石井 藍人

消える……?

藍人は、とりあえず言葉に出してみた。

秋野 理衣

そう、消えるんだ……

理衣は、小さく笑みを浮かべながら言った。

石井 藍人

え、消えるって、引っ越すってこと……?

意味がわからない。

藍人の頭の中は、一瞬でクエスチョンマークで一杯になった。

秋野 理衣

引っ越すんじゃなくて、私そのものが消えるんだよ

理衣は、もう割り切ってすべてを話すことを決めていた。

藍人を待っていたあの時間が、理衣に覚悟を与えるものとなっていたのだ。

石井 藍人

理衣、そのものが消える……?

もう、理解の範疇を超えていた。

石井 藍人

どうしよう、ほんとうに意味がわからない……

なにかの冗談かとも思ったが、理衣の表情からしてそれはないだろうと思った。

でも、理衣そのものが消える?

藍人は、思考のほとんどをその言葉に埋め尽くされ、まともな考えなんてなにひとつ浮かばなかった。

秋野 理衣

いきなりそんなこと言われても分かんないよね、ごめんごめん

理衣は、そう言って謝った後、

秋野 理衣

詳しく話すよ

と、またあの儚い笑顔を浮かべた。

今日、藍人の誕生日だよね。

七月二十日。

喜ぶべき日だし、私も嬉しいけど、今日は私にとっては最後の日なの。

藍人の人生はまだまだ続く。

でも、私は今日で終わるんだ。

私はね、ただの石ころとしていつの間にかこの学校に住んでいた。

住む、って言い方はおかしいかな、転がっていた、が正しいかも。

……まあ、私にとっては、その学校の校庭が家だったんだけど、そこは、うん、うまく伝えられる自信がないな。

石だったの、私。

石だったはずなのに、いつの間にか私を踏んで二足歩行する人間になってた。

意味わかんない、今の藍人と一緒の状態だった。

それが、七月の初め頃なのかなぁ……。

その場で立ち尽くしながら周りを見渡してると、足元に何枚もの書類と、洋服と、見覚えのあるこの学校の鞄があって、その中に教科書とか文房具とか、いろんなものが入ってた。

叫びたくなった。すごく怖くなった。

私はただ石としてそこにいたはずなのに、気付けば人間になってて。

でも、そこで叫んだら怪しまれてしまう。

そんな余裕はないはずなのに、私たち石を踏み荒らす人間に対する恐怖心は持ってたの。

とりあえず、そこにあった物を抱えて、見つからない様に歩き出した。

あ、私がいたのは校舎前のあの砂利のところなんだ。

どうすればいいかわかんなくて彷徨ってたら、この場所にたどり着いて。

だから、迷って歩き回ってたらここを見つけたっていうのに嘘はないかな。

そこまで語って、一回言葉を切った。

藍人は、夢でもみているかのような気分になった。

何と言えばいいのか分からず、ただ理衣の顔をみつめることしかできない。

その藍人の視線を受け、理衣はまたゆっくりと語り始めた。

でも、ね。

私の存在は、嘘だらけ。

嘘だらけの、偽りだらけ、それが私なの。

私のそばにあった書類は、本当に色々なものだった。

保険証とか、もうとにかく、私が人間であることを主張してる物ばっかりがあった。

必要なものとはいえ、すぐに消えてしまう私に対しての準備としては、過剰すぎるぐらいにね。

どうすればいいのかわからなくて、でもとにかく書類を全部読んだ。

その時みつけた一枚の紙に、こう書いてあった。

七月二十日まで、秋野理衣として生きなさい。

石としてこの世に存在していたことを忘れ、友達を作るの。恋人を作るのもいいわね。

そして、人間はただ私たちを踏み荒らすだけのものではないことを学びなさい。

私、怖いとは思ってたけど人間に恨みを持ってるわけではなかったのに。

石にも、一応リーダーみたいな人……ものはあるの。

そのリーダーも、人間になりすましたことがあるって、私の仲間から噂を聞いてた。

変な話でしょ。実際、変だしね。

石が意志を持ってて、そして人間をただ自分たちを踏み荒らすものとしかみてないの。

でも、私はそう思い込んでいたわけではなかった。

私は、この学校に昔通ってた人の指輪の宝石だった。

その人が、この町に久しぶりに里帰りして、その時この学校に懐かしくなって寄ったのかもね。

その時、私は落とされた。

その人の意志で落としたわけではないと思うけど、私はその日からここの石になった。

別に、その持ち主のことを恨んだりしてない。

すっごく大切にしてもらえてたからね。

でも、落とされたその日から踏まれるだけの石に成り下がった。

でも、もう何年も前の話。

その持ち主に会いたかったけど、とうの昔に自分の住む町に帰っちゃったみたい。

私はね、エメラルドっていう宝石だったんだ。

お店に置かれているだけで綺麗、綺麗って言ってもらえるんだ。

人間を悪いものだなんて思ったこともないの。

でも、たぶんそんなことで私を人間世界に放り込んだわけじゃないんだよね、きっと。

わかってるんだ、だから、人間として、生きてみようと思えたのかも。

そこで、理衣はまた言葉を切る。

秋野 理衣

けっこう、喋ったな

秋野 理衣

藍人、全部ほんとうのことだから、ちゃんと聴いてね?

秋野 理衣

ここからが大切なんだ

石井 藍人

う、うん……

こんなにも饒舌に語られて、これが嘘だと思うことはもう藍人には出来なかった。

そして、すこしずつ悟った。

理衣と、もうすぐお別れすることになるのだと。

第十六話へ、続く。

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