猫に入って一ヶ月目の朝。
日めくりのカレンダーをめくり、上着を羽織って、猫のアジトへと繋げる扉を作る。

扉をくぐり抜けると、
壁からも床からも光の差し込む余裕が一切ない一面コンクリートの薄暗いアジトが見えるはずだった……が、今日は違った。

 いつもは殺風景な部屋が、赤や青や黄や緑……たくさんの色の紙で作られただろう鎖型の装飾が壁中に施されていて、
いつもは招集性のない無造作に置かれていた椅子や机も部屋のど真ん中に集められ、綺麗に並べられていた。

 何かをお祝いするような、その懐かしい景色に戸惑い呆然と立ちすくんでいると、めでたい色のとんがり帽をつけた大柄でイカツイ風貌の葵さんが大きなホールケーキを中腰で運んできた。


 ふと、葵さんの目線がこちらに向けられて目が合う。

数秒の沈黙の後、

田地 葵

あ、やべ……。

――これにはついつい口角が上がってしまう。

藍美 輪

遅れちゃいましたか?

神母坂 黎佳

いやあー!
サプライズじゃなくなっちゃったけれどもー…………とにかくっ!
藍美 輪君の〝正式加入〟をお祝いしますー!

いざ! かんぱあ~い!

黎佳さんの腑抜けた乾杯の音頭に続いて、
他の構成員たちも「うえ~い」とグラスを片手に、
これまた腑抜けたような声で盛り上げる。

そして乾杯の音頭から始まったパーティーのようなものは、大きなテーブルを囲むようにして僕を含めた九人が席に座り、各々が和気あいあいと談笑している。

藍美 輪

あの……僕ってまだ〝正式加入〟じゃなかったんですか?

神母坂 黎佳

ごめんね、騙すつもりはなかったんだけどさ。
実はいままで色んなテストをこっそり輪君にしていたんだ。
私たち猫の間で〝加入〟は職場体験テストみたいなものなの。
そしてそれに輪君は見事合格。
晴れて今日から〝正式加入〟ってこと。
やっぱり味方を選ぶからには慎重に行動しないとねっ。

藍美 輪

いえ、それは良かったですけど……。
もし不合格だった場合、僕はどうなっていたんですか?

これについては少し聞くのが怖い気もしたが、
好奇心からかやはりどうしても聞けずにはいられなかった。

神母坂 黎佳

私達に関する記憶だけを消して、ちゃんと普通の日常に送りかえすつもりだったよ。
最初に会った時に言った『殺す』なんていうのは嘘っぱち。

ワイングラスに入ったグレープジュースを口に運びながら、僕へと横目で軽くウィンクをする黎佳さんのその姿からは嘘を言っているようには見えなかった。

藍美 輪

そんな能力者もいるんですねー……。

実は僕はこの時まで構成員の能力は一切知らなかった。
それは恐らく正式な加入ではなくテスト段階だったからなのだろう。

不合格の場合の情報漏洩……は記憶を消せる能力者がいるし、恐らくスパイなど悪意を持っている人物が来た場合の対策なのだろうか。

神母坂 黎佳

ふふん!
猫のみんなはひとりひとりは面倒くさい奴らばかりだけれど、各々はとても優秀な奴ばかりなのだ!

黎佳さんは急に席から立ち上がったと思ったら、
腕を組み、子供のような無邪気さで誇らしげに僕に自慢してきた。

それほど黎佳さんにとって猫という組織は大切で愛おしいものなのだろう。

神母坂 黎佳

さあさあ!
晴れて正式加入となった輪君には、
今からその優秀な構成員の皆さんからの自己紹介を聞ける権限があたえられまーす!

黎佳さんの間の抜けた口調のせいで簡単に聞こえてしまうが、
一般人には能力どころか構成員一人の名前すら開示されてはいない。

そんな組織〝猫〟……
その全員の自己紹介という事は、仲間として今やっと認められたということに繋がる。

大犬 涼

じゃあまず俺から……。

一番に声を出し立ち上がったのは、およそ二十五歳前後の男で、金色に染まった短い髪がよく似合うツリ目の男だった。

大犬 涼

大犬 涼(おおいぬ りょう)だ。
能力はさっきあんたらの話しにでていた『記憶消去』

そういった彼は丸い机をはさんだ奥の方に座っていたので、わざわざ握手しにいく距離でもないと思い頭だけを下げた。
それを見た涼さんは、僕に向けてグラスを軽く上げてから席についた。

次に声をあげたのは、僕の右隣に座っているベロニカさん。
およそ二十歳前後で長いブロンド髪が良く似合う綺麗な女性だ。

ベロニカ

一度会った事があるわね。
私は基本アジトから出ることがないから、何か分からない事があったらいつでも私に聞いて。それじゃあ改めまして私はベロニカよ。よろしくね。

……面倒だから聞かれる前に答えるけれど、フランスと日本とのハーフなの。

そう言って右手を差し出してきたので、僕もそれに合わせて左手を差し出し、軽く握手を交わした。

なんだか無駄がないというかテキパキとしているというか、彼女とは初めて会った時から今も変わらずそんな印象だ。

ベロニカ

私の能力は、
『TWIN SISTER《ふたりのベロニカ》』
自分の、容姿、才能、能力……とにかく何もかもが遺伝子レベルですべて同じコピーを一人作り出せるの。
そしてそのコピーの意識すらも別のものでなく私自身……ややこしいけれどつまりこの世に私が二人いるってことね。

ちなみにコピーのベロニカは今も警察の諜報部でせっせと働いているわ。
働きながらパーティーしているのよ、素敵でしょう?

藍美 輪

ユニークな言い回しといい、なんだか海外ドラマを見ている気分だ……。

藍美 輪

あの……一ついいですか?

ベロニカ

あら? 何かしら?

藍美 輪

警察官って事は……つまりはスパイって事ですか?

ベロニカ

そうご名答よ。
だからこそオリジナルの私はここで身を隠しているの。
戸籍上、私に姉妹も双子いないからね。
顔も身長も瓜二つな私達二人を誰かに見られでもしたら言い訳に困るのよね。

ベロニカ

そして何よりこのコピーを作る力は人生でたった一度きり。
二本線のショボい能力よ。
コピーが死んでも私自身に問題はないけれど、
もしそうなった場合は零本線と同じようなものね。

まったく使い勝手が悪いったらありゃしないわ。

そう言ったベロニカさんは肩を竦め、軽く嘆息した。

藍美 輪

もしコピー側ではなく、本人が死んだらどうなるのだろうか……。
いや、これは流石に聞けないよな……。

藍美 輪

で……でもコピーの能力はぜんぶオリジナルと同じなんですよね?
その若さで諜報部ってすごいですね。

ベロニカ

ふふっ、二十二歳よ。
この能力の幸運だった所は私が圧倒的な天才だった……ということね。
私だからこそ最大限有効に使える能力なのよ。
能力の方にこそ感謝してほしいわね!

べロニカさんは自身に存分に陶酔して、
虚空を恍惚の表情で見上げ、そのまま硬直した。

まるでそこだけスポットライトでも浴びているような錯覚に陥る。

カノジョ少しナルシストなとこあるネ、見た目にまどわされちゃだめヨー。

お団子頭をした女の子が、カタコトの日本語でわって会話に入ってきた。

ワタシ鋸(のこ)いいマス。
十六歳デス。
能力は『暗器』アル! よろしくネー!

動かなくなったままのベロニカさんの奥から顔をひょこっと覗かせて、
閉じたような細い目でニコニコと笑いながら小さく手を振ってくるので、つい僕も反射的に手をふりかえしてしまった。

他の残り四人の自己紹介も終え、いよいよ黎佳さんの番にまで周った。
黎佳さんは長い髪を垂らしながら、スッと静かに立ち上がると、さっきまで騒々しかったほかの構成員達が急に静まりかえった。

神母坂 黎佳

それでは……皆さんご存知の神母坂 黎佳です。
〝猫〟のリーダーをやらせてもらっています。歳は十七、高校二年生……。

透き通った声が僕の耳にまたスルリと入り込む。
それと同時にやはり何か郷愁のような感情が胸の奥から湧いてくる。

彼女のグラスアイのように一点の汚れもない綺麗な朱色の瞳や、高い鼻、艶かしい程の白い肌は陶器のようで、川のようにせせらいで揺れる黒い髪は一本一本調べてみたとしても乱れはないだろう。

触れると崩れてしまいそうなほど華奢な身体つきなのにもかかわらず、足には根がはっているかのような堂々とした姿勢の良さからか、凛々しさまでもが滲みでている。
そんな彼女が視界に入ることで、より強く彼女の声が僕の耳にも、そして皆の耳にも入り込む。
一瞬で彼女のカリスマを体全身に感じた。

六本模様の力だけでこんなヤバイ組織のリーダーで、尚且個性豊かな面々をまとめ上げているという事実に不釣り合いだとずっと考えていた謎も少しは分かってきた気がする。

神母坂 黎佳

法で裁ききれない悪を裁きます。
どんな茨の道がこの先にあろうとも、勧善懲悪をもって悪を徹底的に根絶やしにします。

……もし私達能力者がいない世界だったら、という事を想像してみてください。
悪は、国が、警察が裁くでしょう。
すると内部の悪は誰が裁くのでしょうか? 
裁くことが出来るのしょうか?

けれど私達の住むこの世界は違う。
各個人が強力な戦力を持っている。
裁ける力を持っている。
だから私は動きます、この世界をより良い世界とするためだけに……。

 黎佳さんの自己紹介とは到底言い切れない演説のようなものは、僕の心を強くうった。
他の皆もそうなのだろう。
各々が深く感慨して数秒の沈黙が起きた。

 こんな黎佳さんを僕はこの時初めて見た。
普段、人を小馬鹿にするような態度で飄々としてばかりいる黎佳さんしか知らなかったから。
…………だから少し怖くもあった。

そして何が黎佳さんをここまで突き動かしているのだろうかと考えると、



――同時に切なくもなった。

大犬 涼

あ、黎佳さん。能力紹介忘れてますよ。

最初に沈黙を破ったのは涼さんだった。

神母坂 黎佳

あー、そうだった、そうだった。
それじゃあ今から能力を見せるから。
輪君、私の能力当ててみてね!

 つい先程までの様子とはまるで別人のように一変していつもの調子で軽口のように言ったあと、
両の手をパンパンと軽く二回叩くと僕の目の前から姿を消した。

 驚いてあたりを見渡すと黎佳さんは〝また〟いつかの日のように、気づけば僕の真後ろにいた。
 
 瞬間移動……とも一瞬考えたが、黎佳さんが着ていた服が、さっきまで着ていたそれとは別の服になっていた。
 ――つまり、

藍美 輪

時間を止める……ですか?

神母坂 黎佳

ぴんぽおーん! 大正解です!

黎佳さんは人差し指を僕に向けてにひひと笑う。

神母坂 黎佳

輪君が女心に疎かったら、瞬間移動って答えているところでしたねー。

 軽いジョークを黎佳さんが大声をあげて飛ばすと、
もう既に僕以外の人間は完全に酒で酔っ払っているのか、みんなはいつも以上の大声をあげて笑う。

しかしその場で僕だけは笑う余裕もなく固まっていた。

藍美 輪

時間を止めるって……手を二回叩くだけでですか!?
しかも服を着替えられるって事は……最低でも三十秒は止められるんじゃっ――

僕はその時あまりの理不尽な能力に心底動揺した。

神母坂 黎佳

うん、いい考察だね。
〝時間を止めていられる時間〟
……って言うとおかしいけれど、まず二つの制約について目をつけたのはさすがだね。
ご褒美にその制約について答えてあげよう。

ごくりと生唾を飲み込んで僕は黎佳さんに目を向けて聞き入る体制にはいるが、他の皆は既に談笑しはじめている。
おそらくもう既に皆は黎佳さんの能力を知っているのだろう。

神母坂 黎佳

まず手をニ回叩いて時間を止める。
それは正解。

そして時間を止められる時間……私の体感時間で調子が良ければ最高は約百二十秒くらいは止められる。
そして再使用のインターバルに十秒くらいってところだね。

藍美 輪

百二十秒って……。

多く見積もって三十秒と答えたはずだった。
それなのにその四倍もの数字を出され僕はあまりの衝撃に絶句した。
いや、ただ返す言葉が出なかった。
頭の中の回路が完全にショートして飛んでいたのだ。

神母坂 黎佳

ふふ、じゃあもう一つの制約も。
それは時間を止めている間に起きる制約でね、〝時間を止める前に動いていた物〟には一切干渉できない。
たとえば高速で発射される銃弾なんかもだしー……あ、でも触れられないだけで避けたりはもちろん出来るんだけどね?

あと常に動き続けている生物もだめね。
たとえ微動だにしていないように見えても、完全に停止することなんて生物にはできないもの。きっと心臓なんかも動いているうちに入るだろうし。

神母坂 黎佳

だから時間を止めている間に、どうこうする事はできないんだ。
逆にいえば机や石なんかの時間の制止以前に動いていなかった物は動かせるの。
早着替えした服なんかがそうだね。

それとナイフを投げて時間を戻してやる……なんて漫画もあったけれどあれもダメみたい。
物を投げるって行為自体ができないんだよね。これは多分なんだけれど、止めた時間の中では〝私が触れていることで止めた時間の中を動かせる(持てる)だけ〟で〝私の手から離れてしまう〟投げるって行為自体がそもそもできないのよ。

藍美 輪

人間に干渉はできないんですよね……?
つまり時間を止めて人間にナイフを刺すとか、
人間を持ち運んで別の場所に移動させるとかはダメ……と。

神母坂 黎佳

そういう事。
色々と面倒くさいけれどさ……それを取っても便利な能力でしょう?

藍美 輪

正直、理不尽すぎますね……。

神母坂 黎佳

ふふふっ、
私は輪君の能力の方がよっぽど理不尽極まりないと思っているけどね?

そう言って悪戯に笑った黎佳さんの笑顔は、
僕の脳裏に焼きついてしばらく頭の中から離れなかった。

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