お前、と、私の方を見ながら、男が言う。
すると……どうだ。
今更ながらに、さっきお前に言われた言葉が、わいてきたのだよ
お前、と、私の方を見ながら、男が言う。
戦場の前線に立ちながら、俺は……
自分への諦めを、ようやく、気づいたのだ
身体から力が抜け、周囲の威圧するような視線も、どこか冷めた眼で見ることができた。
怒り、恐れ、高揚、不安……それらの混じった感情は、敵にも名を伝える男の存在に、否応なく集中したという。
そして、周囲で俺を監視する王の軍の動きも、どうでもよくなっていた
ともについてきた兵士達は、一斉に引き、男の周囲から離れ始めた。
すぐさまその姿形は遠くなり、おそらく、安全な場所まで移動したのだろうと男は語る。
あの。
それでは、ケッツァーさんが独りきりになってしまいます……
そのとおりだ。
俺は、独りきりにされたのだよ。
生贄としてな
――男はそれを知りながらも、たった独りきりで、他国の者達を待ち受けたという。
(……周囲に、助けてくれる者は、誰もいない。それは……)
少しだけ眼を伏せる私の耳に、男の声が、ぼんやりと響く。
不思議とあの時は、よく覚えている。
ゆっくりと、周囲が動いているようにも、想えた
どこかぼんやりと、他人のような視線で、世界が見えた。逃げることも、引き返すことも、なんでもできた。
だが……という諦めが、胸の奥に、ずっと居座っていた。
男が語るのは、淡々としているのに、どこか胸の重さを増やすような、独りきりの告白だった。
敵国の兵士達は、逆に、俺の存在を打つべく、向かってきた。
その手に剣を、その眼に怒りを灯して
何百という攻撃は、男の身体を瞬く間に貫いた。
だが――男の身体は、無意識にも、それらの痛みに反応した。
何度も意識は消え、戻り、景色が変わった。
俺の意識は、なんどもなんども、蘇っては死んでいたのだろう
……ぅ……
(……恐ろしい、のでしょうね。形が消えても、また、造られて。また、消されてしまう……)
――グリにとりこんだ光達は、今、なにを想うのだろう。
形を得ることなくとりこんだ彼らは、もし、戻れるのなら。
……形になることを、望むのだろうか。
ケッツァーさんは、それでも、その場にい続けたのですか
……あぁ。
あの眼に、俺は、射抜かれたからな
め、ですか?
男が語るのは、戦場で彼に剣を向ける者達の、変わらない瞳のことだった。
なんど眼を開いて、閉じて、また開いても……やつらの視線は、ずっと、同じだった。
なにかを目標に、その力を、ふるっているように見えた
彼へ向けられるのは、憎悪。怒り。恐怖。
男がふるう力への感情も、あったのだろう。そこから逃れなければ、消えるのは相手方なのだから。
だが、俺はいつしか……気づいたのだ。やつらが戦うなかで、俺以外を見つめても、いることを
まれに見える、よりそいあう二人の名前。
なにかを求めるように叫びながら、散っていく兵士達。
――それが、自分以外の誰かの名前であると男が気づいたのは、自分の死を覚悟したその戦いだったという。
誰かのために、力をふるう。
俺にはない、その力の源。
……俺は、敵国の彼らのそれも、知らず奪っていたのだろう
それに気づいた時、彼は、心の底から悟ったのだという。
――俺は、独りだと。
この世界で、誰ともつながっていない、ただ一人の悪魔なのだと。
そう、想ったのだ
黒く淀んだ、油の混じった泥土のような、どうにもならない感情。
それが、弾け飛びそうなほど、男の身体の内側を満たしていった。
それを、どこか弱さを感じさせる口調で、男は私達へと告げた。
だから……かまわなかった。
このまま、朽ちてしまおうと
途中から、男は完全に戦意を失った。
身体の反応も次第に鈍くなり、意識の途切れる時が多くなっていった。
斬撃と殴打の嵐の中で、本当に、意識を失っていったという。
……お辛い、ですね
自分のことのように、彼女はふるえる声で、小さくそう呟いた。
(……けれど)
だが私は、違うことを感じていた。
それだけの状況にあいながら、しかし、眼の前にいる男は……形を、保っている。
私の心を読んだかのように、男は、じっくりと、その言葉を口にした。
――だが、俺は、目覚めた
男が意識を失っても、戦いは続いた。……戦いとは、そういうものだと、男は言う。
その争いの途中で、男は確かに意識を失い、闇の中へと落ちた。
――だが、男の眼は、再び開かれた。
戦いが止み、全てが終わった後。
血と泥と雨水、男に覆いかぶさる肉片。
腐臭が入り交じる、その赤黒い水底で。
男は、死ぬことができず、再生したという。
……それこそ、神の悪戯、というものだったのかもしれん
だが、今度ばかりは、男の再生能力にも限界があったという。
全身の痛みに、まとまらない思考。
鼻をえぐるような異臭と、周囲に満ちる生と死の混合。
かつてない身体の苦しみと、吐き気と、そして
――怒り
怒り……?
私の言葉に、男はその時を想い出したかのように顔を変え、応える。
ああ。あの時、俺の心に……悪魔が、目覚めたのだろう
感じたことのない感情は、男に、ある考えをわき上がらせた。
今まで、考えることを避けていたという、ある考えを。
――なぜ、俺は、ここにいる?
――どうして、何度も、生き返るしかない?
――誰が、どうして、こんな状態を続けさせている!
……っ!
胸の奥からこみ上げてきたのは、憎しみ、恨み、闇……。世界に対する、怒り、それだけだった
男の、呻き絞り出すような声に、彼女はハッと眼を見開いて問いかける。
ひかりの、せかいなのに……ですか?
彼女の漏らす、小さな呟き。
それは、驚きや戸惑いを含んでいたように、想う。
(そう、か)
彼女は、『永遠の光』を得ることが、明るい世界になることだと信じている。
――"明るい"ことが、形を持つことが、どんな側面を持つのか。
(私も、そう信じて、進み続けてきた。……そうであれば、いいと、願いながら)
形をえることは、あらゆる想いを、照らし出すことでもある。
この世界で、それを、見続けてきたはずなのに。
光だけがある、世界ではない
男は、私の考えを代弁するかのように、彼女の呟きに応える。
――俺にとっては、あの世界もまた、闇だった。
この世界とは異なる、別種のな
……この闇とは、違う、やみ……
――小さく口を開き、さまようような目線。その胸の奥は、その答えを、知っているのか知らないのか。
どちらにしろ、彼女が、眼の前の形になにを求めているのか。
この闇の中で、なにを目標に、進み続けてきたのか。
それが、かつての世界で輝いていた光であることは、もう考えるまでもない。
(……だからこそ、わからない)
目指すべき世界が、グリやスーのような、光だけであるはずがない。
かつての世界の、光や形に触れていたのなら、それを、彼女も知っているはずなのに。
(どうしてあなたは、まだ、話を聞こうとしているの)
――私は、もう、進み続けることしかできなくなったというのに。
目覚め、怒りに狂い。
……その後の記憶は、ぼんやりとしたものしかない
男の言葉は、ゆっくりと続く。
私達の反応を待つこともなく、物思いにふけるような言葉の響きと共に。
胸の奥の暗闇に、従うように。
……俺は、眼に見える周囲を破壊するだけの、本当の、魔物となった
記憶がない、と語るように、それからの男の言葉は断片的なものばかりだった。
……男自身にもつかめないそれらを、想像でわかるしかない私達は、より、つかみにくい。
ただ、わかったことは――この世界の闇のように、男は、かつての世界の形を、奪い始めたのだということ。
気づいた時には、王の国へ戻っていた。
そして、城の者へ怒りをぶつけ、研究者の口を閉ざし、自身を封じていた実力者達の再起を潰した
だが、それらは意識的に行われたものではなく、本能の赴くままに手をかけていった結果であったようだ。
なんども目覚め、記憶を失い、また目覚める。
……こわい、ですね
俺が、か?
形を取り戻すたびに、また、自分が違ってしまうこと。
……ケッツァーさんの、心が、かわいそうで
……ふっ
彼女の同情に、男は、なにも語らない。
……あの時、俺が破壊した者達に、そんなことを想う心はなかっただろうな
男の力を制御する、騎士達や研究者達。
いつも男を抑えつけていたという彼らすら、先の戦いで死んだと想っていたのか。
突然の強襲や不意打ちに避ける術を持たなかった彼らは、あっけなくその形を亡くしてしまったという。
遮るものなど、もう、なにもない。
……だから俺は、その胸の内が黒く渦巻く原因に、向かっていった
無意識に駆ける男は、たどり着いた。
その、紅い海と赤い炎に、囲まれる中で。
目的とした形を、心のままに、破壊した。
最後に、俺を造りだした人間は、叫んだよ
"――神にして、悪魔"
"――我が造りし血塗られし道で、最高の力を得たか"
"――くくくっ、おかしなものだ。その力により、我が国が、滅ぼされるとはな……"
"――地獄で、待っているぞ……。我が、恐ろしき息子よ……っ!"
――自らを生み出した王を、男は、その手で破壊した。
……最後まであの男は、俺を、見下ろしていたよ。
様子を観察するような、あの眼のまま、な
最後、でも、でしょうか
あぁ。
最後まで、変わらず俺は……
やつにとって、『道具』以外の、何物でもなかった
……
想像することすらできない男の話は、そこで、いったん途切れ。
そしてそれが、俺が記憶する……
かつての世界の、最後の記憶だ
小さな言葉と共に、全ての話が終わったことを、告げられた。
戦いに始まり、戦いに終わる。
それが、あなたが形を持っていた、かつての世界
話をまとめるような私の呟きに、男はうなずく。
――だから俺は、闇なのだ。
神であり、悪魔でもある……
ただ、世界を恐怖させるだけに存在する、な
そう断言し、口を閉ざした男。
私も彼女も、静かな圧迫感をたたえるその姿を、じっと見つめることしかできない。
……ぁ……
彼女は、口を開かない。
なにかを考え、迷っているのか。
それとも、今更のように、話しかけたことを後悔しているのか。
もしくは、私と同じように、手元の光に導く対応を考えているのだろうか。
(そう。考えるべきは、次の対応)
私もまた、口を開かない。
……私は、その時がきたのだと、ようやく感じ始めていたから。
いつしか話を引きだしながら、二人の会話へと、混ざりこんでいた。
男が進んできた、かつての世界。彼女が聞きだしたい、お話の中身。
それらを、いつの間にか、聞こうとしている自分がどこかにいたから。
(……でも。やっぱり、変わらない)
始まった話は、いつか、終わるときがくる。
その時が、ようやく来たのだと、わかったから。
――以前と、同じだ。いくら言葉を交わしても、この闇も、やれるべきことも、変わらないのだから。
周囲から、音が消える。
もともと、この闇の中に、音なんてほとんどないのだけれど。
語るべきことは、語り終えた。
男の様子からは、そう感じることもできた。
ならば、始まりの願いをかけたのは、いったい誰だったのか。
――終わりのための口を開いたのは、彼女だった。
しっかりとした、まっすぐな瞳を、男へと見開いて。
……ケッツァーさんのお話、
とても、胸が詰まりました
ならば、どうする。
恐れるか。
それとも、殺すか
そんな……!
そんなこと、できません!
否定する彼女の言葉に、しかし、男の様子は変わらない。
――今の、話を聞いて、私にも察することが出来た。
リンは、スーさんは、そんなこと……したく、ありません
殺そうと想っても、できないでしょうしね
セリン、そんなことを想っては……!
驚いたように言う彼女と対照的に、男は、少しだけ声を出して笑う。
あぁ、その通りだ。
……普通の方法で、俺を殺すことは、な
普通の方法、というものが、なにを指すのかはわからないが。
(確かに――男の知る世界では、そうなのでしょうね)
少なくとも、グリのような光は、かつての世界にはなかったはずだから。
瞬時に粉にでもすれば、わからんが。
あぁ、全身をバラバラにされれば、しばらくの時間稼ぎにはなるな。
できれば、の話だが
――だが、できたとしても、男は再び形をとるだろう。
さっきまで聞いた話では、それ以上のことになってすら、男はその身を蘇らせてきたのだから。
妥当なのは、逃げることかもしれん。
この闇に逃げる場所があるのか、わからないがな
(……逃げる場所なんて、あるはずが、ない)
それは、口に乗せれば、感情がでてしまいそうな言葉。
逃げる場所も、安らぐ相手も、私は、一度も見つけたことはない。
――ただ、ただ、闇をグリと共に、進むことしかできなかった。
(似ている、のでしょうね。やはり)
ならば、と、グリを掲げながら私は決意する。
――このまま、闇にのまれるのを、放っておいてもいいのだけれど。
(危険なまま、残すなら……進むための力に、なってもらう)
したくない、など、甘いな。
できるはずが、ないのだ
力が大きすぎれば、小さな存在は、見えにくくなるのかもしれない。
ましてや、自分の知らない力を持っているとは、考えにくくもなるのだろう。
だから、私は付け入る。かつての世界の力を基準に考える、男の考えに。
そうね
さらりと答えながら、私は、指先でグリへと合図を送っていた。
――そう、殺せるはずがない。そんな力は持っていないから。
……でも、逃げることもない。そんな道は残されていないから。
逆に、聞いても良いかしら
けれど、今のままではお互いに見つめ合うだけだ。
きっかけがいる。どちらかが、振らなければいけない。
この闇の中で、これから残るべき者を決める……決断を。
あなたは、この闇の世界で、なにを望むの
わかっているだろう
グッ、と。男の拳と、肩の筋肉が、わずかながらに動く。
闇となることでしか、世界に求められず。
そうなったからこそ、世界に拒絶された存在
――男の身体の肉が、圧迫感が、私へと危険を伝えてくる。
グリ
私も、同じだ。グリを持つ手を、しっかりと握りしめ。
『あいよぉ』
グリもまた、その身にためこんだ光を、いつでも放射できるように準備する。
――そんな俺が、望むしかないものなど
(ようやく、だわ)
長い話を抜けて、でも、結末は同じ。
……私は、なにに期待していたのだろう。そう、かすかな自問をして。
手元のグリを、男に向ける。
わかっている、だろう?
……悪魔となるしかないこの俺が、望むことなどな
――ただ、この暗闇と同じ存在に、男を還すために。
なのに。
なのに……。
あのっ!
身構える私と、威圧する男の、張りつめた空気に。
彼女は、変わらぬ愛らしさで、一歩前へと踏み出してきた。
リンのお話を……
聞いてもらっても、いいですか?