満天の星空を見上げる––––––––フリをしながら、同じように空を見上げる彼女の横顔を眺める。

花火まだかなぁ

今日はよく晴れているから、星がよくみえる。
こんな星空の夜に花火大会をするのは、すこし勿体ないような気もする。

けれど彼女の浴衣姿をみることができたので、不満を飲み込むには十分だ。

あともうすこしだと思うよ


人気の少ない穴場で、僕と彼女は花火を待つ。

夏の夜は、いつもより少し涼しげだった––––––––。

夕顔

花火大会行こうよ


仕事が忙しく、なかなか会えずにいた彼女から電話が来た。

弾んだ声の中に、不安が滲んでいるのを感じた。

……そうさせているのが自分だという自覚があるだけに、痛い。

いつ?

明後日なんだけど……

ちょっと待ってね


仕事の進捗状況と、カレンダーに書き込んだ予定とを合わせて考える。

うん、行ける

本当っ!?

うん、仕事はとりあえず一段落つきそう

やった、久しぶりだねっ



無邪気にはしゃぐ彼女の声に、少しだけ安心する。

本当に久しぶりだ。––––––––顔を合わせるのは一ヶ月ぶりだった。

…………うん、うん、それじゃあ、楽しみにしてるね

うん、じゃあまた

電話を切り、一息。

電話やメールは欠かさずしていた。

けれど、直接会う時間は取れずにこの一ヶ月を過ごした。

会えない会えないって言うけどさ、それ、ただの言い訳なんじゃないの?

ほんとうは、会いたいなんて思ってないんじゃないの

以前高校から付き合いが続いている友人と飲みに行った時に、言われた言葉だった。

……ひどく心に刺さったのを覚えている。

痛いということは、つまり、本心なのだろう。

––––––––でも僕は彼女が好きだ。

電話が来て、花火大会に誘われて、嬉しかった。素直に喜んでいる自分も確かにいる。

それとも、心を誤魔化しているだけなのか。

自分の本心がどこにあるのか、考えても考えてもわからなくて、答えから遠ざかっていく感覚だけが、心に居座っていた。

久しぶりっ


待ち合わせ場所は、祭りを主催する神社の境内だった。

今にも飛びついてきそうな彼女の様子に思わず笑みがこぼれる。

久しぶり。ごめんね、なかなか会えなくて

あ、駄目だよ。謝らないで、今日会えたことを喜ばなきゃ

そっか……そうだね、うん、僕も嬉しいよ


そう言うと、嬉しそうに彼女も笑った。

夜店見る?

でも花火始まらないかな?

大丈夫だよ、花火は八時から。今は七時だから、時間あるよ

あっ私、たこ焼きが食べたいなぁ

よし、じゃあ行こう

自然と手を繋ぐ。

心の距離がまだ離れていないことを教えてくれるようで、すこし安心する。

一通り夜店を見て回り、境内に戻る。

花火どこで見ようか

取っておきの場所があるの。そこに行こう?

お、じゃあ案内頼んだ

下駄のからころという音に従い、闇に沈み始めた道を歩く。彼女の背と、髪をまとめている簪の飾りが跳ねている。

その背中を見ていたら突然、一昨日から自分の中に漠然と存在していた感情の正体に気付いた。

……未帆


名前を呼ぶ。彼女がくるりと振り返り、その動きに合わせて簪の飾りも揺れる。

なに?


ドンッと身体中に響く音が鳴り、同時に空が明るく染まった。

別れよう

彼女の顔が赤に染まり、青に染まり、緑、黄色、と次々と色を変えていく。

……頬を伝う涙も、一緒に。

……そっかぁ


涙を拭い、彼女は笑った。

うん、予想してた。……外れていてほしかったけど、ね

止まらない涙を拭う権利は、もうない。

彼女はしばらく口を閉ざし、空を見上げていた。

つられて見上げると、咲き、散り、を繰り返す色とりどりの花火が夜空を明るく染めていた。

最近ね、気付いたことがあるの……ううん、きっと最初から気付いてた

間隔を置かずに上がり続けていた花火がピタリと止んだ時、彼女が切り出した。

視線を合わせる。

涙に濡れた瞳は、瞬きもせずにこちらを見続けている。

涼介はなににも執着しないよね。
仕事にだって、趣味にだって––––––––

––––––––私にだって

そうだ。僕はそういう奴なのだ。

なににも執着しない。
『こだわる』という概念を知らないと言ってもいいぐらい、なににも執着しない。

会いたくないのではないか

––––––––そうではないのだ。

会いたくない、会いたい、そんな感情はそもそも抱かない。

会えるのなら会う、彼女が会いたいと望んでいるのなら、会う。

会いたくないとかそういう気持ちになったりはしない。

……別に、会いたいと思ったりもしないのだから。

いつも受け身になって相手の思うままの人間で在ることを選んでいた。能動的な恋愛をした記憶がないのだ。

彼女は……未帆は、待っていることの多い人間だった。

––––––––きっと花火大会に誘われて嬉しいと感じたのは、受動的であることを許されたような気がして安堵したからだ。

––––––––きっと手を繋ぐことが嬉しかったのは、まるで同じ気持ちでいるような錯覚を覚えて、心苦しさを紛らわせたからだ。

……僕は、そういう奴なんだ。昔から

フラれることの方が多かったのも、きっとこの執着の無さゆえだろう。

今回だけは、せめて、自分から。


自分から、終わらせるべきだと思った。



きっとこの三日間、ひたすらそのことを考えていたのだ。

そして今、その答えにたどり着いた。

僕は、いつも相手が終わらせるのを待っているだけだった

相手に無頓着だったくせに、大事にしようなんて心は持ち合わせていないくせに、終わらせようとすらしなかった

……それがさらに相手を傷つけているなんてこと、思いもしなかったんだ

だから、自分で終わらせようと?

……そうだ

……勝手だねぇ

……ごめん

考えている自覚はなかった。

けれど、終わらせるべきだということには––––––––きっと気付いていた。

傷つけてきた回数だけ気付く機会はあったはずなのに、いったい今まで何人の好意を踏みにじって来たのか。

恐ろしくて数えることも、その過去を思い返すこともできない。

……本当に、勝手だ

呟きと同時に空が明るくなった。

色とりどり、けれど彼女の表情は前髪が隠してしまって、みえなくなってしまった。

今まで、ありがとう。こんな奴に好きだと言ってくれて、ありがとう

……やだなぁ、まだ別れるなんて言ってないのに

好きだといった気持ちには、ひとつも嘘はなかったよ

……それぐらい、言われなくても

次は同じ熱量で、同じ心持ちで向き合ってくれる奴を見つけて、幸せになって

僕にこんなに真っ直ぐに向き合ってくれた未帆なら、もっといい奴を捕まえられる

気持ちは同じでも、向き合う心持ちに差がありすぎた。

––––––––未帆はずっと、押しの強いタイプではないフリをしていた。

僕に気付かせるために。

……ほんとうに、ありがとう


自己犠牲の根源にあるものは、自己満足だけだと思っていた。

けれど、他人のためを想って自己を犠牲にできる人間もいるのだ。

……こんな素敵な夜に、そんな素敵な言葉をもらって、私はもう幸せだよ


そんなに大層なことは言っていない。

そう思ったけれど、口には出さなかった。

……それじゃあ

きっと彼女はこれから、泣くのだろう。とめどなく、とめどなく。

それをそばで見ている権利はない。

先に立ち去ってしまおう。そばに残って、いたずらに優しさを見せてはいけないと思った。

もう、そんなことをしてはいけない。

いい人間のフリなんかしても、それは結局本当の自分ではない。

執着のかけらもない自分の性格はきっともう、どうにもならない。––––––––これが本当の自分だ。

空を見上げると、明るさに紛れて輝く星が花火よりまばゆかった。背後で下駄のからころという音が寂しげに響き出す。

あぁ、こんな夜に。

こんなに素敵な夜に。

……素敵な言葉、か

夏はまだ、始まったばかりだ––––––––。

夕顔 
花言葉【夜】【はかない恋】
Fin.

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