藍人の驚いた表情とは反対に、理衣の表情は澄ましたようだった。
今、なんて……?
藍人の驚いた表情とは反対に、理衣の表情は澄ましたようだった。
石に涙を落とさなかったら、私は石にもなれずに消えちゃう、って言ったの
他に、なにかないのか!?
人間のままでいられる方法、とか、ないのか……?
ないよ。……ないんだ
私には、石に戻るか消えるか、どっちかしか選択肢がないの
そんな……
藍人は、別れを受け入れていたはずだった。
––––––––いや、本当は受け入れられたという嘘で感情を塗り固めていたのだ。
今になって“嫌だ”という感情が、弱々しい嘘に勝って次々と湧き上がってくる。
ね、だからさ。お願いがあるんだ
……お願い?
うん、私がこの石に戻った後、藍人にこれを持っていてほしいの
そう言って、藍人の手を取りエメラルドを乗せた。
僕が……? なんで……?
それは、私が藍人の事大好きだから。また路傍の石に戻ってしまうより、きっと大事にしてくれる、藍人のそばにいたい
いいのか、僕なんかで……
いいの。僕なんか、とか言わないで。悲しくなるから
でも……
お願い、藍人。これが私の最後の願いなの
そう言われてもなお、藍人は僕なんかがもらってもいいのか、と考えていた。
その時だった。
理衣の顔がゆっくり近づいたかと思うと––––––––唇になにかが触れた。
え、理衣、今なにを……
訳が分からず目を閉じるべき状況で目を見開く。
五秒ほどで理衣の顔はゆっくり離れていった。
い、いま、なにを……
びっくりした? ……目、閉じててほしかったんだけどな
ほんのりと顔が赤い理衣に対して、藍人の顔はもう真っ赤だった。
キス、されたのか
改めて事実を心の中で反芻すると、顔がまた熱を持つのがわかった。
赤面していることがまた恥ずかしく、さらに頬を赤く染めながらそっぽを向いた。
もう、これで心置きなく石に戻れるな
ちょ、ちょっと待って! あの、透子とかに言わなくても、いいのか……?
そっぽを向いたまま、ずっと気がかりだったことを訊く。
ずっふたりきりで話していたが、僕だけがこの話を聴く、というのはどうなのか、と。
でも、理衣の返答は非常にあっけらかんとしていた。
うん、いいの
どうして……?
どうせ、私のことはみんな忘れるしね。藍人も、なんでこの石持ってるのかわからなくなるんだよ
まだ顔は赤いままだったのに、思わず理衣のほうへ向き直ってしまう。
なんで、記憶まで……
私にはわからないけど……
でも、だからこそ、藍人に石を持っててほしいんだ
そんな……
藍人は、いつの間にか意固地になって理衣を止めようとしていた。
……っ!!!!
その理由に気付いた時、藍人は、今度は全身が熱を持つのを感じた。
どうしたの、藍人
異変を察した理衣が不思議そうに訊ねてくる。
そっぽを向くことも顔を隠すことも忘れ、ただその感情をみつめていた。
これが、そうなのか。散々言われてきたけど、これが……
藍人?
理衣
藍人は、心配そうな表情の理衣の名前を呼んだ。
そして、やっと気づいたその感情を、口にした。
僕、やっと“好き”って言葉がどういうものなのか分かったよ––––––––
もう一度、『彼』と向き合いたい。
華は、自分の一途な感情にやっと気づいた。
今まで息苦しく続いていた、偽りの人格に終止符を打つためにも。
華は、自分を裏切った『彼』のもとへ向かった。
家にいるかも分からないのに、あの日通った道を華は歩いていた。
別に、彼女がいてもいい。
華は、藍人にすべてを吐き出したことで割り切ることが、吹っ切ることが出来た。
そして、それでも消えない『彼』への想いをとにかく伝えたくなった。
それだけで、もう十分だったのだ。
『彼』の住む部屋の扉の前に立つ。
インターホンに、ゆっくりと手を伸ばした。
なにやってんだよ
自分が通った廊下の向こうから、声が届いてくる。
なに、やってんだよ
『彼』––––––––––––麻山雄介は、不快感を隠そうともせず、華に向かって冷たく言葉を繰り返した。
第十九話へ、続く。