ぼくが振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
……
ぼくが振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
慌てふためいて泳ぐぼくの視線と、やたらと不機嫌そうな表情の彼女の視線が交差する。
ぼくは少女の顔に見覚えがあった。
確か……同じクラスの
ええと、東雲(しののめ)さん?
恐る恐る彼女の名前を声に出す。
東雲蛍(しののめほたる)。それが彼女の名前だ。
彼女は同じクラスの同級生。
入学して初めての学力テストで、トップの順位だったから名前を覚えていた。
……しかし、正直ぼくは彼女について、それくらいしか知らない。
ぼくは積極的に女子と会話をするタイプじゃないし、東雲さんはいつも不機嫌そうな顔をしているから余計に話しかけづらいのだ。
東雲さんは見ての通りの美人だから、入学してすぐは積極的にアプローチする男子もいたりしたけれど……
東雲さーん、今日の放課後、クラスのみんなでカラオケに行くんだけどもしよかったら東雲さんもいかない?
なんでわたしが行かないといけないの?
あ、ええと。わかりました……
こんな感じに一刀両断に断られたり、
クラスのお節介焼きな女の子が気を使って話しかけたりもしたけれど。
東雲さん、もしよかったら私たちと一緒にお昼ご飯を食べようよ!
ごめんなさい、私お弁当持ってきてないから
そ、そうなんだ。それじゃ、お弁当持ってきたときは一緒に食べようね……!
同様にすっぱりと断られたり。
とにかく東雲さんはいつも不機嫌そうな表情だから、いつしか彼女に話しかけるクラスメイトも少なくなってしまっているようだった。
まあ、当の本人は、そんなことまるで気にしてないようだけど
キミ、南くんだよね。同じクラスの……こんなところで何をしているの
東雲さんは一歩ぼくに近づくと、そう話しかけた。
東雲さんってこういう声をしているのか……
って、そういう問題じゃなくて。どうしよう東雲さんってかなり真面目そうだから、隠れて旧校舎に忍び込んで、あまつさえ、テレビゲームを持ち込んで遊んでいるなんて知れたら……
先生に通報されてしまうかも
ええと、これは、その
とはいえこの状況を正当化できる言い訳なんて、ぼくは持ち合わせていない。
実は、入学してすぐにここに入れることを発見して、それからは放課後に一人でここでテレビゲームをしてるんだ……
正直に白状するしかないと思い、しどろもどろになりながらぼくはそう答えた。
テレビゲーム?
そう東雲さんは呟くと、僕の背後にあるテレビの画面に目をやった。
南くん、旧校舎って私たち生徒は立ち入り禁止だよね
うう、もちろんそれは分かってるんだけど、なんだか秘密基地みたいでテンションが上がっちゃって……あははは
これも南くんが、持ち込んだの?
東雲さんは、テレビとゲーム機を指差す。
う、うん……
ああ、これはダメだ。きっと先生に通報されてゲーム機は没収だな。旧校舎に入る抜け道もきっと封鎖されてここにはもう入れないだろう。
こんな校則違反は見過ごせません。先生に報告します
こんな言葉を覚悟している僕をよそ目に、
なぜか東雲さんはぼくのすぐ隣の席に座った。
あ、あの。東雲さん?どうしてイスに座るの?
どうしてって、イスは座るためのものでしょう
は、はあ……、いやそういう意味じゃなくて
それより、南くん、続けないの?
え?
そのゲーム、さっきまでノリノリで遊んでいたように見えたけど
あ、いや、ええと
わたしのことは気にしないで。どうぞ続けて
一体何を考えているんだ?
先生に報告するんじゃないのか……?
思いもよらぬ東雲さんの行動に、ぼくは疑心暗鬼になりながらも、とりあえず、東雲さんのいうとおりにするのが得策だと判断した。
とにかく東雲さんを刺激しないようにしよう。
ゲーム画面が展開されて、ラスボスが姿を表した。
ゲームの最後を飾るにふさわしい、厳かかつ忌まわしいその姿。
それと同時に勇ましい戦闘BGMがぼくの心を最高潮に盛り上げる…
はずなのだが。
集中できん
なんだ?なんだこの状況。さっきから無言でじっと東雲さんにゲームしているところを見られているんだけど
じー
隣に座った東雲さんは無言で食い入るようにゲーム画面を見つめている。
僕の位置から東雲さんの横顔までの距離はおおよそ50cmくらい。
嫌でもその存在が気になってしまう。
近い。
近いよ。
ぼくの人生における異性に近づいた距離としては、文化祭で踊ったオクラホマミキサーの次に近い。
顔が小さいなあ
とか
びっくりするくらいまつげが長い
とか
髪の毛もツヤツアですっごい綺麗だなぁ
とか
なんだかいい香りがするなぁ、シャンプーの香りかな
という調子で、ウブでおぼこなぼくの感性を、徹底的にかき乱してくるのだ。
スーハー、スーハー、スーハー
南くん
はあい!調子に乗りました!!ごめんなさぁい!
なんだか、敵の様子が変わったようだけど
そういって東雲さんはテレビ画面を指差す。
へ?
あ、ああ、第2形態を倒したから、真の姿になったんだね
ぼくはこのゲームを伊達にやり込んでいるわけではない。
東雲さんの存在にドギマギしながらも、着々と敵のHPを減らしていたようで、画面上のボスはその姿を最終形態へと変えていた。
これが真の姿なの?なんだか小さくなってしまって、さっきの方が強そうだったわ
東雲さんが素朴な疑問をぽつりとこぼす。
うーん、こういうゲームとかバトル漫画では、最初の姿がやたらとゴテゴテしていて、真の姿が逆にスッキリしちゃうっていうのはあんまり珍しくないんだけど。
普段そういうのに触れてない人からすると、不思議に感じるのかな
なるほど、外見が必ずしも実力に一致しないということね。能ある鷹は爪を隠すということなのかしら。奥が深いわ…
ぼくの説明を聞いた東雲さんは神妙な面持ちで頷く。
その拍子に長い髪がはららと揺れた。
なんだろう、この妙な感じ……
すごく調子が狂う。
教室の窓から差し込んだ西陽の落とす影がだんだんと伸びて行く。
相変わらず東雲さんは食い入るようにぼくがプレイしているゲーム画面を見つめている。
ねえ、南くん、教えて欲しいんだけど
え、なに?
この敵、さっきから何回も倒しているのに復活している気がするんだけど
復活?ああ、この真ん中のやつのこと?
ええ、それがボスの本体でしょう?
倒しても倒しても復活するんじゃクリアできないんじゃない?
あーそうか、うん初見だとそう思うよね
どうしようゲームのネタバレになるけど、まあいいか。東雲さんが今後このゲームを自分でプレイするとは思えないし……
このボス、3体横に並んでいるじゃない
ええ、真ん中に大きい宇宙人みたいなのが一体、その左右に小さいクラゲみたいな敵が1体ずつ並んでいるわ
ズバリ、真ん中の宇宙人がボスの本体で、両脇のクラゲはそのお供なんでしょう?それくらいはわたしでも分かるわ。
このボスね、本体は右端の小さいクラゲなんだよ
……
……
えええええええええええええええ
うわあ、びっくりしたあ!!
そんなのってありなの!?
初めて見た人は絶対真ん中の大きいのが本体だって思うじゃない!
でも真ん中をいくら倒しても無意味ってこと!?
そんなのってないわ!卑怯だわ!!人でなしだわ!!!
東雲さんがすごい剣幕でまくし立ててくる。
え、いや、その…、そりゃ最初は騙されるけれど、ボスの行動パターンで右が本体だってわかるようになっているんだよ。
右の敵は普段は防御していて、攻撃が通らないんだけれど、左と真ん中のボスを倒した間だけ防御が解除されるんだ。
だからこうやっていま攻撃しているんだよ
そんな、そんな高度な戦術が必要なのね…
いや別にそんな高度ってほどじゃないと思うけれど…
そんなやりとりをしながら、着々とぼくはボスのHPを削っていく。
そして……
あ、倒した
主人公の会心の一撃がボスのHPを遂に0にした。
派手なエフェクトで消滅していくボスキャラ。
そして美しい音楽とともにエンディングが流れ出す。
いつもなら冒険を終えた心地よい余韻に浸るところなのだが……
うわあ、見てる見てる怖いくらいに真剣に見てるよこの人
ぼくの隣にぼく以上に余韻に浸っているように見える人がいるのだ。
東雲さんはすでに座っていた椅子から大きく身を乗り出してゲーム画面を凝視している。
時々ゲームの演出にあわせて小刻みに体が揺れたりしていて、側から見ると何だかマヌケだ。
そんな東雲さんの頬は少し紅潮しているように見える。
……いや、ただ西陽に染まっているだけだろうか。
そして、エンディングも終わり、テレビ画面にはスタート画面が映し出された。
…とりあえずゲームは終わってしまったんだけれど、この後どうすればいいんだろう
かける言葉を探しているぼくを横目に、東雲さんはすっと椅子から立ち上がった。
それじゃあ、わたしは帰るから
先程までの興奮はどこへやら、元の不機嫌そうな表情に戻った東雲さんはぼくの方に顔を向けずにそう言い放つ。
え?あ、ああ、うん
それじゃあ
そう言って教室の外に向かって歩き出す東雲さん。
どうしよう、できれば今日の事を口止めしておきたいけれど
話しかける隙がない!!
まごつくぼくを尻目に、東雲さんは、教室の扉を開くと、肩越しにぼくの方をチラリと向いてこう言った。
また、くるから
え?また、くるの?
ドアが閉められる。
そして教室にはぼく一人だけが残された。
……疲れた
ぼくはさっきまで彼女が座っていた席を見つめながら、そう呟いた。
東雲さん、だいたい不機嫌そうな顔をしていたけれど……
ゲームを見ているときは、楽しそう……だったのかな?
それに、帰り際にまた来るっていってたし、怒っているわけじゃなさそうだ。
まあ、なるようになるしかないか。
今日はもうぼくも帰ろう。
こうしてぼくは彼女と出会った。この古ぼけた旧校舎の一室で。
ぼくと彼女のゲームを巡る日々が、こうして唐突に始まった。