時は、当吾が現場に入った時点にさかのぼる。

但田忠子

……刑事さん? どうぞ

鑑識が入った後の現場、但田家で当吾を出迎えたのは
不愛想な女性の声。

但田忠孝の実の娘、忠子(ただこ)だった。

井上当吾

お邪魔します

但田田郎

ああ、はい……どうぞ

但田忠美

……

主人を連れだされた直後の家には、
被害者、但田忠孝の娘夫婦の忠子、田郎と
孫の忠美の3人がいた。

忠孝の妻である宝子は現在、老人介護施設に入院中で
家族はこの三人だけだ。

 当然ではあるのだが、とても空気が悪い。

但田忠子

あのときは、私は出かけてたんですけど、旦那と子供がいました

井上当吾
但田忠美

……

横を向けば、小さな鋭い視線と目が合った。

井上当吾

……この目つきの鋭い子供が、この夫婦の一人娘。但田忠孝の孫か

但田忠美

……何も知りません

但田忠子

すみません、ちょっと、父と私たちはあまり仲が良くないもので

その視線を遮るように、忠子が前に立つ。

但田田郎

……

井上当吾

……旦那は無口で無関心か。俺と顔も合わせようとしないな

不愛想な横顔。
当吾は、男からどことなく、気の抜けた印象を受けた。

井上当吾

いや、それだけじゃないか?
警察が嫌いなのかもしれないな

 警察嫌いの人というのは珍しくはないが、
もし後ろめたいことがあってボロが出ないよう
避けているなら、それを暴くのも……

井上当吾

ま、最初から疑うってのは俺の悪い癖だ。落ち着いてから話を聞くか

井上当吾

さて、早速、現場検証といくか

但田家は二階建てだ。

1階と二階を真っ直ぐな急こう配の階段が繋いでいるが、もちろん車椅子の人間には上れない。

 しかし、但田忠孝は歩けなくなる前の部屋割りのままだったのか、上階に自室を持っていた。
娘夫婦や子との仲の悪さから、上階下階で居住空間を
すっぱりと分けていたことが窺える。







では車椅子生活になってからはどうやって上っていたのか。
見ればすぐに分かった。

階段の隣には車椅子でも乗れるようなエレベーターが
増設されていたのだ。

井上当吾

ん、下に降りてんのか

エレベーターのボタンは一つだけ。

2階と1階を行き来するだけだからだ。



当吾がボタンを押すと、タイムラグなく静かに
エレベーターのドアは開いた。

井上当吾

鑑識はこの中も調べたんだろうな? まあいい

鑑識が入り、もう階段を上っても良いのだが
あえて当吾はエレベーターに乗り込んだ。

但田忠美

……

井上当吾

階段とエレベーターの出口、いくつかの二階の部屋を
つなぐ踊り場は傷ひとつすら逃さずにチェックされていた。


結果、階段には目立った傷や跡は全くなく、
踊り場にも車椅子で通った跡はあるものの 
怪しい潤滑油の類は全く発見されていない。

井上当吾

……窓からはどう頑張っても上半身しか見えないな。例の預言者じみた目撃者にはそこらへんでカマかけてみるか

……ん?

開いたドアの隙間から見える部屋の中の不審なものに、
当吾は気づいて目を向けた。

井上当吾

何だ、こりゃ……

生け花に使うの

井上当吾

!!

但田忠美

あの人。生け花の中でもゼンエーテキな奴をやってて、居間には花の代わりに金属とか羽とか使った、子供の工作みたいなのが飾ってある

いつの間にか階段を上ってやってきていたのは、
被害者の孫、忠美だった。

井上当吾

お嬢ちゃん……

但田忠美

鑑識の人が「終わるまでは入ってこないでね」って言ってたけど、今は終わってるでしょ。問題あります?

井上当吾

いや、そういう問題じゃ

但田忠美

馬っ鹿みたい。あの人なにしてたか知らないでしょ、刑事さん。だからあの人、被害者面してるんでしょ

井上当吾

何?

但田忠美

女の人を連れ込むの、いつも二階に。いつもの家政婦じゃないよ? お祖母ちゃんの事とか、あたし達も住んでんのとか、ボケて忘れてるんだろうね

あたし達は未成年っぽい人まで連れ込むヤバい人と一緒の扱いを受けてるの。家に後から宗教の勧誘とか来るし本当に迷惑しかかけない、あの人は

但田忠美

事故だろうが突き落とされてようがいい気味よ!!

但田忠美

……って言ったら、あたしとか父さん母さんの事疑う? 刑事さん

井上当吾

…………事件当時、君とお父さんは家に居たんだよな。何をしていた?

但田忠美

父さんは居間でヘッドフォンつけて競馬聞いてた。あたしは隣で実況者の生放送見てた。でそこで家政婦が掃除

井上当吾

家政婦……ああ、通報してきた通いのヘルパーの事か

但田忠美

アリバイになるか知らないけどあたしはコメントとかしてたよ

井上当吾

それで事件の物音は良く聞こえたのか?

但田忠美

聞こえるわけないでしょ。あたしが聞いたのは何か大きなものが落ちたっぽいぼんやりした音と、家政婦がバタバタ出てったから驚いてイヤホン外したら甲高い悲鳴が聞こえた事くらい

井上当吾

現場は見たのか?

但田忠美

見てない。
止められたから

井上当吾

誰に?

但田忠美

家政婦。
バカみたいな大声出して

井上当吾

ショッキングな光景だったから、か?

但田忠美

あの女も嫌い。みんな嫌い!

どうせ皆、あの人の連れ込んだ女なんでしょ! 汚らわしい!

井上当吾

待て。そのヘルパー、今いないってことはもう帰ったんだな? 名前なんかは分かるか?

但田忠美

知らない!

忠美は下りて行ってしまった。

井上当吾
小笹小百合

……

井上当吾

ま……どう頑張っても、これが周りの目ってもんだ、嬢ちゃん

小笹小百合

……わたくしは何も……

井上当吾

嬢ちゃん、ガイシャの事「忠孝さん」と呼んでたな。随分親しいんだろう?

小笹小百合

ちっ、違います! それは、その……呼び方なんてわたくし達の自由ですよね

井上当吾

そりゃそうだな

じゃあガイシャとは、ただの「華道友達」ってことで良いんだな?

小笹小百合

……っ、そうです

井上当吾

ふーん……

井上当吾

なら、ガイシャの「生け花」の事も当然理解してるんだろう?

小笹小百合

え……?

井上当吾

先ほど見せてもらった嬢ちゃんの生け花は、「普通」だった。地味で模範的

井上当吾

ああ、悪気は無いからな?
どっちかっていうと安心したよ、俺にも生け花と分かる作品で

小笹小百合

っ!

井上当吾

確かに「工作」だったな、居間に飾ってあったアレは……

ああ、自由花とか言うんだったか、同じ物使ったちゃんとした作品もあるのに工作なんて言い方は失礼……

……ないで

小笹小百合

言わないでください! 忠孝さんのことを、そんな風にっ!!!

小笹小百合

あっ…………

井上当吾

そんな風に叩きつけるとカップが割れちまうぞ。優しく置きな

小笹小百合

……

井上当吾

……聞いてもいいか?

小笹小百合

何もしていません

井上当吾
小笹小百合

まだ……いえ、もう、何も。
口づけも抱擁も……性交も

とても……幸いなことに

小笹小百合は、ゆっくりとカップに視線を落とした。

小笹小百合

わたくしは事件の日、忠孝さんに、お別れを告げに伺ったのです

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