井上当吾

『未来に起こることが分かる』?

小笹小百合

小百合は、当吾の口調に、狼狽したように顔を上げた。

でも、信じてください

小笹小百合

わたくし、超能力は信じていないのです

井上当吾

?!

小百合は半ば身を椅子から浮かせて当吾に顔を寄せた。

先ほど敬語を忘れて警告してきたときのように、
きつい形相になっている。

小笹小百合

そういった類のものが存在するなどと、非現実的なことは冗談でもわたくし、考えたくないのです

井上当吾

……

小笹小百合

……でも

そこで、強気にも見えた顔が、歪んだ。

小笹小百合

小さい頃から度々あったのです。今のように中途半端に未来が分かったり、嫌な予感がしたり……

体育の授業中に、遠くにいた友人が頭を強打すると分かったときもありました。でも、言うのが間に合わなくて、彼女は……

カタカタ、と音がして、コーヒーの鏡面が揺れる。

小笹小百合

今回もそうです。忠孝さんに会った時、こうなると分かったのに……分かったのに、止められなかった

自分でもよく分からないのに、それを人に信じていただくなどできるわけがありません

小笹小百合

……せめて、事故ではないと、伝えたかった……

井上当吾

……あんた、本当は電車で見ちゃいないんだな?

小百合は、こくりと頷いた。

小笹小百合

刑事さんにお話ししたのは全て、予知の内容です

……困りますよね、こんなことを聞かされても

井上当吾

……

井上当吾

クソッ、馬鹿みたいな話だ

話だが……

井上当吾

……さっきあんたが来る前だが、慣れない店員が派手に店内濡らして回ってた

直接そのシーンを見てなくとも、あんたの向きからは、床が濡れてるのが光の反射かなにかで見えたんじゃないか?

小笹小百合

……?

井上当吾

それに、靴だってあんな気取った、滑り対策なんてされてなさそうな奴だ

誰かが今にも滑りそうな状態だった。足取りの不安定な奴が歩いてきたら心配しても不思議じゃない

その瞬間当吾には、
途方もない考えが浮かんでいた。

この女は本気かもしれない。

井上当吾

起こるタイミングまで分かったのについては、そうだな……

小笹小百合

刑事さん……?

井上当吾

さっき運ばれてきたのは、あんたが注文したコーヒーだ

井上当吾

ここはあんたが選んだ店だ、よく来るんだろ? なら、注文してから来るまでの時間はだいたい体感で分かるんじゃないか?

こっちに来る店員がコーヒー持ってりゃ、見えただろうしな

井上当吾

まあ、条件が揃ったところで、必ず転ぶと決まったわけじゃないが……間違ったって誹(そし)られるわけじゃないしな

半分くらい思い付きで言った、やけっぱちの言葉だった。

井上当吾

あんたの言うのは、『刑事の勘』に似てる気がするよ。
きちんと調べてみるまで証拠は見つからないが、現場を見、調べるうちに、犯人は分かるもんなんだ

小笹小百合

!

井上当吾

この女は、嘘は吐くかもしれないが、ろくに吐き通せない善良な女だ

そんなことを、根拠もなく思う。

もしかしたら、変な事件を任せられたり
コーヒーを被ったりしたせいで、
もう多少のことはどうでも良くなっていたのかもしれない。

小笹小百合

信じて……くださるんですか?

井上当吾

あんたが本当のことを……「事実」を、話してくれればな



小百合は一瞬息をのんだ。

小笹小百合

あの日、彼の家に行ったとき

会ったときに感じたんです。ああ、このままじゃこの人は突き落とされるって

井上当吾

何も言わなかったのか?

小笹小百合

言いました! でも、どうして信じてくださるでしょう?

井上当吾

……

小笹小百合

冗談で『いつか背後から刺されます』と言ったようなものなのです、わたくしの言葉は。
だって、そうでしょう? 普通信じられませんもの

『せいぜい階段には気をつけるよ』……そう、あしらわれただけでした

井上当吾

……

小笹小百合

用事があるからと言われれば、そのまま留まり続けることもできませんでした。実際に見届ける勇気なんてありませんでした

……せめて電話を、と思ったのです

井上当吾

……?

井上当吾

……いや、今は余計な事を考える必要は無い。この女の証言が崩れた……それだけ分かればいい

当吾は目を閉じた。

井上当吾

……まあ、忠告されようが気をつけてようが、事故は起こるもんだ

小笹小百合

事故……

井上当吾

少なくとも、あんたの言うようなことは起こらなかった。
あれは不幸な事故だったのさ

言い聞かせるように当吾は言った。

相手はまだ子供だ。
事を荒立てたくはなかった。

小笹小百合

『起こらなかった』、というのは

小笹小百合は、きょとん、とした目を当吾に向けた。

タイミングか目の向け方か、どこか反応がずれている。

井上当吾

……ああ、まだ言ってなかったな

井上当吾

あんたが電話してきたタイミングでは、まだ通報が来ていなかった、ってのが、一番の根拠だな。
まあ、それはさっきの事情なら置いておくとして……

これ以上は捜査情報の漏洩にあたるだろうか?

当吾は一瞬顔をしかめた。
だが、一度滑った口は急には止まれない。

井上当吾

事故当時、彼が落ちた二階には誰もいなかった。互いの目撃証言がある。
家に居た全員がグルか、侵入者でもいない限り、但田忠孝を突き落とすことは不可能だろうな

『事故』の二字にやや力を込める。
小笹小百合は、その意味が分からない子供ではないようだった。

小笹小百合
井上当吾

それから、証言の矛盾としちゃ……
但田忠孝は車椅子ごと倒れていた、ってとこか。
立った状態から突き落とされたわけじゃない

……一人の女が前に立つ男の背を思いきり突き飛ばしたところを

井上当吾

……まあ、『立っていた』って証言は、さすがに言葉の綾だろうな。
動転して表現を間違えたってだけだろ、追及するまでもないか

小笹小百合

忠孝さんが……事故?

小笹小百合

あり得ません……

井上当吾
井上当吾

……あんた、それはわざとなのか?

小笹小百合

何が、ですか?

井上当吾

……はぁ

当吾は、深くため息をついた。

井上当吾

……気が変わった

小笹小百合

井上当吾

少し、話を聞いてくれ。
ただし……

俺から聞いたってのは内緒だ。
捜査機密だからな

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