自分らしくあることの難しさは、そうあろうとした者にしか分からない。
そうあろうとした瞬間にそれは自分らしさではなく、なりたいと思う自分は今の自分とかけ離れているのだから。
結果として、自分らしくありたい、と願った者の末路はただ一つに帰結する。
それは、自身の原点に立ち戻るというもの。
私にとっての原点、それはよくも悪くも相手の期待に応えることだ。
ヒーローは目指さなくても、その点だけは変わらなかった。
高校生になった私は相手が望む私を演じるようになった。
おしゃれに気を使う私。流行に乗る私。
高校生らしくコイバナをする私。
かと思えば勉強もできる私。
一番を目指さなくなった代わりに、私は無難よりも少し上を目指すようになった。
良くも悪くも目立つ人ではなく、いつでも少し目立つ自分を目指すようになった。
可でもなく、優でもなく、良を目指すようになった。
そんな私を客観視したときに、ちょうどいい言葉があるなあ、と思ったのはいつだったか――
『腐ったリンゴは中身を見ないと分からない』
外見を気にするようになった私は、その中身がだんだんと腐っていくのを感じながら、それでも自分らしくあろうとし続けた。
――『誰か』に嫌われたくなかったから。