ふたりが歩いているのを引き留めるように、後ろから声がかかった。

黒井 華

藍人君!

甘ったるい、そんな言葉がぴったり合う声だった。

藍人と理衣は振り返り、藍人はぎょっとした表情、理衣は誰? というような表情を浮かべた。

石井 藍人

……黒井


藍人が小さく言った。

秋野 理衣

え、黒井さん?

理衣も、噂には聴いていたようで、華のほうを凝視する。

黒井 華

あ、秋野さん! お話したかったの

華はそう言って、理衣にすこし顔を近づけた。

黒井 華

あなた、噂通りすごく美人なのね

理衣には、嫌味にしか聴こえなかった。

それくらい、華も美人だったのである。

秋野 理衣

ありがとう。黒井さんもね


理衣は、とりあえずそう返して一歩後ろに下がった。

石井 藍人

黒井、何か用か?


藍人は、なぜこのタイミングで、と思いながら尋ねた。

黒井 華

うん、あのね? 藍人君、今日誕生日なんだよね?


いつの間に名前で呼ばれるようになったのかと思いながら返す。

石井 藍人

……違うよ?

黒井 華

え、でも、裕哉君に聞いたよ?

石井 藍人

裕哉も、なにか勘違いしているんじゃないの?

黒井 華

え、そうなの?

黒井 華

……うーん、じゃあ、いつなの?

秋野 理衣

しつこい人だなあ

理衣はそう思って、藍人の腕をつかむ。

秋野 理衣

ねえ、藍人? そろそろ急がないと大変じゃない?

別に急ぐ必要はないけど、藍人もなんとなく迷惑に感じていそうだったからそう言ったのだ。

藍人は、助け船を出してくれた理衣に心の中で感謝した。

石井 藍人

そうだね、そろそろ行かないと。それじゃ、夏休み楽しく過ごしてね


そう言って立ち去ろうとすると、華は藍人の開いたもう一方の腕をつかむ。

黒井 華

ねぇ、ちょっと時間ないの? ちょっとだけ!


お願い、と華はそれまでたくさんの男子を騙してきたであろう声音と表情をする。

秋野 理衣

いや、ないよ。ねっ、ないよね?

理衣も対抗する。

石井 藍人

なんでこんな意地になってるんだろう?

藍人は疑問に思ったが、華があまりにもしつこすぎるから、

石井 藍人

……五分だけなら

とついに許してしまった。

秋野 理衣

えっ、藍人?

黒井 華

藍人君ありがとう! それじゃ、ちょっとお借りするねっ

華は、藍人には見えない角度で理衣のほうに顔を向け、ニヤリと笑ってみせた。

––––––––––理衣と藍人が学校を出てから、裕哉は華に話しかけられていた。

黒井 華

ねぇ、裕哉君。藍人君と秋野さんって、なんで最近仲がいいの?

笹倉 裕哉

え、なんでそんなこと気になるの?

黒井 華

えー、そんなこと訊く? ねえ、なんでなんで?

笹倉 裕哉

……藍人、ごめんな

裕哉は出来るだけ関わりたくなかったから、会話をさっさと終わらせることにした。

笹倉 裕哉

今日、あいつ誕生日なんだ。それじゃあな

あまり噛み合っていないような答えになったが、気にも留めなかった。

––––––––––裕哉は、これからあることを実行しようとしていたからだ。

華はそれから、急いでふたりの後を追った。

華は、理衣が転入して来たころから、その時付き合っていた男子に飽き始めていた。

黒井 華

そろそろ別の男子にするべきよね

華がそう思うことは、もう日常茶飯事。

––––––––––その理由は、遠い昔の、ある出来事が原因。

その時から、華はひとりの相手を想い続けることをやめた。

そうして、次々と相手を変える、今の人格が出来上がってしまったのだ。

次の男子、と思ってもなかなか目星がつかなかった。

黒井 華

……久山恵太、あの人は駄目だったのよね

何度も何度もアプローチをかけたが、久山恵太は相手にもすることはなかった。

そんなある日、裕哉と歩く藍人とすれ違った。

黒井 華

確か、石井藍人だな。あの人でもいいかも

そんな気持ちが膨れ上がり、次のターゲットに藍人が選ばれたのだった。

第十三話へ、続く。

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