなかったら一生気づかなかったかもな、俺。
葵さんが言う通りこの応用は、僕が葵さんの能力を聞いて思いついたものだった。
――突入前
それじゃあそんな感じで……もし悪意ある敵が現れたっ……場合、輪君の能力でぶった切って……。
ちょ、ちょっと待ってください!
ん? なに? やっぱり殺しは怖い?
いえ。それは別に。全然。
……。
面白いネ。
言動は明らかに別人のようなのに……。
いつもの輪と変わらない……?
絶対にあるはずの……違和感がない?
……それならどうしたの?
あの、僕の能力なんですけど……たしかに戦闘においては最強と言っても良いかもしれないんですが、この能力のデメリットとして手加減がないって事が問題なんです。
……手加減がない? というと?
興味津々なのか、黎佳さんが僕に顔を近づけて聞いてくるせいで目をそらしてみるが、それでも顔が自然と赤らんでしまう。
ゴホンっ……あのっ、えっとですね……。
つまりもし相手の能力が〝能力を反射する〟なんて能力だったり〝与えたダメージに比例して発動する〟タイプの能力を持っていたら、ちょっとヤバイかなって……。
んー、まあそんな事めったにないだろうけど、輪くんの心配性も筋金入りというか。
でもたしかに即座に思いつきはしないけど輪くんと相性の悪い能力があるとしたら……
それでなんですけどね、相手の能力はわからないわけですし、もしかしたら相手が嘘を言う可能性もあるわけじゃないですか。
例えば『俺の能力は電気だー』なんて言っておきながら実はスタンガン持参で、本当の能力は反射だとか……。
そういうのを避けたいので、できれば葵さんの能力で――
黎佳さん達の言った『〝アレ〟じゃなくて良かった』というのはつまるところ危険要因がある未知の相性の能力ということだ。
僕は人一倍臆病。
――だが僕に害がない事が分かったならもう充分だ。
輪君早くいくよー?
黎佳さんと葵さんは既に五階奥の部屋へと向かう扉を開け、
中へ入ろうとしている。
――僕は二つに切断された、かつて紺スーツの男だった血溜まりのソレに背を向け、黎佳さんと葵さんの後追った。