僕、藍美 輪(あいび りん)は中学二年生の冬、自分の能力を知った。
僕、藍美 輪(あいび りん)は中学二年生の冬、自分の能力を知った。
廊下側の扉上に〝二年B組〟と書かれたプレートが示すこの教室は週五で僕を拘束する。
夕日から出てきた橙色の閃光が、ひどく憎たらしいこの教室に差し込む。
教室がこんな寂寥とした色合いになる頃には、
校内に人はもうほとんど残っていない。
僕は時々この時間まで教室に一人残り、
校内の人気が減ってきたのを確認したら、
校舎で一番利用者が少ないであろう三階奥にある男子トイレの扉を開く。
もちろんトイレに入ってからも個室を一つ一つ開けて、人が入っていないかを入念に確かめる。
誰もいない事が確認できたら、一番奥の個室から一つ手前の個室に入る。
僕がそこを選ぶ理由はいたって単純で、一番奥の個室は外窓が近いからだ。
個室にさえ入ってしまえば誰かに見られる心配はないが、個室に入るとこを窓の外から誰かに見られてしまうかもしれない。
僕はどこまでも臆病に行動する。
トイレ個室に入った僕は、開いた右手を正面につきだし、目を閉じる。
そして自分の部屋を頭の中で強くイメージするんだ。
――そうしたらほら、扉が出てくる。
ゆっくりと閉じた目を開くと眼前には黒と呼ぶには色を帯びきってない、
円形で、そして平面の、もやもやと漂った空間が現れる。
〝現れる〟というよりは、〝僕が空間を捻じ曲げて出来た〟と言った方が正しい。
そのもやもやとした空間の中に右足を踏み入れると、入れた右足が消える。
何度みても奇妙な光景だ。
その空間を勢い良く潜りきると、
そこは先程、目を閉じてイメージした僕の部屋に繋がっている。
ただいまー……あっ、玄関に〝開ければ〟よかった。
視線を自分の足元に降ろして気付いた。
〝扉の開ける先〟を自分の部屋にしてしまったために、上履きのまま土足で自分の部屋に上がり込んでしまった。
トイレから来たっていうのに……。
これが僕の能力。
空間を捻じ曲げて〝扉〟を作る。
右手でかざした場所を入口に、目で目視した場所を出口に。
目視とはいうが強くイメージに残っている所なら、遠く離れた場所でも、目を閉じて数秒程その場所をイメージするだけで出口ができる。
入口と出口は同時に形成され、どちらか片方だけを作る事はできない。
『入口』『出口』と名称しているが、出口からは入れない、というわけでもなく入口、出口、双方から入ることも出ることもできる。
飽くまで『扉』だということだ。
またその扉のサイズも自由自在に作りだせるし……つまるところ、とても便利な能力というわけだ。
帰って早々と部屋の隅に置かれたベッドに腰掛け、近くに置いてあったリモコンを手に取り、テレビをつけた。
えー、今入った情報によりますと、アゲラタム銀行での立てこもり犯は能力者のもようです。
現在詳しい能力や犯人の素性などを、
国家特務機関〝狛犬〟が最善を尽くして調査しておられるようです。
気まぐれでつけたテレビの中ではアナウンサーが物騒なニュースを伝えていた。
あー……この銀行知ってる。
扉開けられるな……。
○ ○
眠りから目覚めたら、枕元に置いてあるデジタル時計は19:00になったばかりだった。
眠たい目を擦りながら、リビングへと向かう階段を降りる。僕の部屋は二階にあって、そのため夏場なんかは酷く蒸し暑い。
リビングでは父がテレビのニュース速報に釘付けになっており、母はリビングと一体型になった台所でせっせと夕食の準備をしていた。
あら、寝てたの? もうご飯できるから二度寝しちゃだめよ
わかってるよ
食事中は父も母も〝立てこもり事件解決〟と、
でかでかとテロップが表示されたニュースに見入っていた。
いやー、それにしてもすごいな。
犯人って〝五本線〟だったんだろ?
見事人質も救って、犯人も取り押さえて、
〝狛犬〟様様だな!
ビール片手に食事をする、ほろ酔い状態の父のテンションに寝起きの僕はついていくことができず「だね」とだけ適当な相槌をうった。
お前も五本線だったらなあ、狛犬なんかに入っちゃったりして!?
あーあー……くそー藍美家(うち)の家系は代々小線だから……
「かぁー!」っと愚痴る父に、
母は目だけでそれ以上の愚痴を制止している事に僕は気がついた。
…………
あっ……いや別に〝線なしっ……零線〟でも気にする事なんてないんだぞ!
ただちょっと父さんの上司の息子が四本線だとかいうもんで、散々自慢されるものだからな。
えーと……
地雷を踏んだかのような青ざめた顔でとっさにフォローをしてくる父だったが、どんどんと墓穴を掘っていく。
そんなに気を使わなくていいよ、父さん。
僕、これでも十七年も無能力者をやっているんだから。
今更気になんてしてないよ
事実『気にしてはいない』が『十七年無能力者』というのは真っ赤な嘘だ。
僕は〝三年前の中学二年生の冬〟突然能力が開花した。
そうよ。私のおじいちゃんだって零線の無能力者だったけれど、とってもいい会社に入れたんだから。
世の中能力だけじゃないわ
狼狽している父を見かねてか、母が変わって冷静にフォローをいれる。
ありがとう母さん。
でもね、母さん違うよ。違うんだ。
世の中の大概の事は能力で決まってしまうんだ。
そう言いたい気持ちを抑え「そうだね」と出来る限りの優しい笑顔を被って同調する。
変にこのあと気まずくなるのも嫌だったから。
部屋に戻った僕は勉強机に向かい、数学のノートと教科書を開いた。
しかし開いてみたはいいものの、家でまで勉強する気がおきるはずもかった。
僕は教科書とノートに書かれたたくさんの数字の羅列をただ眺め、嘆息を一つ吐いたあと、鉛筆を手にしたまま、回転式の椅子をクルっと百八十度回転させ、背にしていたテレビに体を向ける。
寝る前に消し忘れたテレビ画面の向こうでは狛犬(こまいぬ)所属、今回のお手柄、松寧宗谷(まつねいそうや)が不機嫌そうにインタビューに受け答えしている。
貴重な戦闘向きの五本線持ちとして、よくテレビで見かけるため、顔を見ただけでもすぐに名前がわかる。
能力には基本〝五本線から線なしの零線〟までの六つのランクが有る。
その更に上の六本線が最も高く、無能力者の線なしを除けば一本線が最も低いとされている。
とは言っても六本線なんていうのは都市伝説レベル……いやオカルトや御伽話、神話のような存在で、
実在しているのかどうかすら怪しまれている存在だ。
しかし古い文献には確かに六本線が存在していたという事実があるのでお偉い学者さん達なんかはその存在を疑ってはいない。
事実授業でもオマケ程度で六本線の存在が示唆されているが、教師ですら信じてはいないのだろう。
ちなみにほとんどの能力は日常生活に、少しの役に立てるかどうか、という程度の力しかない。
本数がどうやって選別されているのか、
詳しい事はまだ良く分かっていないみたいだけれど、どうやら現代において有効的なものが、多い本数になっているようだ。
例えば車や電車があるこの時代において
『時速三十キロメートルで長時間走れる能力』
なんていうのはせいぜい二本線か三本線の間くらいだろうが、
『車や電車なんてものがない時代には五本線程であった』と歴史を担当している教師が言っていた。
自分の本数の確認方法は、能力が開花している場合に限り、各々が身体のどこかに線が現れる。
顔に線ができる人は本当にごく稀だが、
たまに見かけるとかなり悲惨に思う。
一般的には太字のペンで引かれたバーコードのような線が等間隔に引かれているのだが、
ごく稀に十字やうねった線で模様のように見えるものなどもあり、
そういった線は亜種と呼ばれ、
同じ本数の線でも亜種の方が力が上であるとされているらしい。
戦闘向きの五本線……か。英雄……ねえ。
目先におにぎりサイズの入口を僕は開いた。
出口は目を閉じて真後ろの机の上をイメージする。
手にもった鉛筆を半分まで"入口"に差し込み、
その後入口と出口、両方の扉を閉じる。
カランと後ろで鉛筆の落ちる音がする。
僕の手には、綺麗に半分切断された鉛筆。
この能力は物体がくぐり抜けている途中でも扉を閉じると、
それがどれだけ硬いものであろうと容赦なくソレを切断して扉を閉じる。
戦闘向きの六本線模様か……
三年前に僕の肩に浮かび上がった六重の丸い線が妙にひりひりと痛む気がした。