【2034年、イバラキ。飼葉タタミ】
【2034年、イバラキ。飼葉タタミ】
深夜、皆が寝てから藁の寝床を抜け出した。広がる星空を前に大きく息を吐き出す。
――生まれて初めてデートをする。
その事態に胸の高鳴りが止まらない。
『……今日はどんなデートをしますか? アナタ?』
質店罵倒、違った。七転八倒する。草の葉の大地は冷えに冷えていたけど、……わたしには寧ろ心地よかった。
誰にも内緒だぞ?
うん!
先生の手を取って立ち上がる。彼の腕を絡め取った。
自分の胸に抱いた手のひらはやっぱり大きい。大きくてとても温かい。
いたる所閉まった隣町の店店を歩く。街灯ばかりが点々と灯る街。寂しいけれど、それでもわたしにとっては他のどの都市よりもファッショナブルだ。
ウィンドウ先、ハロウィンの予兆を感じさせるカボチャのオブジェがわたしへ笑いかける。箒に乗った魔女のリースが灯りに煌めく。
わたし達は街を、この世界を笑いながら歩いた。
何もない街を2人で笑い、語り廻った。
そんなわたしはデートの最後、先生にどうしても伝えたいことがあった。1つだけどうしてもお願いしたい事があった。
『ちゅー、していい?』って。
言いたいのにその一言が言えない。声にならない。
ちゅ、が、あ、とね、
言えない! 言えない。顔が熱くてすごく苦しい。
街の灯(ひ)を背に、あの月を背に先生が腰を屈めてくれた。
わたし、……先生が好き。
爪先立ちわたしは静かに目を閉じる。寝静まった町の片隅で月を背にした彼のおでこに、大好きの『ちゅー』をした。
【2034年、イバラキ。ヒト腹創】
早朝、朝一番に身を清めた。過ちは決して認められない。失敗は許されない。
久方ぶりに白衣へ身を通す。
皺の無いキレイな執刀着だった。きっと、みれいが大切に持っていてくれたんだろう。圧倒的感謝しか無い。
手術のメイン、緋色に繋げる生体金属の錬成には可能な限り火を加えないことで話が進んだ。接合部を鋼で覆う形とし、その型となる鋼の方に火を入れることにした。
型、土台の鋼板の加工、錬成には隣町の金内さんが協力してくれた。
『剛さんの息子の頼みなら』と彼らは陽気に微笑む。
鋼を打ち終えるまでにボクは緋色の身体を弄る。それを始めるのが手術日決定の翌日、つまりは今日だ。
緋色の気が冷める前に決めておきたかった。
間に『黒い宝』の一部を挟むとはいえ、緋色が奈久留に、ペスティスに馴染む必要があった。
その抗体を撃ち込む作業が今日の肝(メイン)だ。
農場校舎に在った無菌室、そこに一部のメンバーを集める。
『緋色』。そして執刀担当の『ボク』。補助に『みれい』と『楽々』。タタミは呼ばなかった。
寝せた緋色の肩口を殺菌する。奈久留の黒い腕を定位置に設置。その腕と腕を繋ぐ型を間に挟める。
はじめます。
宣誓した。『みれい』と『楽々』がボクの隣りに着く。
電子メスで奈久留の腕を切開。神経を仮型に詰めていく。マチューとヘガールで肉を肩型へ収めていく。
麻酔で眠る緋色のその肩も切開、鑷子(せっし)とヘガールを用い鋼糸で縫いつけていく。
疑似神経を幾つも埋め込む。ホームから持ち帰った人工筋肉をその外側に幾重にも植え付ける。
手術は良好に進んだ。
一番恐れたアレルギー反応が『想定内』で収まった事が大きかった。
手術が始まり1時間と32分、びくり、びくり、と『暴れ大きくのたうつ』くらいだった。
……!
みれいは涙を零しながら、緋色の身体を抑え込んでいた。弾き飛ばされ、その拘束から逃れようとする生物(ひいろ)の本能に逆らいマスクの中で嗚咽を漏らして、楽々と2人がかりで抑え込んだ。
交替で緋色を見守る。
2人の涙を見、暴れる緋色を麻酔で抑えつけ、そして5日が経った。
緋色を好いている『あの子』をこの面子に加えなかったのは正解だった。
金内さんが届けてくれた金型、『黒い宝』を核に埋め込んだ鉤爪を、緋色に接合する。
疲弊し寝ていた緋色が目を覚ました。彼は自身の新しい腕を視て感慨深く呟いた。疲れ眠った『みれい』と『楽々』を起こさないように、優しく穏やかな言葉で話した。
……小さいなぁ。奈久留。本当に小さい。
お前が大きくなりすぎたんだよ。緋色。
そっか。そうだよな。
ボクはここに宣言する。旧知の友の復活を謳った。
これがお前の新しい腕、奈久留(ナックル)を超えた力、『ブロウ』だよ。
『ブロウ』は神の力を秘めていた。そこに意志があり、彼女(ブロウ)はその輝石を通じて言葉を話した。
【……緋色?】
うん。俺だよ。奈久留。
ブロウは7年前のあの頃と同じように煌めいていた。キレイな形をしている。爪の曲線が美しさと力強さを魅せつける。
奈久留。俺が、お前の腕を貰ってもいいかな? 守ってあげたい子が居るんだ。俺にチカラを貸してくれ!
【あたしの名を呼んで、緋色】
その鋼の爪を撫で緋色は語った。
黒いクマを模した女神。『黒熊(こくゆう)ブロウ』
在りし日と同じように彼女がおどける。笑うように黒の輝石は煌めいた。
【ありゃ、意外にかっこいい名前だ】
かっこいいだろ。だから、
【うん。あたし『黒熊(こくゆう)ブロウ』が、緋色を守るよ! この腕で、圧倒的チカラで】
緋色の笑みに『奈久留』が応える。
【このチカラ、砕け散るまで!!】
黒い輝石はまるでヒトの子のように雫を零した。