梨子ちゃんが私を好いてくれていることは知っていた。
あの不器用そうな子が必死になって話し掛けてくるのだから分かっても当然だろう。
私はもともと恋愛に性別を問わない性質なので彼女が女の子であることは問題ない。
寧ろ梨子ちゃんのように可憐な少女に慕われることは純粋に嬉しかった。
梨子ちゃんが私を好いてくれていることは知っていた。
あの不器用そうな子が必死になって話し掛けてくるのだから分かっても当然だろう。
私はもともと恋愛に性別を問わない性質なので彼女が女の子であることは問題ない。
寧ろ梨子ちゃんのように可憐な少女に慕われることは純粋に嬉しかった。
しかし私には在夜が居る。
彼とは今年の三月から付き合っていた。
在夜と初めて接触したのは昨年の十月頃のことだった。
いつものように放課後練をサボって図書室に入り浸っていると、不意に声をかけられた。
へぇ、高村光太郎が好きなの
たった今私が手にとった詩集を見て彼は言った。
振り返ると長身の男子生徒が立っている。
整った顔立ちと明るい髪色を見て、彼が誰であるかを認識した。
斎島在夜。
同学年だが同じクラスになったことはない。
確か演劇部だったか。
いつもここで本読んでるの?
本読んだり、自習したり……
弓道部の放課後練は?
行かない。
人の多いところで練習するの好きじゃないから。
誰も来ない早朝に練習する
一人で?
静かでいい。
……何故私が弓道部だと?
だって神山さん有名人じゃん
……
噂によると私は某アイドルと似ているらしい。
だから学年でも顔を覚えられている方なのだと悪友の夏澄から聞いた。
……そういう斎島はいいのか
何が?
部活出なくて。
今は放課後練がある時間だろ?
あー……まぁ、いいや
……
部活出ろよと言おうとしてやめた。
そんなことを口にすれば棚上げも甚だしい。
一回くらいサボっても大丈夫。
てことで明日から早朝練の見学に行ってもいい?
……脈絡……
前後が全然繋がっていない。
いいじゃん細かいことは
私。人が居るのやだって言った
なんかさー、神山さんいつもとキャラ違うね?
……な、
唐突な指摘に心を見透かされた気がした。
確かにあんまりぺらぺら喋る人じゃないんだろうけど、今日はいつもより素っ気ないなーと思って。
どうしたの?
、それは……
実は自分でもよく分かっていなかった。
なんだか必要以上に冷たくしてしまっている。
何故だか分からない。
在夜が私の表情を覗き込もうとするので咄嗟に顔を背けた。
すっと手から詩集が取り上げられる。
……智恵子さんっていいよね
……え
一冊の詩集になるくらい詩われたなんて、羨ましいなぁと思って
……
あ、俺詩人は中也派だけどね
ほいっと突っ返された智恵子抄を抱きしめる。
じゃあまた
軽く手を振って在夜は颯爽と去っていった。
ちゃんと部活には行ったんだろうか。
帰宅した私は広げた詩集の前で、在夜を好きになってしまったことを自覚した。
詩集の間には在夜のメールアドレスが記されたメモの切れ端が挟まっていた。
いつの間に。
絶対にタラシだと思う。
けれど惚れた側の負けだから仕方ない。
くやしい。
…………
それから私と在夜はたくさんのメールを交わしていった。
親しくなるまでそんなに時間はかからなかった。
在夜は外見に反して内省的で思慮深い人柄だった。
そしてあらゆる分野の知識へ精通していた。
ファーストコンタクトこそキザだったものの彼の内面に触れていくうちに想いは募っていった。
そして、恋人という今に至る。
眞
なに?
抱きしめたい
宣言するな恥ずかしい。
その前に既にしてるだろうが
本を読もうとする私を背後から抱きしめる在夜。
ええい邪魔なやつめ。
草枕のページがよれるじゃないか。
俺より漱石先生の方が大事?
女々しい台詞だな
ねーえー?
いかん。
在夜の吐息が耳にかかってくすぐったい。
……ばか。
言わなくても、分かるだろ
わ、耳まで真っ赤
うるさい!
そんなやり取りを交わしているとドアをノックする音が聞こえた。
はーい
うわばか離せっ
そのままの体勢で在夜が返事をする。
こいつ私を恥死させる気か。
すんでのところで在夜を引きはがすと同時に在夜のお姉さんが入ってきた。
眞ちゃんいらっしゃい。ふふ、仲良しみたいね? 邪魔しちゃったかしら
うん
いえ全然!
在夜のお姉さんはかなり整った顔立ちをしていた。
優しくて気の利く綺麗な女性。
ただ難点を挙げるならこの前話していた男と最近聞いた男の名前が違うことか。
お菓子持ってきたの。
よかったら食べてね
ありがとうございます
近くのケーキ屋のフロマージュタルトと紅茶を載せたトレイを置いていくお姉さん。
この前と違うマグカップだな
あ、気付いた?
先週来たときはタータンチェック柄だった。
今目の前にあるのは星座のイラストが描かれている。
眞は蠍座だから。
これからも来てくれるんでしょ?
……
返事してよ、不安になるじゃん
やだ
えっ……
今度は。私の家にも、来てよ
……やばい。恥ずかしい。
在夜の表情を盗み見ると、ふわりと優しく微笑んでいた。
分かった。眞、好き
私はこれに弱い。
なんでそんな綺麗に笑うんだよ。
タラシのくせに。
その頃悪友の夏澄はかなりまずい感じになっていた。
口に出しこそしないものの梨子ちゃんのことを好きだということは明白だった。
幸い私が梨子ちゃんに数学を教えていることには気付いていないようだった。
しかしこれも時間の問題だろう。
梨子ちゃんが私のことを好いてくれていることが夏澄に知れたらどうなるのだろう。
幼なじみだというなら在夜の口から梨子ちゃんに「俺と眞は付き合っている」と説明してくれればいいのに。
朝比奈って相当人見知りだよな
そうだな
俺にも眞にもまだ慣れてないみたいだし
まぁ、ねぇ
いちいち心臓に悪い話題を振ってくる夏澄。
私は本を読むふりを徹した。
中原中也の詩集?
眞の普段の趣味とは違くないか?
……在夜が、中也が好きなんだと
嘘つけ。
在夜が文学なんかに興味あるわけないだろ
……
たとえ恋などしていなくとも盲目な夏澄に落胆する半面、在夜の深い部分を知っているのはごく僅かな者のみだということを嬉しく思った。
おはよ。眞ちゃん、夏澄くん
そこに演劇部の朝練が終わった梨子ちゃんがやってきた。
朝比奈、おはよう
おはよう。
在夜は一緒じゃないのか?
在夜くんは日直だから、職員室に寄ってくるって
夏澄が梨子ちゃんを見つめている。
その目線にはどこか危ないようなものを感じた。
梨子ちゃんは気付いているのかいないのか、夏澄の視線から逃れるように私ににこっと笑いかけてきた。
あ、あのね、眞ちゃん
なに?
梨子ちゃんはごそごそと鞄の中からテスト用紙を取り出した。
昨日返ってきた、数学のテスト。
え、えっと
81点? 凄いじゃん
できるだけの平静を装いながら、私は嫌な展開を覚悟した。
ああ、バレるんだろうな。
つきっきりで教えてくれた眞ちゃんのお陰だよ……。
ありがとう
う、ん
それでね、よかったら今週の日曜日、……二人で、お出かけしたいなぁ、って
私は頬が硬直するのを感じた。
想定外だった。
まさか内気な梨子ちゃんがテストの点数を引き合いに、遊びに行く約束を取り付けようとは思ってもみなかった。
そして彼女からすれば私と二人で出掛けることはすなわち、デート。
今週の日曜日……?
梨子ちゃんの精一杯の勇気と期待がこもった目線に、私は断るという選択肢を失った。
空いてるよ。
じゃ、お出かけしようか
傍らの夏澄が物凄い形相で私を睨んでいるのが分かった。