……

っ!

五日町環。
あの人間には弱点がある

……

常に周囲への警戒を怠らず、外敵を排除するのにも優秀な能力を発揮する

その手腕には純粋に敬意を抱く

特に、ただ一時訪れる程度のつもりだったこの学園のことを下調べしていたなんて予想外。

警戒心もここまでくると病的ね

すべて、あなたのため。
あなたを守るため

……

――でも、だからこそ五日町環には弱点がある

普通の人なら、貼り紙がしてあったところでそこまで警戒しない。
普通にあり得ることじゃない、貼った紙が傾いていることなんて

あそこで彼女は、警戒し過ぎた。
調べすぎてしまったの

まあ、もちろんそんな雑なことをした用務員が居たら、この学園ではすぐにクビになるのだけど

「ここ」に入ってからの動きも、完璧とは言えなかった。もっと周囲の変化や上に気を配るべきだった

階段を下りているときほど背後と上方へ注意が向きにくいことぐらい、当然考えていておかしくないのに――

――ああ、そういえば、貴方がつまずいたのに気を取られたんだったわね

……でも、ちょっとおかしいわよね?

……

どこに階につながる扉が隠されているか分からないのが螺旋階段

とはいえ、出入りしにくいのが重大な欠陥

足を載せる一段一段の部分……踏面(ふみづら)は、螺旋階段では比較的広いけど、普通の階段ではしっかりと踊り場をとるべき部分だもの。狭い足場から行き来させるのは不親切よね

妥協策として、実はこの螺旋階段、出入り口付近の段だけわずかに幅が広くなっているらしいわ

普通の人なら気づかない程度の違いだけど、感覚の鋭い貴方なら…………

……段数を計算するまでもなく気づいてたんじゃないかしら?

ニューヨークのとある地下鉄駅の階段では、多くの人がなぜかつまずいてしまう、という現象が起きる。知ってるかしら?

それは、階段の高さが一段だけ高かったから。リズムを保って歩いていると咄嗟の違いに対応できないの

この螺旋階段でも、同じことが起きる可能性がある

「その段」に差し掛かれば、リズムを保って歩いてきた貴方はバランスを崩す

……すみません

段数が分かってたんなら、転ぶのくらい避けられたんじゃないかしら?

「わざと五日町環の注意を逸らすためにとった演技」……そう思われても仕方ないわよ?

……

……反論がないなら、協力ありがとう、と言っておくわ

いずれにせよ、何か細工があると疑うには十分な条件は揃えていたのね

その疑念が正しかったとしても関係ない。彼女が気づくことも計算のうちだから――

 ――

――いえ、認めましょう。
この螺旋階段の仕掛けにおいて、彼女を欺くことは出来なかった。だから、最初から気づかせるつもりでいた

実際、用心した彼女は偵察を放ったわ

夜暮くん――だったかしら。
邪魔者を自分から分断してくれた

ああ、彼は「今のところ」無事だから安心してちょうだい

……

ねえ……

紙に印刷して、それをテープで留めただけのようですね

近づいてみれば、貼り紙から、かすかに香りが……

貼り方が雑だな。斜めに…………

それに…………

……僕しか、気づいていない

この香りは紅茶……

ウヴァ。
薔薇とサリチル酸メチル……

細胞間や個体間での情報伝達に用いられる化学物質を「chemical messenger」と言うの。
ホルモンやフェロモンが代表的ね

この香りは、いわば私からあなたへのケミカルメッセンジャーってところかしら?

……私のメッセージ、受け取ってくれてありがとう

……

貴方が気づいて協力してくれなかったら、この計画は成功しなかったわ、巣に囚われのヒナ鳥ちゃん

手荒なことをしてごめんなさいね。でも、貴方も分かってくれて嬉しいわ

――貴方と私は、話す必要がある。邪魔者のいない場所で

……僕が今、ここに居るのは、情報を得るためです

それ以上の理由は、ありません

僕は、五日町さんを――
五日町環さんを、迷惑だと思ったことは一度もありませんから

――ただ、僕が安全な場所にいるだけでは、何も助けられないと思うからです

Good.
その目、嫌いじゃないわ

‡4 β-エンドルフィンに溺れて ―ⅷ

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