女は、そんな日々のなかで、俺に出会った。あの世界の、闇と汚物をまとったような、この俺に

 真っ暗だという世界で、女性にとって彼は、はたしてどう見えたのか。
 男もまた、問いかけたという。
 ――暗闇の中で、より深く集まったナニカを見つけ、どう感じたのかと。

あいつは、俺にこう答えた

『――想ったのさ。アタシが望んだら、あんたみたいなのが、たくさん産まれちまうのかなってね』

あなたみたいなのが……たくさん、産まれる?

 男の言葉が理解できず、私はそう問い返していた。

あ、あれれ? でも、ケッツァーさんの世界で形を作るには、男の方と女の方が家族になって……はれれ?

 困惑するようにそう呟く彼女も、男の言葉が理解できず、指を折ってなにかを考え始めている。

子を成す、や、なにかを作り出すということではない。……女が言いたかったのは、違うことだ

……わからないわ

 苛立ちを含んだ私の言葉に、男はうなずく。

俺もそうだ。今も、わかりきっているわけではない

 ただ、と、一言呟いてから、男は考えを口にする。

殺気を放つ俺を恐れながらも……女は、こう想ったという

『もちろん、警戒はしたし、恐れもしたさ。無視するか、逃げるかも、考えた』

 そこまで言ってから、女性の視線が変わったと、男は告げる。
 目元をゆるやかに下げ、肩を落とした様子から、男が感じた感情。

『でも……どうしてそうなっちまったんだろうって、想っちまったんだよ』

 それは……男に対しての、哀れみだったのではないか。
 想いかえす男には、そう、感じられるという。

同じ戦場に立っていた女だ。俺がどういった存在なのかは、理屈ではなく肌身で、感じられていたことだろう

 世界から断絶され、どこかから迷い込んでしまったような、危険な存在。
 男は、異界の眼で、周囲を見ていた。
 女性もまた、男のことを、そうした存在として見ていたはずだ。
 なのに……女性が男へとかけた、言葉と想い。

(まるで、以前に聞いたことのある……家族のような、触れ合い方)

 少なくとも、この闇で対峙したことのある、神や悪魔にかけるものではなかったように想う。

……女は、こう言いたかったのではないか。では、その存在があることを、受け入れていいのかと

 ――同じ存在でありながら。
 おそらく、人間でありながら。
 なぜそんなにも、恐ろしく、切り裂くような、悲しい眼ができるのか。
 どこか申し訳なさそうに、女性は少しずつ、男に自分の気持ちをそう告げたという。

『昔のアタシなら、敵か、異物か、まぁいいかって。消すか消されるか、そう考えて、どうにかしようとしただろうね』

……あなたは、なにも、変わっていないというのに?

 今、眼の前にいる男は、女性と出会い危険性が薄まった姿だ。
 であれば、その出会い以前の戦場に立つ姿など……本当に、哀れむことが、できる存在だったのだろうか。

……変わらないものを、見抜かれたのかもしれんな

変わらないもの、ですか? ケッツァーさんが、誰かをお探しになられていたことを、ですか

……ふっ。それは、卵が先か鶏が先か、の話だな

???

 男の言葉に疑問を浮かべたのは私もだったが、考える暇もなく、男は話を次へ移した。

女は、似た瞳を想い出したと言っていた。自分と同じ境遇で育ち、なにかを求め、散っていった者達のことを

それは……誰?

 かつて、女性が戦の中で知り合った、やむをえずに戦いへと参加する者達。

――孤児。家族もおらず、支えてくれる者もいない。自分がどこから来たのか、どこへ行くのかもわからず、今を生きるのに精いっぱいの……そういった、者達と

こじ……。独りは、お辛い、ですものね

辛い、という言葉すら、考える暇もないくらいだろうな

 彼女の甘い感傷を叩くような男の言葉に、しかし、彼女はふるえない。

よく、見ておられる方だったんですね

 あくまで、女性が男をどう見ていたか、その視点で話をつないでいく。

……ああ。そんな気持ちが俺にあったかは、今も、わからないままだが

 ――神か悪魔のような男から、誰かを探す孤児の瞳を、見抜く。

(だから、同じ目線で、話せたのかもしれない)

 同じ境遇と感じたことが、女性の口を開かせたのだろうか。
 けれどそこで、女性の陰が深まったと、男は語る。

『救おうなんて、そんな大それた考えじゃなかった。言うなら……そう、気まぐれ、ってやつだったんだと想う』

女は、誰かに謝るように、うつむいた

なぜ、ですか? その方は、ケッツァーさんに、なにもされていないのに

……手を差し伸べるということは、とても、怖いことでもあるのよ

セリン、えっと、それは……?

 不思議そうに私を見つめる彼女へ、けれど、口を開く気にはなれない。

 ――あなたには、わからない。
 誰かを助けることが、誰かを苦しめることになるかもしれない、そんな行為を恐れる気持ちを。

(……この心のふるえを、知っているのかも、わからないけれど)

 ――それでも彼女は、リンという存在は、誰かを照らしだそうとするのだろう。
 セリンである私には、できない、その行為を。

そっちのお嬢ちゃんの言うことが、近いかもしれん。人一人をかくまうというのは、それだけ、背負う荷物が増えるということだからな

 そして全てを背負うことはできない、と、男は付け加える。
 ……それは、かつての世界でも、この闇の世界でも、変わりがない部分。
 光を照らせる範囲には、限りがある。
 グリも、スーも、そして……かつての世界で、誰かにかけた、優しい言葉も。

(全部、照らしだそうなんて、お互いに辛いだけなのに)

『こんな、真っ暗な想いが、できる世界。ない方がいい。消せるんなら……もっと、いい。そう、想った、気まぐれだったのさ』

……消せるんなら、いい?

 男が伝える女性の言葉に、私は二重の意味を考え、ぽつりとその響きを繰り返していた。

 ――闇にとらわれる世界なら、消えればいい。
 ――闇がある世界だから、そうならないように、消せればいい。

 その二つは、よく似ているけれど、まるで違うもののようにも想えた。

お話を、できるって

うん?

あの。こうして、リンとセリンがケッツァーさんと出会って、光を照らしてお話ができるって……すごいこと、ですよね

……奇妙なことでは、あるな

だから、その方もすごいです。お辛くても、ケッツァーさんと出会って、お話をされて……今、リンとセリンにまで、お気持ちを伝えられている。不思議で、すごいことです

……あの日の言葉がなければ、確かに、こうしてつながりはしなかったのだろうな

 男の戸惑ったような言い方は、私も、少し理解できた。
 ――周囲のおびえる視線を、男が除いてきたように。

(私も、『永遠の光』という理由を、消さないために)

 そう、自分とグリを納得させながら、前へ進み続けてきた。
 迷わないために。その場所へ、たどり着くために。
 ――それ以外の全てに、言葉も耳もふさぎ、それが前へ進むことだと信じていた。
 でも、同じ理由を持ちながら、彼女は……。

どうして話しているのか、まだ、戸惑ってもいる

……気まぐれ、なのかしらね

 私は、困ったような男にそう話しかけていた。
 まるで、彼女の無邪気さから少しでも気をそらさせようと、助けをしているかのように。

そう。気まぐれだと、言っていたよ。……あの、暖かい日々の、やりとりが

『だから、風呂に入れて飯を食わせて、畑の手伝いをさせるのさ。だって……その方が、いろいろなものが、見えるじゃないか?』

やっぱり、すごい方です。いろいろ見て、お話されて。リン、憧れます♪

 感心するように、そう呟く彼女。
 でも私は、明るく笑う彼女とは、まるで正反対のことを考えていた。

(……恐ろしい、人)

 ――自分の内にある、見えていた、真っ黒な世界。
 女性はそれを、どうやって誤魔化して嘘をつき、見ないようにしていたのだろう。
 なおかつ、眼の前の男は、かつての女性とよく似た存在なのだ。
 戦場を生きぬき、他の存在を破壊し、自分だけが残るために必死だった存在。
 ……暗闇を想い出す相手と、どうやって?

俺が避けていた、受け入れるという行為。女は、俺という闇を見ながら、逆にそれを成し遂げていたように想う

 だが、かといって、女性の言葉を素直に男が受け入れたわけではなかったらしい。

言ったよ。俺は、ただの人間ではない。お前が望もうと、俺のような者は産まれるはずがない、とな

 だが、女は納得の言葉を返しはせず。

『あんたが、普通の人間でないってのは、わかるけど』

 逆に、女性は彼へ道具を渡しながら、笑いかけたのだという。

『――でも、こうして、一緒に暮らして働いて、メシ食ってさ。その間のあんたは……人間で、いられてるだろ?』

人間……

ニンゲン、さん……

 私と彼女は、同じ単語を、ぽつりと呟く。

『だから、なりたい間は、人間になってなよ。……少なくとも、アタシには、嫌そうには見えないよ?』

女は、笑いながら、そう俺に言ってくれたよ

 その言葉は、男の立場や存在を、変えてくれるものではない。
 ――いや。
 元々、言葉や会話に、そんなことができるはずはない。

(口と、考えと、そう与えられた響きと。それがつながって、相手と交し合って)

 ……意味なんて、ないんだと。
 どうせ、亡くなってしまうのだからと。
 そう、私が、しないように避けていたもの。

 なのに……男は、笑っていた。穏やかに、眼を細めて。

人間、とは、なんだろうな?

 その言葉は、男の心に、今までにない温もりを与えたのだろう。

(……だって、今までにないほど)

 ――男の身体の内から、この闇に逆らう光が、膨れ上がっているのだから。

『……ひどい世界だからって、アタシもまた、そんなものに慣れちまったら』

『――あの人や、子供と過ごすはずだった日々も、ほんとになくなっちまうような……。そんな気が、してさ』

(――慣れて、しまったら、同じ?)

『迷惑なら、出ていってもいいけど。……いたいだけいてくれていいし、できるなら、アンタがアンタなんだってのも忘れないでほしいんだよ』

強い方でも、あられるのですね

ああ。だからこそ、俺は言った。自分の手が、血で染められていること。それが、女の想像もつかぬような、膨大な数であることを

……ケッツァーさんも、強い方なのですね

違う。……弱いからこそ、それを告げねば、その場にいることができなかっただけだ

 男は、女性に自分の身の上をいくつか明かしたという。
 人ならざる力を持つこと。王に従い、多くの命を奪ってきたこと。そして、それらについて考えることもせず、この世界と人々を恨み続けてきたこと。
 私達へ話したような内容を聞いた女性は、一言、頷いてから言ったという。

『それを言うなら、アタシだってそうだ。……血塗られてるのは、アンタだけじゃない』

 同じように、戦の中を生きた経験がある女性。

『一人も、百人も、同じことさ。……誰にだって、なにかしらの過去はあるもんだよ』

『その事実を、正義だとか、英雄だとか、解釈する立場や考えもあるみたいだけれどね』

『……いいじゃないか。私とアンタは、それを、罪だと想って今を生きてる。もう、そうしないようにね』

ツミ……

俺が、そう感じていたのかはわからないが。……少なくとも俺は、女の感じ方に、心が安らぐのを感じていたのだ

 もし、誰かを殺めることが、罪という名の過ちだというのなら。

(――形になっていない光を、ただ、利用することも?)

 それから男と女性は、なぜそう想ったのか、静かに話しあったという。
 そして、男が後悔していることに対して、女性は今を支える言葉を贈った。

『旨い野菜をいっぱい作って、動物の世話して、できたものを誰かに配ったり、与えたりして。そうして、当たり前に根付いて……いつか、あんたと同じような誰かを、育てなよ』

……いつできるか、わからん。俺は、そう答えた

『いいじゃないの。その日々の中で、また……なにかが、見つかるかもしれないしさ』

 ――私が、アンタを見つけたように。
 ――アンタも、誰かを見つければいい。

 女性は男へ、そのつながる願いを、言葉として伝えたという。

『もちろん、後悔していることを、忘れちゃいけないけどさ。……せっかく、生き延びたんだ。その想いを背負いながら、辛いけど、生きようよ』

『だって……そうしなきゃ、そうできなかった者達に、申し訳がたたないじゃないか。そうだろう?』

……強さとは、こういうことを言うのだと。俺は、始めて知った

 男はそこで初めて、女性に、ともに生きていくことを願ったという。
 いつ終わるのか、いつ変わるのか、わからない日々。

……リン、本当にその方と、いつか会えると嬉しいです

そうだな。お嬢ちゃんとアイツがなにを話すのか、面白そうだ

 微笑みながらうなずく男は、もう、眼を細めたくなるほどの眩しさがあった。

(――いえ。違うわね)

 細めたくなっているのは、眩しいせいばかりではなかった。
 ……私が、見ることを、聞くことを、考えることを、怖くなっていたからだ。

(そんなに、受け入れて前に進むなんてこと、選べるわけがなかった)

 そう、わかっていて、自分で決めた。
 なのに、どうしてこんなにも、心の中が暗く重いのだろう。

それからのお二人は、どうされたんですか

 弾むような彼女の期待に、男もまた、穏やかな言葉を返す。

穏やかな、日々だった

 先ほどまでの圧迫感とは違う、静かな言葉。
 ――言葉通りの、穏やかな心地を、彼は想い出しているのだろう。

……

 想わず無言になり、私は、彼の表情に吸い寄せられる。
 語る彼の眼も、ひどく柔らかい。
 最初の、引き締められた刃のような切れ味は……今の瞳から、想像することはできない。

すてきな日々、だったのですね

 光に合わせるかのような、温かみのある声。
 スーさん、という光に照らされた彼女の表情も、また明るい。
 柔らかい笑みは、最初に見たときと同じ、見ているこちらの心も落ち着かせるようなものだった。

 ――だから私は。

 切り裂いた。

……だった、なのでしょう?

 ――もう、こんな混ざり合った想いは、たくさんだから。
 ――この、優しい時間を、終わりにしよう。

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