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今作品には、刺激の強い表現が含まれております。

心理的に余裕のある状態にて、読み進めていただけますと幸いです。


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しろ……
お城さんって、あの、
おっきいお住まいのことですか?

 住まい、という言葉の響きに、私は口を開く。

シロ?
この、光のような色をしたもののことではなくて?

 グリや、彼女の光のような、なにかを照らすような色。
 それがシロなのだと、想っていたのだけれど。

俺が言う城とは、住まいの方だな。
……特殊な造りをし、
多数の人間が管理するあの場所を、
住まいと呼ぶのかはわからんが

 どうやら私が知らないだけで、そう呼ばれる存在が、かつての世界にはあったようだ。
 ……住まい。私にも、おそらく彼女にも、未だ実感の持てない言葉。

(ここがどこで、なにを通ってきたのか。……わかる場所には、それが、必要なのかしら)

 少なくとも、闇を進み続けるしかない私には、不要のものだ。

しかし城など、よく知っている

 感心するような男の感想は、私も同じだった。
 いったいどこで、シロなどという存在に出会ったことがあるのだろうか。

一度、入ったことがありまして

……入ったことが、ある?

ほぅ……

 彼女の言葉に、私と男は、小さな呟きを漏らした。
 私は、驚きの声を。男は、感心するような声を。
 ……私には、シロと出会い踏み込む経験など、なかったはずなのだから。

俺のような存在以外に、
物にも出会うことがあるのか

はい。
スーさんは、たくさんの方を照らしてくれています。
……形あるものなら、どんな方でも

……どんな方でも、か

(……シロ。浮かぶのは、色か、ナニカに似た生き物か、ぐらいかしら)

 理解しあうような二人の会話に、私が口を挟めないでいると。

『城っていうのは、まぁ、でっかくて広くて色がいっぱい使われてる、石で造られた家だと想えばいいさねぇ』

 その気持ちが伝わったのか、グリが助言を与えてくれる。
 ただ、私の考えの中に、やっぱりシロという形がうまく浮かぶことはなかった。

……わかったわ、グリ

 小さな声で礼を言い、理解できない言葉をふりかえる。
 シロ。住まい。家。
 ――それらはどれも、出会った形達が大切にし、私が見たことのないものばかり。

(家っていうのも、帰りたいって聞くくらいで、見たこともない)

 だから、彼女が告げた言葉に、私は驚きを感じてもいた。
 ――城、というのは、おそらくこうして話せて考えるような、意志ある形ではないと想える。

(小さな、声も考えもない形には、出会ったことがあるけれど)

 形を取り戻しながらも、言葉を語らず、動きもしない、輪郭だけの形達。
 靴、時計、鍋、包丁、本、布、タイヤ、テレビ。
 グリが教えてくれた、それらの名前の一部。
 でもそれらは、いったいどう動くのか。
 わからないままに、すぐに闇に溶け、グリの中へと吸い込まれていった。
 ――はたして、シロ、という住まいは、それらと同じような形だったのだろうか。

(……変わらない、顔)

 彼女の顔に、大きな変化はない。
 シロ。その……城という存在すらも、彼女は形を与え、お話を聞こうとしたのだろう。
 でもそれは、男やグリの話から、話し合える存在でないことも分かる。
 形を取り戻しても、いつか闇にのまれ、消えていくだけの存在。
 ――私達は、それらの本当の在り方すら、わかることはできないのだろう。
 城に対して語る彼女は、変わらずの笑みで、なにも変わらないように見える。

(……けれど、違う、のでしょうね)

 ――いったい、あなたは、そこでなにを見たのだろう。

あの、お城に住まわれてて、でもきれいなお部屋もたくさんありましたよね?

では逆に、汚れた部屋もあるということだ

 彼女の願いを、男は淡々と、真逆の言葉で打ち消していく。

鎖へつながれながら、
常に監視の眼にさらされ、
自由を与えられない生活。
……そんな時間を、過ごす者が

……こわい部屋は、
やっぱり、こわい部屋なのですね

 彼女は、あいまいな言葉で、男の言葉を受け止める。
 こわい部屋、という言い方から、彼女は男の語るような部屋を……見たことが、あるのかもしれない。

(自由のない、この、闇に覆われたような部屋かしら)

 であれば、男に自由は、なかったのだろうか。

……完璧ではないがな

完璧では、ない……?

 ――そうだ。先ほど、男は自分から言ったのだ。
 "さまよっていた"、と。"周囲の眼をくぐりぬけ"ていた、と。
 そう、語っていたのだ。

成長は、やつらの目測を超える時がある。
足の鎖も、部屋の扉の鍵も、
俺にとっては絶対の枷ではなかった

か、かせ……?

自由に動こうと想えば、動くことはできた。
ただ、代償を考えると、そうしなかったというだけだ

(代償……)

 鎖を外して逃れても、捕まるのは容易に想像できた。代わりに受ける、制裁の痛みも。
 そして、一度失敗してしまえば、もう一度同じことを行うのは難しい。
 周囲も、男をそういう眼で見るからだ。
 そして、男はもう気づいていた。
 その危険を冒す様を、人間達は、あえて観察しているのだと。
 ……そう語る男の言葉に、私は、また感じてしまう。
 何かを行うことに代償があるという、その言葉の意味を。

……では、なぜ

 だからこそ私は、らしくもなく、男の話の続きを求める。

 ――男が支払った代償と、その結末を、とらえたくて。

なぜ、その城をさまよっていたのかしら。
おかしいでしょう、代償があるというのに

 私の問いかけに、男は少し、瞳をさまよわせた。

ある日――城の近くの街が、襲われた。
だから、だろう。
俺を監視する者達も、その騒ぎのために、呼び出されたようだ

 少しして、男の口が開かれる。
 私の問いかけにつながらない言葉が、耳に響く。

私は、代償の話をしているのよ

 わかっている、と男は小さく呟いて、再び口を開く。

奇襲を行ったのが、人なのか魔物なのか、はたまた別の何かだったのか。
その当時の俺には、知りようもなかったが

 男の住む部屋の前で、いつも気だるげに話す監視達。
 彼らもまた今回の奇襲に応じて、駆り出されたとのことだった。

きしゅう、というのがあると、
皆さんいなくなられるんですか?

数が足りなかったのだろうな。
この世界でいえば……光がなくなれば、新たな光を欲するだろう。
そのようなものだ

……でも、それでは、その部分の光が足りなくなってしまいます

――だからこそ、闇にまぎれて、自由ができるのだ

闇に、まぎれて……

 彼女の声は、小さく、ふるえていた。
 ――闇。それにまぎれて、自由になる。
 ……そんなこと、考えることすら、恐ろしい。

あれほど、俺を見下ろしていたやつらは……そもそも、闇と赤の世界に、出てきすらしなかったよ

 男と似た境遇で生まれながら、輝く服と周囲の愛情を受けて、城に住む者達。
 それらは、いつもの高飛車な態度などをまったく見せず、それぞれの部屋にこもり出てこなかった。
 従者達もまた同様で、自室にこもりふるえるだけ。
 動くのは、男と同等の力を持つような、戦いに向かう兵士達のみだった。

残った者もいたが、前線に出るには、まだ経験が浅いと判断されたような者達だけだったな

 城を守るために残った者達もいたらしいが、男を見張る眼は、ぐっと減ったらしい。

力を恐れ、使いこなそうとしながら、制御できないモノにはふるえる。
……理解できない、者達だ

……それほどたくさんの、形が、いたというのね?

 私は、男との会話をつなぎとめるように、とりあえず言葉を口にする。
 男の情報は――実のところ、半分以上、よくわかっていなかった。
 たくさんいた、男を縛るなにかが、いなくなったというのはわかったけれど。

(周囲の形が、ぜんぜん、わからない……)

『セリン、わかったかぁ? ……実は俺、よくわからねぇ』

……あなたがわからない世界のこと、私がわかるはずがないでしょう

 男の言葉や情報は、かつての世界を知っているグリですらうまくとらえられないほど、たくさんの意味を含んでいたようだ。

(だから……私が理解できなくても、仕方がないのよね)

 ――そうなんだ、って、グリが気を使ってくれたことはわかるけれど。

あの、リンはですね!
ごめんなさい、ケッツァーさんのお話、
よくわからないところも多いのですが……!

 こちらは、諦めきれずに、話しかけることを選んだようだ。

ケッツァーさんをじっと見てる方達の視線が、いっぱい減ったということですか?

 ゆっくりと言葉を選びながら、問いかける彼女。
 その彼女の感想は、私も同じく想っていたもの。

……だからこそ、動いたのでしょう。
けれど、危険なことに変わりはないはず

 なぜ?
 そう問いかける私の言葉と共に、男は、彼女へと答え返す。

……視線がないというだけで、動きたくなるものだ。
なぜかは、わからなかったが

 鎖は、長年にわたり男の力を止めていたためか、勢いをつけた両腕に耐えられることはなかった。

それに……今回は観察されていないと、なんとなくわかったのだな。
それだけの、緊急事態なのだと

 ガチャリ、という首輪の音と、カチャリ、という部屋の扉が開く音。

だからこそ、俺は……誰かに出会えるかと、想ってしまったのだ。
この混乱の中なら、いつもでない、誰かとな

 闇夜へ踏み出した男は、いつも以上に視線を研ぎ澄ませながら、城の中を駆け抜けたという。
 いつもの部屋から遠ざかるように、見知らぬ通路を進み、知らない誰かに出会うために。

そして……崩れかけた壁の向こうから、小さく、それは見えたのだ

 ある程度歩いた先で見つけた、壁の亀裂。
 その、一部が壊れた場所から、鮮やかなその光景が眼に入ってきたのだという。
 ――遠くに聞こえる街中の喧噪は、騒がしく。
 赤と黒と淡い光が、遠くにありながら、男の眼にじっとりとへばりついた。
 そう語る男の言葉も、また、どこかへばりつくような苦味があった。

……それは、どこか。
今に、似ているのかもしれんな

今に、似ている?

 何に、と問いかけるより前に。

あの静けさと、なにかが潜んでいそうな闇。
そして、なにかの光によりあぶり出される、歪な形。
……それらが、この闇と、な

 ――かつての世界にも、夜、という闇の時間があったという。
 でもそれは、この周囲の闇とは異なるものだと、グリから聞いている。
 こんな、形あるものを飲み込んでしまうような、絶対のものではなかったと。
 そう、聞いていたはずなのに。

(今までの話は……まるで、光や夜に関係なく、かつての世界のどこにでも……)

ケッツァーさんは、外へ出て、どうされたんですか?

 彼女が、男の言葉へ分け入る。

……さまよい、歩いた

 答える男の言葉は、短い。
 途切れないように、その短い言葉を、次へ次へ続けていく。

ただ、闇の中を。
身体が動くままに。
できるだけ、見つからないように。
……進み、続けた

 男は、外の風を浴び、周囲の音を聞きながら、闇の中を歩んだという。

……どうすればいいのか、というのは、考えられなかった。
ただ、なにかに惹かれるように、俺はさまよっていた

そのまま、その城を抜けようとは、考えなかったの

 自由になれるのなら、そう動きはしなかったのだろうか。

……ああ。
当時の俺には、
城の冷たさも、
燃える街の火も、
恐ろしいものに見えた

 しかし、身体は動くことを求めていた。
 行先もわからぬまま、なにかに動かされるように。
 慌ただしい靴音を避け、時には声を潰しながら、闇に身を潜め。
 男は、ただ城の中を駆け巡った。
 そして――ある時、その響きが、身体を駆け巡ったのだという。

……その時だ。
俺の耳に、その声が聞こえてきたのは

 男の耳に、その時、なにかが聞こえてきたのだと言う。

幻聴だったのか。
それとも、共感のようなものだったのか

 今まで聞き覚えのない、か細く、誰かを求めるような声。
 言葉のようにも、嘆きのようにも聞こえる、淡い響き。
 その声に、男の耳と心は、くすぐられたという。

……助けを求めるような声に、俺は、誘われた

危険だとは、想わなかったの

ふっ。
捕まるわけにもいかず、しかし、行くべきところもない

……だからこそ、今までと異なるその声に、惹かれたのかもしれんな

 道標のない男は、その声が発せられる方向へ、足を駆けだしたのだという。
 上に下へ、幾多の視線をくぐりながら、その声が発せられていたのは――足元の方向。

――城には、暗い、暗い、
この闇のような地下道があったのだ

 入り組んだ城の構造へ迷い込むようだったと、男は語る。
 だが不思議と、不安は感じなかった。
 むしろ、その声が大きくなるにつれ、感じたことのない気持ちがわいてきたのだという。

高揚感、高鳴り、浮遊感……。
浮ついて、いたのだろう

 男は、次第に大きくなる声へと近づいていくことに、期待していたのだという。
 ――期待、という言葉。

(……彼女と、同じようなことを言うのね)

 ――それは、違う世界への期待、だったのかもしれない。

 よく鳴り響く床の階段というものを下り、月という光も届かない地下室へ、男は足を踏み入れた。
 そこで、彼は……感じたという。
 今まで、胸に響いていた声とは異なる、耳で感じる息遣いを。

身体が感じられるほどの距離になった時、声は止んでいた。
奇妙なことだが……
それは、同じ存在を呼ぶための、シグナルだったのかもしれんな

しぐなる……?

危ないと想った時に、自分の仲間へ助けを求める。
かつての世界には、そうした生物も存在した

……まさか、その助けを求めていたのって

 次の言葉をためらう私に、男は、自分が見た世界の再現を始める。

声が止むと同時に、俺の眼と心は、冷静さを取り戻した。
そして……見たのだ。
その、闇の世界を

 眼がなれるなか、男は息の正体を求めて、足を踏み出したという。
 ――かすかに輪郭がわかる程度の、この世界とよく似た、暗闇に包まれた部屋へと。

想い出すのは……へばりつくようなヌメリと、まとわりつくような臭い

ヌメリ、ですか?

赤く濃厚な……
血の海

血……の、ウミ……?

闇に包まれた部屋には、生きた血の臭いが、充満していたのだ

 何度も眼にしたことがある、熱くどろりとした液体。
 形をとった光が流しているのを見たことがあるし、私の身体が傷ついた時も、その血というものがこぼれたことがあった。
 ――身体から無くなれば、活動を止めてしまうという、不思議な液体。
 必要とする者にとって、失ってはいけないもの。
 そう、私は想っていた。
 なのに、男の踏み込んだ部屋には、それらが乾きもせずに満ちていたという。
 ……それが、意味することは。

誰かが、すごく大きなケガを、されていたのでしょうか……?

……ケガなら、よかったのだがな

 男の言葉に、私は不安を感じ、眉を細める。
 ――そして、ケガであればよかったという、その意味をすぐ知ることになる。

大きい部屋ではなかったため、息の主は、すぐに見つかった

 すっと、男は自分の眼を指さす。

そして俺の眼も、闇に慣れた。
だから……
ある程度、その形を捉えることが、できたのだ

 男は、その指先を口元へおろし、舌を一瞬出して。

……なぜ、吐息だけなのか

 払うように、その指を、横へスライドした。

声を、出せないからだ。
舌を切り取られ、歯を抜かれ、
ただ空気を交換するだけの場所に、
なってしまっていたのだから

 次いで、自分の眼の前に指先を持っていき、一回転。

見上げた俺の眼は、暗い穴を見つけた。深く、塗りつぶされたような、二つの穴を

……あ、あぁ……

 彼女は、今にも泣きそうな顔を、またしている。
 ……でも、だめだ。泣くには、早すぎる。
 男の見た闇は、まだ、止まりそうもないのだから。

暗い闇の中で、その闇と同化したかのように、くり抜かれた眼孔。
四肢から伸びたと想っているものは、その切断された四肢をくくりつけるための、極厚の鎖。
全身に薄暗く描かれていた文様は、今にして想えば、その存在の力を封じる呪いだったのかもしれん

 ――途中から、男の言葉がなにを指しているのか、理解することができなかった。
 淡々とした、事実の説明。指先が指し示す、行われたであろう処理。
 だが、だけど、だって……その説明が、頭で形を成していくほどに、形を失う。

……そのモノは、そうした形に、されてしまった。
そして、王と人間達の意志の元で、城の地下に保管されていたのだ

 足下の確かさ、心の安定、耳から入る情報。

なにかを確認するための、『道具』としてな

 それらが次第に、男の語るナニカが明確になるほど、不安定になっていく。

 ――この闇で形を失うよりも、歪で、そんなことになってしまうことがあるのならば……。

そんな……そんなこと……って……

 ――説明が、脳で結びつき、その形を表した時。

……っ

 私ですら、口を強く噛みしめ、言葉や感情が漏れないように耐えた。
 口に、紅い熱さがにじむ。……まだ、赤い血は、私の身体に流れていたようだ。

どうして、そんなことを、してしまえるのですか……っ

 ……甘い彼女にとって、その想像図は、耐え難いものに違いない。
 彼女のこぼす息には、もう、湿り気が混じっている。

 ――握り、開き、さまよう手は、なにをつかみたがっているのだろう。

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