華は、学校の方向に戻り、その近くにある公園で足を止めた。

石井 藍人

話って、なに?

藍人は苛立ちを隠さずに言った。

こんなふうに感情を隠さないというのは、珍しいことである。

正直、華の話なんてどうでもいいというのが本心であった。

理衣の話のほうが気になるからと、その場をさっさと去りたかった。

黒井 華

うん、あのね……

それまでの甘ったるい声とは反して、少し低い声が華の口から出る。

石井 藍人

え、黒井ってこんな声だったか?

黒井 華

…………

瞬間みせた思い悩むような表情で、それまでの「黒井華」がどこかへ行ってしまったような錯覚が起きた。

黒井 華

私の性格って、やっぱりちょっとおかしいよね?

今までの印象を覆す表情に、真剣な光の宿った目。

その迫力に気圧されつつ、藍人は正直に答えた。

石井 藍人

まあ、ね。皆、評価は変わらないと思うよ

黒井 華

そうだよね、ま、私も知ってるんだよね、そんなことはさ

石井 藍人

……あのさ、わかるように話してくれない?

黒井 華

五分で終わらなくてもいいの?

石井 藍人

……それは

黒井 華

駄目? なら、いいんだけど

石井 藍人

いや、いいよ。でも、出来るだけ短縮して

なんだかほうっておけなくなってしまった、という気持ちは藍人のお人好しすぎる性格の所為。

……そして、華の醸し出す雰囲気の所為でもあった。

私、昔はもっと地味で大人しかったんだよね。

北海道の田舎に住んでて、友達もまあそれなりにいた。

何処にでもいる、平凡な中学生だった。

中二の時、私はある男子に告白されたの。

やっぱり、田舎の男子なんてそんな格好いいわけでもないけど、その人はすごく優しかった。

私も好きになって、付き合い始めた。

……田舎だし、中学生だから、デートらしいデートなんてしたことなかったけど、でも、穏やかで、楽しかった。

三年生になっても、ずっと関係は続いてた。

私は、普通に地元の高校を受験しようと思ってて、彼も同じだと思ってた。

でも、東京の高校を受けるって言ってさ。

……びっくりしちゃったよ、私。

家は、私を東京に出せるほど、経済的に余裕はなかった。

でも、私はバイトをして、お金の無駄遣いをしないから、って両親を説得した。

彼についていく形で、私も高校受験をしたの。

同じ高校に受かって、私すっごく嬉しかったんだ。

純粋に、これからもずっと一緒にいられるって、ほんとに嬉しかったんだよね。

でも、ね。

彼が東京に来た理由は、それはひどいものだった。

入学式の前日、家に呼び出された。

私は、入学のお祝いでもするのかと思って、期待しながら彼の家に向かった。

……でも、そこで私を迎えたのは、その彼と、ひとりの女だった。

黒井 華

その人、誰?

なんて、訊く前になんとなく悟ってたはずなのに、私は思わず訊いてしまった。

この人は、俺と遠距離で小学校……四年ぐらいからずっと付き合ってる人なんだ

彼は、そう、言ったんだ。

東京に来た理由は、その彼女に会うため、一緒に高校生活を送るため、だった。

そんなに大事な人なのか、なんて……そんなわかりきったこと、怖くて訊けなかった。

信じられなかった。

騙したの、って訊いたら、騙されたのは君だろ、って言われた。

なんで私に好きって言ったの、って訊いたら寂しさを紛らわすためだ、って。

その彼女も、事情は彼から聞いてたみたいで、私のほうを冷めた目で見つめてさ。

口パクだったけど、ご愁傷様、って。

一緒の高校に通うなんて嫌で嫌で仕方なかったけど、これ以上親に迷惑かけられないから、私はそれまでの地味な性格を捨てることにした。

……だって、その方が、楽だったのよ。

あたしの人格が歪んだ理由は、認めたくもないけど––––––––

その彼のこと、ほんとうに、ほんとうに好きだったからなの。

秋野 理衣

……藍人、遅いな

移動時間もあるから大目にみよう、と思いつつ、でももう十分も経つのにと怒っている自分もいた。

理衣は先にいつもの場所に来て、藍人を待っていた。

秋野 理衣

私の話だって、今しかできない、大切な話なのにな

華の過去の話も、確かに大切だ。

彼女にとって、それは逃してはいけないチャンスだったし、それを受け止めようと決めたのは藍人だ。

だが、理衣の話はそれ以上に重大なものだった。

秋野 理衣

今日話さないともうチャンスはない

理衣は、待たされても別にかまわない、と思えるぐらいのことを藍人に打ち明けるつもりでいたのだった。

黒井 華

なんで、石井には話しちゃったんだろ

全て話し終わった後、華はぽつりと呟いた。

藍人は、なんと言えばいいのかわからず、ただ華の話を頭の中でリピートし続けた。

黒井 華

空気、重すぎたね。ごめんごめん

石井 藍人

いや、うん、ごめん……

黒井 華

は? なんで石井が謝るわけ?

猫かぶりをやめ、藍人のことを「石井」と呼び捨てする。

そこまで猫をかぶるほど思いつめられていたのかと、藍人はそんなことを考えた。

黒井 華

ずいぶん時間経っちゃった。もう、秋野さんのとこ行っていいよ

黒井 華

こんなこと、話すつもりなかったんだ、こんなつもりで引き留めたんじゃなかったんだ

黒井 華

ごめんね、邪魔しちゃって

石井 藍人

え、うん……。なんで、僕にこの話を?

黒井 華

それはさっきも言った通り、私も不思議だよ

黒井 華

……しいて言うなら、石井なら、真面目に、真剣に、聴いてくれそうだなって思っただけ、かな

それじゃあ、と後ろ手を振りながら彼女は歩き出して行ってしまった。

その背中は、むしろ普段の彼女の背が強張っていたのか、と気づかされるほど、軽くみえた。

藍人は、まだ信じられなかった。

石井 藍人

そんなに好きって感情は重いのか……

華の人格変化を目の当たりにして、藍人はただただ驚いていた。

石井 藍人

あ、理衣のところ、行かないと……

藍人は、衝撃を受けすぎてなんとなく足取りがおぼつかないまま、目的地へ歩き出した。

心の準備、なんてなにもしていなかった。

藍人は、それ以上の衝撃を受けることになるとはまったく思わず、ただ華の過去の物語と変化の様子を頭の中で繰り返し繰り返し、流し続けていた。

第十四話へ、続く。

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