若い清掃スタッフがモップで店内を滑るように動く。
当吾は気取りすぎたスタッフの制服に眉をひそめたが、
何も言わず座り直した。
奇妙な目撃者から直接話を聞くために、
普段は来ないようなカフェの一席に陣取っていたのだ。
♪~
……
若い清掃スタッフがモップで店内を滑るように動く。
当吾は気取りすぎたスタッフの制服に眉をひそめたが、
何も言わず座り直した。
奇妙な目撃者から直接話を聞くために、
普段は来ないようなカフェの一席に陣取っていたのだ。
疑問は、二つ。
まずは証言そのものの信頼性だ
指定の時間よりも10分ほど早く席について、考えを巡らせる。
いくら線路に面した家とはいえ、電車の窓から中が見えるのは一瞬だ。
果たして、人が突き飛ばされるところがはっきり確認できるか?
タイミングについては思うところもあったが、
それにしても、だ。
男が『立っていた』というのも妙だ。
そういう表現をしただけかもしれないが、状況から見て、ガイシャが落下したのは車椅子に乗っているとき。どうにも合わない……
結局のところ、この証言はかなり疑わしい……
というのが、当吾の見立てだった。
もう一つは、この女がなぜ名乗り、素性を明かしたか、だ
状況は一見、ただの事故。
詳しい検証はまだだが、この目撃証言が入らなければ、そう判断される可能性も高かった
先ほど、証言は嘘の可能性が高いと言った。
ならば、何故、すぐに嘘らしいと分かるような証言をしたのか。
捜査を混乱させるためか、誰かを嵌めたいのか
ならば何故――匿名ではなく、名乗ったのか。
名乗ることでのメリットは、ある
目撃したのが確実にその事故のシーンだと確定させられる。
信頼性をわずかでも増すことができる
だが、それにしても、
すぐにバレるような嘘を吐いてなお名乗る決定的な理由には
思えないのだった。
遅くなってすみません。コーヒーを
小笹小百合は飾り気のない女性だった。
制服を着ているところを見ると、高校生か。
どこか沈んだ顔をしている。
当吾は小さく息をついて、緊張を見せないように振る舞う。
いいえ。捜査にご協力いただき感謝します
世間話
天気
乗り心地
最初から本題には言及しない。
いくつかの簡単な質問をしながら、
それとなく目的のものを混ぜるのが当吾のやり方だった。
あなたは、突き落とされた男性……但田忠孝(ただたか)さんのご友人だとお聞きしましたが
……はい。あの方とは華道の教室で出会いました。
先輩として良くしていただいています
生け花ですか。
見せていただいても?
……拙いものですが
小百合はスマホを取り出すと、ついと指を滑らせて
当吾の方へ差し出した。
画面には、朽ちかけた紅葉の葉を斜に活けた
ひび割れた器が映っていた。
わざとらしいほどに華やかさを避けたその地味な中には
鮮やかな色の花は無く、落ち着いた生け花だ。
模範的。そんな印象を受ける。
……
あの日も、現場となった但田氏の家を訪問されていたとか
……はい。その後、帰る電車で、見ました。あの人が突き落とされるのを
小百合は胸の前で手を握りしめた。
失礼ですが、訪問はどういった用件で?
……花、の、話です。話を、するために
なるほど
小百合の話し方にどこか動揺が現れているのに
当吾は気づいたが、今は何も触れないことにして話を変えた。
ところで目撃したシーンの詳細を聞きたいのですが、但田氏を突き落とした女性の格好は?
黒い首までのセーターに、薄い藍色のジーンズです
小笹が答えた瞬間、当吾はテーブルを叩いていた。
ひっ……
ガイシャは2階から突き落とされた。
なぜ、ズボンの色まで分かる?
俺はあんたに会う前に現場を確認してきたが、2階の窓は全面張りなんかじゃない、上半分だけの一般的な窓だ。階段上に立ってたんなら、せいぜい上半身しか見えない
そ、それは
話にならないな。偽証はれっきとした犯罪だ
当吾は立ち上がった。
っ……
……ま、待って!!!
まだ何か?
そこから離れて!
は?
でないと怪我するわ!
それは、どういう……
うわっ
店員が足を滑らせ、
盆の上のコーヒーが当吾の頭に降ってきたのは
その数秒後だった。
あ、だ、大丈夫……ですか?
ああ……
大変申し訳ありません!!
いや、気にしなくていい……
気の毒なほどに動揺しながら布巾を抱えてきた店員に
あれこれ謝罪され、やっと一息ついたとき、
額からぽたりと垂れた雫に
小百合がハンカチを差し出したのだった。
いや、これは……コーヒーじゃない
で、では、わたくしの掛けた水では
ああ……コーヒーは熱かったからな
正直あれは助かった
これは汗だ、と言うところだったのを、飲みこむ。
……
……なあ、あんたは何故分かったんだ?
分かった、といいますのは
あんた、店員が転ぶ”前”に言ったよな
……
……信じてはいただけないでしょうが
小百合は、新しく淹れ直してもらったコーヒーの表面に
顔を映しながら言った。
わたくしには時々、未来に起こることが分かるのです