ふたりのやり取りが、膜の向こうで響いているかのように、ぼんやりと頼りない。
……と、こんな感じだよ
ざっ、雑なまとめ方するねえ……
ふたりのやり取りが、膜の向こうで響いているかのように、ぼんやりと頼りない。
私は、言葉を失っていた。
なにも、言えなかった。
なにについて話せばいいのか、わからなかった。
…………
……いいよ、舞花、焦らなくて
ゆっくり、考えて
なにをまとめればいいのかもわからなかった。
おじいちゃんは、おばあちゃんのために、自分の寿命を売っていた……いや、買っていた、おばあちゃんのための時間を。
五年ぶんの寿命を残して……亡くなってしまった。
由宇は、おじいちゃんのため、おばあちゃんのため、そして––––––––––私のために、人生を売った。
十五年分の、人生。
そのすべてを失って、もう一度、生きる。
––––––––––その先の保証はなにもないというのに。
……どう、して
やっと出たのは、もう訊いてもきっと無意味な質問。
……僕に出来る、最善のことを、したかっただけ
でも、やっぱり、由宇だけが背負ってるなんて、おかしい
舞花、ストップ
言ってから、気づく。
今聴いてきたすべての話を受けて、こんな言葉しか渡せないなんて、あんまりだ。
ごめん、由宇、私まだ、全然考えをまとめられなくて
気にしないで、わかってるよ
由宇の優しさが、痛い。
由宇は十五年間、ひとりですべて抱えて生きてきた。
そのことについて由宇がなにを考えてきたか、なにを思っているか––––––––––これからどうするか、そういうことについて私がどうこう言えることなんて、なにもない。
なにか言おうとするのも違う気がして、私は口を閉じた。
ところが、ふと、気にかかることがあることに思い至った。
あ……
なにか訊きたいこと、ある?
えっと……由宇が、由宇の人生を売って買った時間は、現実に干渉しないもの、なんだよね?
私が対価とする時間は、絶対に現実世界に干渉することのない類のものです
つまり、舞花さんは、正蔵様との再会の記憶を、保持しません
……ということは
お話が早くて嬉しいです
貴方は、対価が支払われた証拠を、確かめることが出来ません
どうぞ、この事実を、お忘れなきよう
私は本来、おじいちゃんと会ったことを、忘れたまま……ううん、今此処に居る私が、おじいちゃんと会ったわけではないから……
……この世界で起こったことではない、本来ならないもの、のはずなんだよね?
うん、そういうことになる
でも私は、記憶屋さんに行って、私が持っていないはずだった「記憶」を、「記憶」として取り戻した
……よかった、のかな
……それに、どうして取り戻せたんだろう
覚えておいてほしい、これは舞花の夢ではないよ、現実ではないが、本当に起こった出来事なんだ
おじいちゃんの言葉を思い出す。
「本当に起こった出来事」、という表現が、今になって心に引っかかる。
……本来なら、よくないこと、なんだろうね
でも、対価が確かに支払われた、その事実を知れたのは……救いだった
ふたりがちゃんと出逢えていたことを知ったとき、すごくホッとしたよ
…………
……おじいちゃんがね、ありがとうと伝えて、って言ってた
おじいちゃんは、由宇にすごく感謝してた
私からも、伝えないと
由宇、ほんとうにありがとう
…………
うん、どういたしまして
感謝されたいから、という理由での決断ではないこともわかっている。
けれど、今由宇に渡すべき言葉はきっと、これ以外にない。
……カプチーノ、すっかり冷めちゃってるね
ほんとだねえ……まあ、冷めても美味しいよ
すこしの苦みがすっと心に染みる。
そうだ、報告もしておかないとね
花楓さんが入院したままでも、時間を売ってもらうことは可能みたいだよ
時間の取引には、花楓さんと一番付き合いが長くて、親しみ深い物が必要なんだ
それを用意して、もう一度時間屋へ行けばいいってことだよね……?
…………
僕はもう、舞花に時間屋には行ってほしくない
後のことは、僕に任せてほしい
…………
それは、駄目だよ
私は行くよ、時間屋に
でも、あの店主はなにを考えているのかわからない、もう、舞花にあの店に行ってほしくないんだ
羽邑、たぶん、無駄だよ
なんかさ、明らかに部外者のわたしが此処に居てこんな話を聴いて、どうすればいいのかわからなかったんだけどね
わたしの役目って、ふたりが、それぞれ最善だと思って、選択しようと決めたそのことを、後押しすることなんじゃないかって今思った
神原……
秋帆……
ね、どうよ、今のすっごいかっこよくなかった!?
神原……
秋帆……
えっ、駄目? かっこよくない!?
自分でかっこいいなんて言わなきゃ、かっこよかったよ
ほんとだよ、そこが秋帆らしいけど
ええ~、自画自賛、大事!!
自画自賛、って言っちゃってるじゃないか
秋帆のおかげで、由宇も、私が時間屋へ行くことを受け入れてくれた。
ひと段落、息を吐いたとき、私は放っておいてはいけないあるひとつの疑問があることに気づいた。
…………っ!!!!
え、舞花、どうした?
……おじいちゃんは、おばあちゃんの寿命を延ばすために、おばあちゃんのための時間を買っていたんだよね
うん、そうだよ
じゃあ、どうしておばあちゃんは、今になって時間を買おうとしているの?
それに、おばあちゃんは、おじいちゃんが契約者だってこと、知らないんだよね?
どうして時間屋のことを知っていたの……?
そもそも、時屋さんは、おばあちゃんが時間を買うお代は、もう頂いてるって……
……そんなことを、言ったのか?
花楓様が目をお覚ましになったら、またいらしてください
わかりました。その、代金のことを……
もう頂いておりますので、問題ありませんよ
……とにかく、花楓さんと話さないといけない
ひと段落、なんてついていなかった。
今日聴いた話は、すべて、過去に起こった出来事だ。
由宇のこれからに関わる重要な話でもあるけれど、でも、そもそも私が時間屋を訪れることになったきっかけは––––––––––
そう、だね
まだ、大きな問題が残っているのだ。
––––––––––むしろ、これからが、本番なのかもしれない。
第二十六話へ、続く。