男は、感情を殺すようにそう言い、いったん言葉を切った。
暗い、地下室という場所。
その闇の中で、男を呼び、姿を見せた存在。
出会うことを願い、さまよった地下室の先で、だが男はその正体を聞くこともなく背を向けた。
――俺は、恐ろしくなり、その場から逃げた
男は、感情を殺すようにそう言い、いったん言葉を切った。
暗い、地下室という場所。
その闇の中で、男を呼び、姿を見せた存在。
出会うことを願い、さまよった地下室の先で、だが男はその正体を聞くこともなく背を向けた。
……ただ、逃げることしか、できなかったのだ
男の言葉が真実なら、話し合うことも触れあうことも、できない状態ではあったのだろうけれど。
(彼女と、同じような響きで、語るのね)
――男が重ねて告げたその言葉には、先ほどの彼女と似た、苦いものが混じっているように感じられた。
その存在が、何だったのか。
それは、今もよくわからない
息を荒らげ。
全身の筋肉を張りつめ。
心を焦りで埋め。
頭の中が真っ白になりながら。
――男は、ただ逃げることしか、遠ざかることしか、考えられなかった。
だが……後に、わかったこともある。
無意識に、わかっていたからこそ、逃げ出したのだと
その存在を見た時、男は、本能的に理解していた。
教えられたり、考えたりして、たどり着いたものではなく。
ただ、感じるままに、その事実を知ったからこそ。
……眼の前の事実が、あまりにも恐ろしく、受け入れることができなかった。
男は、感情を殺すように声を潰しながら、そう私達に語りかけた。
あの闇の中で、俺は、生まれたのだと。
人と世界の闇が凝縮された、そう、この闇の世界と同じような場所で
それもまた、本能的に悟ったことだった。おそらく、そうなのだろうと。
男の身にある、神と呼ばれた血がそう教えるのか。
それとも、生物として備わった本能が、自分の生まれた場所を無意識に告げたのか。
……そのためだけに生かされている、哀れな形を、その眼にして
――光なき場所で生まれた、この男。
(私達と、一緒だわ)
闇から生まれ、闇を進み、不安定な形のまま、ここにいる。
けれど……もちろん、違いもある。
私には、グリがいた。
彼女には、スーという光がいた。
でも――光を持てなかった男は、どんな輝きを、見ていたのか。
……輝きを見ることが、できたのか。
それらのことがわかったのは、その後、しばらく経ってからのことだった
自然に気づいたことも多ければ、少しずつ周囲から聞き出して、理解していったものも多いと語る。
男を嘲りながらも恐れる、高貴だと名乗る人間の罵倒から、それらの言葉はこぼれていた。
少しずつ少しずつ、監視された世界の中で情報を拾い集め、自分の置かれている境遇を男は受け入れていった。
――形になるほど、ならなければ、よかったと。そう感じて、いたのかもしれない
(形になって、考えて、感じてしまう。……それが苦しいのなら、確かに、いっそ)
……まるで、今の、私のよう。
あの、ケッツァーさん。
地下室から逃げられた後は、その、どうなされたんですか?
彼女の問いかけに、男は、先ほどの話の続きへと戻る。
地下室を抜け出た俺の眼には、薄暗い、世界が戻った
薄い、月明かりが世界を覆う夜。
暗い地下室から抜け出てきた男の眼には、そのかすかな光すら、色鮮やかなものに見えたという。
同時に、物静かだった入口の周辺が、ざわめきを潜ませていることにも気づいたのだという。
ゆっくり、男は眼を細め、身を縮ませ、辺りの気配を探った。
そうして、その正体を見極める――その世界を照らす月のように、様々な形を彩る、人間達の瞳を。
怯えた眼の人間達が、たくさん、俺の周りを囲んでいた
多いのは、三日月。冷静な者は、半月のよう。驚きに、真円のように瞳を見開く者もいたという。
(……月。夜の、空という場所で輝く、きれいなもの)
グリに聞いたことはあったが、そんなに形を変えるとは知らなかった。
一つ一つの形は、まったくわからないけれど、様々な感情を表していたのだろうということは想像できる。
おつきさま……そのおつきさまに、みなさんの瞳は、たくさん変わっていたのですね
これほどまでに、俺を見る感情があるのか。そう、想うほどにな
その瞳は、その、なにを照らそうとしていたのですか?
――照らしたくは、なかったのかもしれんな
その瞳の全てが、恐怖に満ちていたという。
対象は、そう語る男のことだろう。
もしかすると、地下室の存在と出会ったことに、怯えたのかもしれんが
男の形と、その力の源に関わる存在。
確かに、恐れを感じさせる存在同士の再会は、避けたくもなるものかもしれない。
……私が、眼の前の男の形を取り戻すことを、躊躇したように。
だが、それでは、あまりにも身勝手ではないか
男が地下室から抜け出た瞬間に、人間達は周囲を囲んでいた。
あまりにも的確なその動きに、男は、逃げ出した場所を特定して待ちかまえていたのだと理解した。
そんなにも怯えながら、あれほどのことをしてのける
後ろにも、前にも、動けない男の身体。
そこに、不安な月の眼をした人間達は――刃を、打ち込んだ。
身を貫く痛みの先に見えたのは、歪曲した瞳と、ふるえる口元。
低く暗く、冷たい刃のような瞳と空気。
――ヤツラは俺を、刃を向ける存在だとしか認識していない。恐れの、恐怖の、対象としてな
……そんな
彼女の小さな呟きを、男は右手を開いて突きだし、ぐっと拳を握りこ込むことで止めさせた。
まるで、彼女の願いを押し潰すかのように。
ならば、望みを叶えてやったのだ
神と呼ばれた、悪魔の行いにて
そ、れって……っ
男の手つきと、言葉の響き。
そして、今までの会話の流れから、彼女はなにが起こったのかを察したのだろう。
……それはおそらく、私と同じ。
(そうしなければ、男の方が、ということかしら)
私もまた、男の言葉の断片から、なにがあったのかを推測する。
おそらく、人間にとって、悪魔と呼ばれる行いを成したというのであれば……答えは、限られてくる。
――だがそれは、男を恐怖の対象とした、人間達の生みだした結果なのかもしれない。
今、男が発している威圧感は、無言でそれを伝えているかのようにも想われた。
……
彼女は、ただ、マッチを持っていない手で口元を抑えるだけ。
次の言葉を継げられないまま、男の次の言葉を待っている。
(待っている、のだろうか)
でもこの関わりは、彼女が望んだことだ。
あの、黒い塊に光を灯し、形を取り戻させ、かつての世界で起こったことに、言葉を傾けること。
それを、自覚しているからなのか。それとも、止める気力もないのか。
わからないままの私の横で、男は彼女に問いかける。
……続けるぞ
はい
問いかけに答える姿は、一瞬。
(……泣きそうな、顔なのに)
彼女の頷(うなず)く姿に、私も一瞬だけ、驚きを感じてしまう。
……やめてほしいのは、やはり、私の方なのかもしれない。
そうやって、彼女のように、この闇の中を進んできてはいないのだから。
――それからの話もまた、聞き続けるには、胸が重くなる話だった。
男が城の中の兵士達を一掃しているなか、街の鎮圧が済んだのか、いつも男を監視している者達がその場所へと戻ってきたという。
力のままに暴れ回った男だったが、しかし、卓越した人間達の集団を吹き飛ばすことはできなかったようだ。
いつしか取り押さえられ、再び、監視の眼がある部屋へと押し戻されてしまっていた。
――その後、地下室の存在がどうなったのか。男は、わからないと語る。
……また俺は、傷と痛みで動く人形へと、連れ戻された
拘束された男に待っていたのは、それまで以上に厳しい日々だったという。
より、敷き詰められたスケジュール。
倍以上に増えた、監視の眼。
恐怖を与えるためにささやかれる、地下室の存在。
怒りは、憎しみは、消えていなかった。俺の心の内に、あの夜の刃は、今も残っている
だが、と、男は胸に手を置いて、眉を寄せた。
同時に俺の心は、あの光景を、刻み込んでしまっていた。
想いだすことを、避けるかのように
(……もし、一歩違えれば。それは、自分の姿なのかも、しれないから)
私は、そんな想像をしてしまう。
――かつての世界の王と人間達にとって、男は、『道具』にしかすぎないのだろうから。
教育係や、監視者達は、俺にただ一つのことだけを教え込んだ。
他の感情など、いらぬかというように
一つの、ことですか?
――どれほど効率よく、形を奪えるか、という方法だよ
……っ!
なにを意味する言葉か、彼女ももう、わかっているのだろう。驚きはしても、悲しみも、声も上げない。
ただ、男の言葉を待ち、手元の光をぎゅっと握りしめている。
『セリンもぉ、俺に頼ってくれていいんだぜぇ?』
……それは、なんのために?
男に向けて、またグリに向けて、私は二重の返答をした。
ある、目的のためだ
目的?
最初に言っただろう。
王の目的、それは……
世界をその手に、収めることだとな
男に課される、肉体と精神への、過酷な教育。
あらゆる形の有効な再利用と、その破壊の仕方。どれだけ硬く強かろうと、鍛えようのない部分があるという知識を、植え込まれる。
そして、繰り返される、四肢への実践と調教。意識でどれだけわかろうと、身体が反応するのかは、別問題だというからだ。
(……確かに。危険とわかっているのに、身体と心は、別れてしまう時も、あるものね)
――そんな日々が、どれくらい経ってからのことだろうな
連れ戻されからの時間を、男は、よく覚えていない。
身体と意識に刻まれた痛みが、それを鈍らせたのか。
それとも、あの地下室で見た光景を、忘れようとしていたためか。
……男自身も、それはもう、わからないと語った。
俺は、戦場へと駆り出されるようになった。
血と腐敗の匂いがたちこめ、鉄と怒声の音が混じりあう、その場所へ
せんじょう……ですか?
血と、鉄。
混じりあう場所……
言葉が鳴らす想像は、やはり、あまり気持ちのいいものではない。
『戦場、ねぇ。映画なんかじゃ、よく見たもんだけどなぁ』
グリの呟きは、以前、聞いた時と同じもの。
――戦場。たくさんの形が、自分達の考えを持って、お互いに競い合う場所。
(その中で、互いの形を、失ってしまうこともあるって)
かつて、私とグリが照らしたことのある、不気味な景色。
たくさんの形が倒れ、道具が散乱し、黒い地面を流れる赤色の景色を……グリは、『戦場』と呼んだ。
城の中で、教育係を壊したことはなんどもある。
だが……それは、誤ってのことだ
誤って……。
間違ってしまって……ということ、ですよね?
彼女の呟きに、男はのるようにして、自分の言葉も続けた。
間違うことなどないのだよ、戦場は。
……間違っても、結果は、変わらないのだからな
結果は、変わらない?
私の言葉に、全てを壊すような拳を固く握りしめて、男は言った。
戦場は、壊さなければ、自身が壊される。
……それだけの、場所だ
城の中で向けられる目線など、可愛いものだったと、男は語る。
――戦場には、他に、なにもない。
形を残すか、壊されるか。
……それだけだ
……形があるか、ないか。
でも、光が照らしているのに、そんなことって
男が語る、かつての世界の、暗い部分。
生き残る。
形を保つ。
それだけを考えなければ、あの視線の中を残ることは、できなかった
――できなくても、よかったのかもしれんがな。小さな苦い笑いを浮かべながら、男はそう呟く。
どうして、そんなことを?
言ったろう。
王の目的のためにだ。
……神の力を持つ、悪魔のような存在。
王が欲したのは、その力だからな
『……ただ、敵を破壊するだけの、絶対的な力。まさしく、神のような悪魔、って感じなんかねぇ』
感心するグリの響きは、少し、ため息が混じっている様にも想えた。
いつも軽口をたたくグリらしくない、重く感じさせる、戸惑いが。
あの
より孤独感を増していく男の過去話に、けれど彼女は、そぐわないような一言を投げかけた。
王さんは、でも、それだけケッツァーさんのことを、必要とされていたんでしょうか
……
……
私と男は、偶然にだけれど、同じような顔と無言で止まってしまった。
だって……わからなかったから。
(それを、必要と、いうのだろうか)
『道具』として求められ、私とグリのように言葉も交わさず、形を失うかもしれない目的のためだけに"生かされる"。
……そうだな。
必要としていたというのなら、そうなのだろう
一度だけ、それを指示する王の姿を見たことがある、と男は語る。
上から下へ、俺を見下げるような瞳で、笑っていたよ。
安全な位置から、品定めをするように、な
自分が望む、戦闘のための存在。
王を恨む軍勢を破壊し、決して屈せず、逆らうこともない。
男は、次第にそうした存在が自分であるのだと、置かれた境遇から諦めていたと語る。
そして王もまた、そうした存在が生まれつつあることに、歓喜していた。
――あの眼は、そうしたものだったのだと、男は呟く。
……その後も、俺は戦場へ駆り出された。
ただそれだけが、俺に許された行為だと感じたからだ
男は、断片的な単語を言った後、それぞれの想い出を語る。その単語は、一つ一つの戦場につけられた、形のことなのだろうか。
そうした、誰も助けてくれることのない争いの日々を、男は繰り返し続ける。
……お辛い、ですね
……いや。違うな
えっ?
同情するような彼女の言葉を、男は打ち消した。
逆だよ。
ただ、眼の前にあるものを壊すだけ。
……それは俺に、ある種の安らぎを、与えてくれたのだ
自身を傷つけられ、熱を感じ、熱い血を吐き出すたびに、なにもかもを忘れられた。
同じように、自分を見つめる恐怖の瞳を減らすほど、眠らせるほど、その痛みをより欲する自分にも気づいていた。
戦場は、あらゆる場所で。
流した血と、流された血は、まるで川のようだったと男は語る。
(……まるで、本当に、ナニカや闇のよう)
私の感想は、でも、少しだけ間違っていた。
男がそうした理由には、違う意味があった。
それでも俺は、生き延びた。
……俺が破壊されることを、同時に、願っていたのにな
……自分で自分を破壊することは、考えなかったの
セリンッ!?
怒るような彼女の問いかけに、私は、無視を決め込む。
――形を失いたいのなら、勝手に失えばいい。巻きこまれることなんて、誰も、望んでいない。
……確かに、そうだ。
だが、俺は、同時に怒ってもいたのだよ
怒り……?
かつての世界の、王の、人間の、全てのものへの……怒りだ
……リンには、お二人の考えが、難しいのです
簡単よ。
でも、そうでないから……今、ここにいるのでしょう
言いながら、私は、なにに苦味を感じてるのかが、わからなくなっていた。
――あぁ。かつての、光と闇で形を持っていた世界は、こんなにも……苦味があふれているのかしら。
……俺は、なんども壊れながら、また眠りから目覚めた。
そのたびに、血と金属の戦場へと、知らぬ間に運ばれていた
生き残ろうとしたのは、本能でもあったのだろう。男は、そう語る。
――もしくは、そうするように、意識させられていたのか。
そんな俺を、やつらは巧みに操った。
俺を制御できる方法を、あの、地下室で見つけていたのだろう
制御できる、超越的な力。
人間達は、男自身にも理解できない力を、そうして利用していたのだという。
だが、それを面白く想わない物達もいた
まれに、戦場以外で目覚める日もあったのだという。
遠巻きに、男を見下げる瞳。それは、以前と何も変わらず、むしろ嫌悪感を増していたのだという。
そして、男は気づいた。その他に、執着とも恨みともとれる視線が、混じるようになったと。
近くにいるのに遠い、熱っぽく根深い視線。
半分の血が、やつらには疎ましく、恐ろしかったのだろう
その正体は――男と同じ、王の血を受けた兄弟達だった。
邪魔になった兄弟が、男を剣で殺そうとしたこともあるという。
が、逆にその剣を身に受けながら、兄弟たちを地に伏せさせたのは男の方だった。
愚かな兄弟達の形を壊すと、彼の身体もまた、抑えつけられるために破壊された。
……しかし、火で焼こうが、押し潰そうが、彼の身体は再生した。
どこまでが再生可能で、どこからが不可なのか。
――王は、王の軍団は、その境目を知っていた。
おやこ、さん……なんですよね
ゆっくりと、彼女が囁きかける。
その言葉は、弱さではなく、なにかにぶつけるような震えがあった。
形が、血が、つながっておられるのですよね
だからこそ、だろう?
そんなことって……!
彼女の叫びは、だけれど、空しく響くように想えた。
そして発言した彼女自身も、想いを言葉に仕切ることは、できなかったようだ。
(――そう。そうよね)
……だって、そうでしょう。
――求めるものは違うけれど、奪うものは、同じなのだから。
(心が、つながる。言葉で、理解してもらう。もしくは、しなくてもいい。……でも、結果は、私達も同じ)
男がかつての世界で奪ったものと、この闇の世界で私達が奪っているもの、それは……。
……あの男は、親子など、なんとも想っておらんよ
男を襲撃した息子の一人を、弱き者として処罰することもあったという。
それでいて、男もまた同様に見ていたかというと、そうではない。
自分の眼の前で、親善試合と呼び、互いの動きが止まるまで戦わされたこともあったという。
それもまた、どこまで俺が戦えるかの、調査だったのか。
それとも、純粋な遊びからきたものなのか
再生した瞬間は苦痛にあえぎ、力を取り戻すまでにかなりの時間を要した。
その光景を、王は笑いながら、興味深そうに見つめていた。
最初は、男もその光景を、なんとも想わなかった。
が、繰り返される戦いと、悲痛な声と、終わらない日々に……彼の心の闇も、次第に深まっていったという。
誰が、この状態を生み出した?
誰が、俺に形を与えた?
いったい、誰が……?
男の胸に、今までと違う、なんらかの衝動が形になりつつあったという。
だがその衝動は、瞬時に与えられる熱と痛みに、抑えつけられてきた。
国でも有数の剣士や魔術師を常備し、彼は監視されていたからだ。
たとえ神の血脈を持っていたとしても、太古より生きる神秘性は、人間の生み出した鉄と技術に抗う術を持たなかった。
それゆえ彼も、闇の中でじっと過ごすことしかしなかったのだという。
動けば、蘇る苦痛を与えられ、好奇と観察の瞳が向けられるだけだからだ。
――周囲の者達は、彼の存在を、戦争に利用することしか考えなくなった。
内心に牙を隠し持ち、力の制御をしきることはできず、周囲の子供や人間まで皆殺しにしてしまう彼は――敵からも味方からも恐れられた。少なくとも、彼の見た世界は、そうしたものだったと言う。
……それでも俺は、戦い、生き延び続けた
もしかすると、王もその周囲も、男が力尽きると考えていたのかもしれない。
持つはずがないと、その争いの中に消えるはずだろうと。
重ねられた研究や観察の中で、その結果になるであろうことを、願っていたのかもしれない。
ケッツァーさんは、生き延びられたのですね。
力強い、その心で
ただ血で塗り固められた、どす黒く鈍い心で、な
……ぁ……
男も、皮肉を言いたいわけではないのだろう。
だが、彼女の言葉は、そう返さざるをえない言葉を選びすぎているようだ。
生き延びて、あなたは、どうしたの?
……俺は、変わらない。
だが、周囲は変化し始めていた
王は、次第に成長し、物心がつき始めた男を恐れ始めたようだ。
次第に戦場へ行くことが減ったことも、関係するのかもしれないと男は言う。
どうして、戦場へ行くことが減ったのですか?
……争いも人間も、有限だ。
無くなるまでやっては、この闇と一緒になってしまう
王は、真の意味で目的をかなえたのだと、男は言う。
すると、『道具』はどうなるか。
……争いでしか使えぬものは、不要になるのだ
男を見下ろす眼も、周囲のものと変わらなくなり始めていた。
理解できない恐怖感が混じるものになり始めていたという。
神の血脈を、監視下へ置くことには成功した。
が、完全なコントロールには至っていないということを、次第に理解し始めたのかもしれない。
そう、男は今の視点で、かつての世界を語る。
王は、想っていたのだろう。
いつか、いや、今でも、俺を殺そうとしているのではないか――。
そう、疑念に囚われたのではないか
だからこそ王は、以前から考えていたことを――それも、男の想像だけれど――実行に移すことにしたのだろうと、男は語る。
血は手に入れ、母の研究と、混血に関する研究は進んだ。
それに、自身の王国は巨大となり、危険な力を持ち続ける必要はない。
抑止力とするには、自国の反乱分子や、同化した異民族などに、男の力を奪われる恐れもあった。
――であれば、男は、もう必要がない。
国の一兵士として、王は彼を、改めて戦場へと送った。
その戦場は、巨大な王国へと成長した王の国と、残った国との、大きな戦。
そして、男が送り込まれた場所は……敵の精鋭部隊が配置された、もっとも過酷な戦場。
今度こそ俺は、死ぬことを望まれたのだ