――未来姉さんは覚えてるかな?
私と一緒にライブを見に行った日のこと。

唐突だな。――覚えてるが、それがどうした愛するココロ。

あの日、私は生まれ変わったんだよ。
未来姉さんのおかげで生まれ変われたんだ。

……

私は語る。

今までの私から、今の私に変わった経緯を。

きっと、姉は気づいていないから。

私がどれだけたくさんのものを姉からもらっているかを。そして、どれだけそれらを返せていないかを。

あの日のこと、今でも鮮明に思い出せるよ。
間違いなく、私の人生で一番楽しかった日だった。
周りのことを気にしないで、自分の楽しみだけに没頭できたの。
そんなこと、生まれて初めてだった。

今までの私は周りのことばかりを気にしていた。


それはそれで他では得難い経験ではあったけれど、やはり自分のことを自分のためにできるというのは他に変えることはできない財産だった。


私はそれを16歳になって初めて知った。

あの日、私が周りのことを気にしないで済んだのは、全部姉さんのおかげだった。

慣れない電車の乗り換えも、ライブ会場までの道案内も、全部姉がやってくれた。


私はただ姉の後ろをついていくだけだった。


姉は「たいしたことはしてない。これが私の日常で、当たり前だからできるんだ。同じような生き方をしていれば私じゃなくたってできるさ」なんて謙遜をしてみせたけれど、私は思った。


――姉と同じような生き方をしている人間が、この狭い世界のどこに、そんなにたくさん居るんだろうって。

そんなに恵まれた状態だったのに、私はライブ会場でポカをしてしまったね。

ライブ会場に着いて気分が盛り上がった私は、ただでさえ狭い視野がもっと狭くなってしまっていたのだろう。


ぶつかってしまったことが原因でガラの悪い女に絡まれてしまった。

――んだオメエ、人様にぶつかっといてただで済むと思うなよ!

すみません……

すみませんで済んだらサツはいらねえんだよ!

勢いのある理不尽な物言いの恐ろしさを私はこの時に知った。


何を言っても納得してもらえる気がしない。

何をやっても裏目に出る気しかしない。


そうなったとき、人は何もできずうつむくことしかできないことを私は実感を伴って知った。


あの時の姉はこんな気持ちだったんだろう、と身をもって分かった。


そんな時だった。姉がどこかに電話をかけたのは。

――おい、ネコスギ。『西凶キャッツ』の団員の教育は一体どうなってるんだ?

私の勘違いじゃなかったら西凶キャッツは一般人に手を出さないのが矜持だとか言ってなかったか?

……は?

ネコスギ、という名前に女の表情が凍り付いたのが分かった。


西凶キャッツの名前は私でも知っている。最近、東強ドッグズと東京を二分しているスケバングループの一角だ。


言われて見てみれば女の胸元には、女のまとう雰囲気とは真逆のかわいらしい猫のワッペンがついているのが分かった。


だが、なぜ姉の電話に女が反応するのか。


姉は電話先と少しもめた末に、電話を女に手渡した。


血色を失った女が電話に出たことでようやくその理由に行き着く。

はい。すみません、ネコスギ総長……

総長!?

おい、絡んですまなかったな。邪魔をした。

結局、その場はそれで女が立ち去り、私と姉はその後のライブを心から楽しむことができた。


なぜ、姉はそんな大物の連絡先を知っていたのか。
その謎はすぐに解けた。

これ、まさかとは思ったけど……

やっぱり姉さんの絵だ……!

宿泊するホテルに到着し姉がお風呂に入ったところで、私は西凶キャッツの団員ワッペンの絵を検索してその答えにたどり着いた。


学校に行かなくなってから、目まぐるしく進化を続ける姉の絵ではあるが、その根幹は変わらない。

おそらく行かなくなってそう時間もたたない頃に描かれた絵だろう。


右手の爪先を輝かせ、キュートな笑みを浮かべるキャッチーな猫の絵が印象的だ。

……しかもこれ、東強ドッグズの団員ワッペンもそうじゃない?

関連する画像の中に出てきた東強ドッグズの団員ワッペンも同じ絵師の絵であることは、見る人が見れば一目瞭然だった。


なんでこんなところに姉の絵が使われているのか。

……考えられるとすればSNSの繋がりだよね

姉のHNがわからなかったので、まずはダメ元でネコスギの名前で調べてみる。


すると、すぐに一つのアカウントに行き着いた。

西凶キャッツ総長のネコスギです。
絵は無冠神-uncrowed god-様より。

ハンドルネーム:ムカンシン。


これが姉であるのは間違いなさそうだった。


おそらく苗字の夢環と私の名前の心から勝手にとったんだろう。


勝手に人の名前を借りないでほしい。

しかし、我が姉ながら絶望的にネーミングセンスが無い……

アンクラウドゴッドって中二病にもほどがあるでしょ

と関係ないことを思いながらも、二人のアカウントのやり取りを見ているとだんだん経緯が分かってきた。


もともとは二つのスケバングループがなぜかワッペンのかわいさを競い合って絵師を探し回り、それぞれがこの広いネット空間でほぼ同時に行き着いたのがこの無冠神、つまりは姉のアカウントだったということのようだ。


確かに姉の絵はかわいさに特化しているから目に留まるのは分かるが、そんなに趣向が似ているならばそもそも忌み嫌わなければいいのに、と思ったところで姉がお風呂から上がってきたのでその時はそこで調べることをやめた。


しかし、姉の絵が不特定多数の人間に愛されて、必要とされていることに私は魂に響くほど強烈な驚きと羨望を覚えた。


そして――

未来姉さんはきちんと自分の生きる世界を見つけている……

私は、一体どうすればいい?

――変わらなければいけない。


だけど、私に変わることはできそうにない。


いつか、姉のように学校を休んでまでしたいと思うことが、私にもできるだろうか?


そんな、焦りが私の中に生まれた。

――あの日からね、ずっとずっと焦ってた。
未来姉さんに負けないように、胸を張れる自分で生きれるようになりたいって。
私は姉さんの生き方に焦がれるようになったんだ。

そして、私はその日から今日までの間に一つの答えにたどりついた。


私は、その答えをまだ姉に伝えていない。


これは、私の中で唯一曲げられない芯となるもので、姉には伝えてならないものだと私は勝手にそう判断していたから。

……ごめんね、姉さん。私が間違ってたんだ。

これを知らせてしまったら、姉は傷ついてしまうから。


これを知ってしまったら、姉のプライドが折れてしまうから。


そんな風に勝手に判断して、私は姉に真実を伝えなかった。


私はそれを良かれと思ってやっていた。


それがどれだけ傲慢な考えかを知らずに。

――好きだよ、姉さん。
姉さんの描く絵も、姉さんの生き方も。
私が今こうして生きているのも姉さんのおかげ。それだけは変わらないから。

……何を言っている、愛するココロ。

『愛するココロ』とは、姉がインターネットで好きになった二次元の絵のことだ。


姉が引きこもってからたどり着いた一枚の絵。


無冠神が心酔するハンドルネーム「死妹―デスター―」が描いた最初の絵。


タイトルはそのハンドルネームと同じ『死妹(しまい)』。


副タイトルは『愛するココロ』。


道化師風のメイクをした少女が、自身の首を絞めている絵。


無冠神はその絵を見て痛く感銘を受け、すぐにデスターをフォロー。


デスターはそれからしばらくして、あるきっかけをもとに無冠神をフォローし、二人は相互フォローとなった。


そして、お互いはお互いに尊敬し、競い合う仲となったのでした。


めでたしめでたし。



――それだけで、終わっていればよかったのにね。

未来姉さん、いや、無冠神さん。

私が、――死妹だよ。

……は?

ぽかんと口を開ける姉。


そりゃそうだ。

姉は私がハンドルネームを知っていることすら知らなかっただろうし、ましてや私が死妹だなんて思いいたるはずがないのだから。


久しぶりに姉の驚く顔を見た。なんだ、無表情以外の顔もできるんじゃないか。


私はそんな姉に安心感を覚える。


そうだよね。


――あなたがどんなに否定したって、冷たいものは冷たいし、痛いものは痛いんだ。


冷たくないと言ったって、痛くないと言ったって、表情が無い振りをしたって、ココロが無い素振りを見せたって、ミライが無い姿をさらしたって、そんなもの。


あなたがいくら感じないと言ったって、それは表層だけで中身の無い――大嘘だよ。


そして、それは私も一緒。


――だから、安心して、姉さん。

ごめんね、ずっと言えなくて……

未来姉さんを傷つけたくなかったんだ。
だから今朝も、私は笑いかけただけだった。
本当は、いの一番に未来姉さんに伝えたかったのに。

昨晩のことだった。


死妹のアドレスにあるメールが届いた。


死妹はあまりの嬉しさに、すぐに無冠神にその内容を伝えた。



だから、姉は知っているのだ。


死妹の送った原稿が、ある公募で編集者の目に留まったことを。


私が、姉よりも早く、姉が目指す漫画家への道を踏み出そうとしていたことを。

……ごめんね、未来姉さん
もっと話したいこと、たくさんあるけど……
もう、身体が、動かないや……

冬、吐いた息が光を浴びてキラキラ光るように、私は当たり前のように最後の嘘をついた。


否、実際、タイムリミットなのだ。


身体がもう、満足に動かない。


真冬の水が体にしみ込んで、全身を凍らせたみたいに動けない。


だけど、きっと私一人ならまだ川から上がれる。死ぬ気で歩けば家まで帰れる。


姉を助けないという選択肢を選ぶなら、ここが最後の分水嶺だ。


だけどさ、そんなの、私は認めない。


二人が助からないそんな選択肢、私は選ばない。


頼むよ、姉さん。


私と――いい加減、姉さん自身を助けてあげてよ。

姉さんと……一緒に……生きたかったよ

私は、意図的に足を滑らせた。


そして、川の流れに身を任せるとともに、意識をそっと手放した。

――~~ココロッ!!

ああ、姉の声がなんだか遠くに聞こえる。

……大好きだよ、姉さん……

今の物語 ~姉への思い~

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