華は、学校の方向に戻り、その近くにある公園で足を止めた。
華は、学校の方向に戻り、その近くにある公園で足を止めた。
話って、なに?
藍人は苛立ちを隠さずに言った。
こんなふうに感情を隠さないというのは、珍しいことである。
正直、華の話なんてどうでもいいというのが本心であった。
理衣の話のほうが気になるからと、その場をさっさと去りたかった。
うん、あのね……
それまでの甘ったるい声とは反して、少し低い声が華の口から出る。
え、黒井ってこんな声だったか?
…………
瞬間みせた思い悩むような表情で、それまでの「黒井華」がどこかへ行ってしまったような錯覚が起きた。
私の性格って、やっぱりちょっとおかしいよね?
今までの印象を覆す表情に、真剣な光の宿った目。
その迫力に気圧されつつ、藍人は正直に答えた。
まあ、ね。皆、評価は変わらないと思うよ
そうだよね、ま、私も知ってるんだよね、そんなことはさ
……あのさ、わかるように話してくれない?
五分で終わらなくてもいいの?
……それは
駄目? なら、いいんだけど
いや、いいよ。でも、出来るだけ短縮して
なんだかほうっておけなくなってしまった、という気持ちは藍人のお人好しすぎる性格の所為。
……そして、華の醸し出す雰囲気の所為でもあった。
私、昔はもっと地味で大人しかったんだよね。
北海道の田舎に住んでて、友達もまあそれなりにいた。
何処にでもいる、平凡な中学生だった。
中二の時、私はある男子に告白されたの。
やっぱり、田舎の男子なんてそんな格好いいわけでもないけど、その人はすごく優しかった。
私も好きになって、付き合い始めた。
……田舎だし、中学生だから、デートらしいデートなんてしたことなかったけど、でも、穏やかで、楽しかった。
三年生になっても、ずっと関係は続いてた。
私は、普通に地元の高校を受験しようと思ってて、彼も同じだと思ってた。
でも、東京の高校を受けるって言ってさ。
……びっくりしちゃったよ、私。
家は、私を東京に出せるほど、経済的に余裕はなかった。
でも、私はバイトをして、お金の無駄遣いをしないから、って両親を説得した。
彼についていく形で、私も高校受験をしたの。
同じ高校に受かって、私すっごく嬉しかったんだ。
純粋に、これからもずっと一緒にいられるって、ほんとに嬉しかったんだよね。
でも、ね。
彼が東京に来た理由は、それはひどいものだった。
入学式の前日、家に呼び出された。
私は、入学のお祝いでもするのかと思って、期待しながら彼の家に向かった。
……でも、そこで私を迎えたのは、その彼と、ひとりの女だった。
その人、誰?
なんて、訊く前になんとなく悟ってたはずなのに、私は思わず訊いてしまった。
この人は、俺と遠距離で小学校……四年ぐらいからずっと付き合ってる人なんだ
彼は、そう、言ったんだ。
東京に来た理由は、その彼女に会うため、一緒に高校生活を送るため、だった。
そんなに大事な人なのか、なんて……そんなわかりきったこと、怖くて訊けなかった。
信じられなかった。
騙したの、って訊いたら、騙されたのは君だろ、って言われた。
なんで私に好きって言ったの、って訊いたら寂しさを紛らわすためだ、って。
その彼女も、事情は彼から聞いてたみたいで、私のほうを冷めた目で見つめてさ。
口パクだったけど、ご愁傷様、って。
一緒の高校に通うなんて嫌で嫌で仕方なかったけど、これ以上親に迷惑かけられないから、私はそれまでの地味な性格を捨てることにした。
……だって、その方が、楽だったのよ。
あたしの人格が歪んだ理由は、認めたくもないけど––––––––
その彼のこと、ほんとうに、ほんとうに好きだったからなの。
……藍人、遅いな
移動時間もあるから大目にみよう、と思いつつ、でももう十分も経つのにと怒っている自分もいた。
理衣は先にいつもの場所に来て、藍人を待っていた。
私の話だって、今しかできない、大切な話なのにな
華の過去の話も、確かに大切だ。
彼女にとって、それは逃してはいけないチャンスだったし、それを受け止めようと決めたのは藍人だ。
だが、理衣の話はそれ以上に重大なものだった。
今日話さないともうチャンスはない
理衣は、待たされても別にかまわない、と思えるぐらいのことを藍人に打ち明けるつもりでいたのだった。
なんで、石井には話しちゃったんだろ
全て話し終わった後、華はぽつりと呟いた。
藍人は、なんと言えばいいのかわからず、ただ華の話を頭の中でリピートし続けた。
空気、重すぎたね。ごめんごめん
いや、うん、ごめん……
は? なんで石井が謝るわけ?
猫かぶりをやめ、藍人のことを「石井」と呼び捨てする。
そこまで猫をかぶるほど思いつめられていたのかと、藍人はそんなことを考えた。
ずいぶん時間経っちゃった。もう、秋野さんのとこ行っていいよ
こんなこと、話すつもりなかったんだ、こんなつもりで引き留めたんじゃなかったんだ
ごめんね、邪魔しちゃって
え、うん……。なんで、僕にこの話を?
それはさっきも言った通り、私も不思議だよ
……しいて言うなら、石井なら、真面目に、真剣に、聴いてくれそうだなって思っただけ、かな
それじゃあ、と後ろ手を振りながら彼女は歩き出して行ってしまった。
その背中は、むしろ普段の彼女の背が強張っていたのか、と気づかされるほど、軽くみえた。
藍人は、まだ信じられなかった。
そんなに好きって感情は重いのか……
華の人格変化を目の当たりにして、藍人はただただ驚いていた。
あ、理衣のところ、行かないと……
藍人は、衝撃を受けすぎてなんとなく足取りがおぼつかないまま、目的地へ歩き出した。
心の準備、なんてなにもしていなかった。
藍人は、それ以上の衝撃を受けることになるとはまったく思わず、ただ華の過去の物語と変化の様子を頭の中で繰り返し繰り返し、流し続けていた。
第十四話へ、続く。