俺の村は滅ぼされ、残ったのは、俺の母だけだったと言う

はは……お母さん、ですか?

 彼女の呟きに、男は頷(うなず)く。

 ――母。私達のような、女性の姿をした、光の形。
 かつて、この闇の中でも、何度か出会ったことがある。

(形を成した、もしくは、その形が育つまで見守り続けた、女性の呼び方の一つ。……だった、わよね)

 そう解釈するのが正しいのかは、わからないけれど。

ケッツァーさんを、形作られた、方ですよね

 彼女の、少し嬉しそうな言葉に。

……そう、聞いている

 男は、少しためらいながら答えた。

きい、ている?

記録と伝聞だけが、俺の知る、神の証拠だからな

 神。その言葉に、母という言葉が、重なりきらなかったけれど。

(王が、神を追い、手に入れた。……なら、神は、男の母となるのよね)

 先ほどまで男が言った言葉が、ようやく、一つにつながったように想えた。
 最初から、男はそう言っていたのだけれど、こちらの理解が追いつくのは遅くなる。
 ――おそらく、戸惑うような顔を浮かべた彼女も、そのことに気づいたはずだ。

で、でも……

 彼女は、何気ない、当たり前と言った口調で、その言葉を口にしていた。

あの、光のあった世界だと、家族って呼ばれるみなさんは一緒だったって聞いたんですけれど……その

――ふっ。
光のあった、世界か

 男は、小さな息をもらした。
 今まで、彼女には向けなかった、苦い顔。
 苦笑するような、自嘲するような、かすかな笑いを含んだような。
 そんな、複雑な表情を。

そうであれば、俺の手も、血に塗れずにすんだのかもしれんな

……ぁ……

 彼女は、男の呟きに、少しだけ頭を垂れた。
 私も彼女も、そこで、男の変化を感じとっていた。
 ……最初に出会った時のような、不気味な圧迫感が、語る言葉から発せられていることを。

(母に、父。そして、作られた形。……一緒でないことも、あるのだろうけれど)

 私も、一瞬、頭に浮かんだ。

 母と名乗る光の形が、なにを求め、誰を探し、私へ願ったことを。
 ――子を求め、伴侶と過ごし、つながりを求める女性の姿を。

(出会ったことが、ないわけじゃない)

 彼女も、そうした存在に出会ったことがあるのだろう。
 それゆえに、今のような言葉がでたのかもしれない。
 母という言葉と、形を成すこと。

(私には、そんな形の照らし方は……わからない)

 ただ、慈しむように語る姿は、どこか心に残り続けていたみたい。
 ……けれど、かつての世界は、そのイメージだけで満たされていた世界ではないようだった。

一度も、俺は、母と語り合ったことはない。

ずっと……俺は、人間達の、監視対象だったからな

かんし、たいしょう……

 話を戻そう、と、男は話題を引き戻す。

 村の破壊と、神と呼ばれた一族の消滅。
 それは、力ある存在を取り込むために行われた、一方的な侵略だった。
 ……男が語るのは、そんな、かつての世界で行われた出来事。

(逆らうこともできず、ただ、呑み込まれる)

 ――それは、まるでこの闇のようにしか想えない、道標とした世界の側面だった。

神と呼ばれ、何百年も生きていた俺の母だけが……生き残った。
そして、奪い去られ、かつて存在した村の、証拠とされた

……かつて、存在した、村

 ぽつりと、私は呟き、奇妙な感覚に襲われる。
 かつて存在した世界でも、かつて存在した村という、すでに存在しない対象があるのだということ。

(時間は、ずっと流れていた。この世界では、感じていないだけ)

 ――私が、彼女が、おそらく目指している、かつての世界。

(……それは、"かつて"になってしまっては、いないのかしら)

 この闇が世界を覆い尽くしてから、どれだけの時間が経っているのだろう。
 男の話は、私の進んできた今までの道を、次々と不安定に変えていく。

あなたは、どうやってそれを知ったの。そんな……自分の形もない、そんな、かつての世界の話を

……これらは全て、確かに、俺が生まれる前の話だ

世話役の老婆が、恨みをかけるような声で、俺に詰めこんだ知識だよ

なぜ、そんな知識を、教えたのかしら

……簡単なことだ

俺が、いかに"造られた"存在なのか、身にも心にも教え込むためにだよ

……!

……では、ここからが、あなたが見た世界なのね

 これまで、自身の眼や身体で感じたものではないことを、男は語った。
 ――では、男が見た世界は、どんなものだったのか。
 私の言葉へ答えるように、男は、話を再会した。

神を奪いとった王は、母との間に、子を成した

子を、成した……?

つながりをもって、家族に、なったということですか?

……あぁ。
つながり、形を、"造りだした"のだ

 男は、そこまで言って、低く唸るような声で言葉を続けた。

――そのまま、成されなければよかったのにな

……っ!

 男の自虐的な言葉に、彼女は息をのむ。
 子の成し方。
 この闇の世界で目覚めた私や彼女にとって、実のところ、生まれるという概念はよくわからない。
 さっき考えたように、つながることによって、形を成すのだと言うことはわかる。
 けれど、それが、なぜ求め合うのかは……わからない。
 なぜ、形となるのかも、わからない。

(……誰かと肌を重ねるなんて、なぜ、必要なのかしら)

 ――形を取り戻した光の一部に、組み敷かれたことがある。
 ――その時の不安、胸にわく黒い衝動。それを想い出すと、なおさら理解できない。

 形を成すために、なぜ、それを求めるのか。
 その感触を欲する理由が、私の中に……わいてくることは、なかった。

(成されたくない、形。それは、自分の存在に対する、悲しみなのかしら)

 男の自嘲するような言葉に、私は、なぜか感じるものがあった。
 なぜ、形を持ってしまったのか。
 その問いかけは、私にも、覚えがあったから。

 ――嬉しい時も、悲しい時も、切ない時も、恐ろしい時も、何度も感じていた。
 ――なぜ、私は、この闇を進み続けなければいけないのか。
 ――どうして私は、かつての世界に、形を持つことができなかったのか。

(……いけない。また)

 だからこそ、男の言葉に、より深く問いかけも共感も、することはできなかったのだけれど。

あの、ケッツァーさん。
リン、難しいことは、わからないんですけれど

 彼女は、言わずにはおれなかったようだ。
 男の言葉から感じた、自分の想いを。

そんな、そんなこと、言わないでください

そんなこと、とはなんだ

……ご自分を、否定すること。
リンのわがままだって、わかってますけれど、でも、でも!

(……形を成さない、願い)

 ――彼女は、形を取り戻すことを否定しない。
 形を取り戻した光と、語らいたいと願う彼女なら、そう考えているはずだ。
 ……彼女が、子を成すという実感をどうとらえているかは、わからない。
 でも、男の言葉から、わかることもあった。
 自分の存在が、そこから始まり、そしてそうでなければよかったという願い。
 それは、今の形を否定するという、言葉。

"――はい! リンは、出会った方とお話しするのを、とても楽しみで、大切にしたいんです!"

(お話、は、形あってこそのもの)

 光の形に、灯(とも)る言葉を求める彼女。
 だからこそ男の言葉は、受け入れられないものなのだろう。

お母さん、あの、誰かおられる方がいて。
お二人に望まれて生まれてこれたのは、その、誰にも望まれてないってわけじゃないって、リンには想えたので……

 願うように、言い聞かせるように、男へと語りかける彼女。
 まっすぐな瞳は、はっきりとした言葉は、嫌みや裏のない正直なもの。
 ……まぶしい。私の奥底に眠らせていたなにかが、焼けるように感じるほどに。
 苦しくて、男の様子をうかがおうと、視線をそらす。
 見れば、不思議と、男の眼も同じに感じているのではないかと想えてしまった。
 その少し細められた眼は、彼女の言葉のまぶしさを、感じてのものなのではないかと。

(誰かが望まなければ、形は、生まれないのかもしれない)

 私達が、グリの光を照らし、その姿を想い出させるように。

(けれども、その、あなたの想いは……)

 私が胸に抱いた言葉を、男もまた、まぶしさと共に感じてしまったのだろうか。

望まれている……と、お嬢ちゃんは、そう信じているのか

 男は、短い単語を、深くよどむように問いかけた。

あの……?

 そして、口を開く前に、私達へと眼光を向ける。
 ――最初、私達へと向けられた、ナイフのような切れ味を持つ眼差しを。

生まれることが、望まれているとは限らない。
他者にとっても、自己にとっても。
もし――命あるものが、動く形が、お嬢ちゃんの出会ったものが、全てがそうだと。
そう、信じているなら

 言い潰すように男は、一息でそこまで言った後。

……それは、あまりにも強すぎる

 小さく、重く、最後のその一言を彼女へと告げた。

つよい……リンが、強い、ですか?

 ――男の言葉に、私は、なにも言うことができなかった。

(彼女が、本当にいつも、形を求め続けてきたのなら)

 男が語る言葉は……同じ想いを、私の胸の中に、秘めていたものと同じだと想えたから。

死が残酷なものだというのは、不思議なものだ。
この世界を見ている、お嬢ちゃんの考えとしては、おかしくさえある

おかしい……
リンは、おかしいのですか……?

 呟く彼女から眼を外し、男は私の方へと視線を変える。

そうは想わんか。
――この闇は、ずっと見続けるには、俺にも辛いものだ。
底冷えすることすら許さない、ただ全てを否定するような、この暗闇の世界はな

……どうして、私に聞くの

 問いかけを、さらに問い返す。
 彼女ではなく、私に向けられた、その理由を。
 わかっているだろうに、という眼差しを理解しながら、私はまっすぐに男を見つめ返す。

どうして、かな

 自嘲するような響きの呟きを漏らし、男は顎を手で触る。

……ふっ。
さっきから、話がそれてばかりだな

 呆れるような男の声に、彼女は不安になったのか、慌てて謝り始める。

リンは、あの、ごめんなさい。
失礼なことを、言ってしまったのでしょうか……?

……地域や、時代の違い。
前提知識の違いは、俺の時代ですら、多くあったが

 すっと、男は鋭い眼を、周囲の闇に向けた。

――この闇は、俺達が語るこの時すら、嘲笑っているように想えてしまうな

……あなたの王は、母を、あなたを、どうしようとしたの

 話がそれたのなら、元に戻すまでだ。
 混乱している彼女に話させては、更に進まなくさせるだけだろう。
 ――前提知識の、違い。
 それは、今の闇も、かつての世界も、わからなくて埋められないものなのかもしれない。

(わかることしか、わかることは、できない)

 そう、わかろうとして、私は男へ先をうながす。

……王は、俺を、利用しようとしていた

 私の意図をくんだのか、男は再び、自分の生い立ちを話し始めた。
 "していた"、と、自分の主観が混じる語尾を、つけながら。

利用?
母と、あなたには、なにかがあったというの

 男の気になる言い方に、続けて私が問いかける。
 返ってきた男の言葉は、予想通りでありながら、心に重みを感じさせるものでもあった。

神と人間の間に、子を成し……自らの手足となる、超人的な力の存在を造ること

 そこまで言って、男は、握り拳を作り、凄みを感じさせる声を響かせた。

――争いのための道具を、己の手に収め、操ること。
そのために、俺は、あの世界に……"生まれさせられたのだ"

……あっ……ぅ

……

 ごくり、と、私の喉が鳴った。
 鳴らすしか、反応をすることが、できなかったのだ。

『なぁるほど、なぁ。だからこその、威圧感なのかねぇ?』

 感心するようなグリの声が、私の胸に響く。
 ただ、男の言葉に、疑問を持った。

 ――神の理由は、わかった。
 ――だが、悪魔と呼ばれた理由は、なぜなのか。
 ――どうして、争いのための力が、必要だったのか。

なぜ、そんな力が、必要だったのかしら

人の国は、争いを続けていた。
……いや、求めていた、のかもしれない。
そのようにしか、俺には見えなかったがな

 男が見た世界は、人と人との争いが、満ちているものだったという。
 人と呼ばれる種族達は、かつての世界を支配し、なぜか何種類かの部族に分かれて争いあっていた。
 互いに互いを取り込もうとして、同じ種族が血で血を洗い、そして残った者達が新たな火種を灯し続ける。
 ……それが、男の見た、かつての世界の姿。

終わりなき争いが、続いていた

 それらの部族の中で、ある一つの部族の長――それが、王というらしい――が、とある言い伝えに興味を抱いたのが始まりだった。
 そして、その言い伝えが真実であれば……他の国よりも、優位に立てる。
 そう、想ったのだろうと、男は語る。

同じような力が並び立ち、決定打にならない疲弊戦を続けることは……無意味だと。
王はそう想い、言い伝えで、現状を変えようとしたのだろう

 そして、その言い伝えこそが……男とつながる、神の力。
 永い時を生き、人を越える力をふるう、言い伝えの中だけに伝わる存在。
 それが、だが、かつての世界の同じ存在として、王は見つけることができたのだ。

そして、王は気づいたのだ。
……その神が、自分と同じ似姿を、していることに

同じ、姿……形?

……つながることを、願った?
……一方的に、それを?

そんな……お話もせずに、そんなことって、そんな……!

 男の言葉が指す意味を、私も彼女も、気づいてしまった。
 ――そんな事実、想像の中ですら、照らしたくもなかったのに。

意味がなければ、造ればいい。
圧倒的な力で、世界を変える。
人間らしい、そんな願い。
王が望んだのは……現実を超える、神にも悪魔にもなれる、力を手にすることだった

……あっとうてきな、ちから。
それが、ケッツァーさんの、力?

――そうだ。
神と呼ばれる力を用いて、悪魔を造り、王は自分の望みを叶えようとした。
世界を、その掌に収めることをな

 一息に、静かな怒りを抑えたような声で、男はそこまでの説明を終えた。
 ふっと、その男の言葉の合間をつくように。

争いを、終わらせようとしたのでしょうか。
ケッツァーさんの、お力を借りることで

 彼女の、どこか願うような、救いを信じるような言葉に、私は皮肉を呟く。

……争いを、自分の掌に収めようとしたのよ。
全てを手に入れることによって、ね

そ、うなの、でしょうか

そうとしか、聞こえないわ

 ――彼女の言葉も、ある種の願いだ。
 かつての世界で、かつて男が受けた境遇を、そうあってほしいと祈ってしまう。
 そんな、歪んだ願い。

(……それは、話を聞いていると、言えない)

 知らず、なにかを言おうと口を開けている自分に気づいたが、声は押しとどめた。

王の願いは、人の統一だ。
結果としては……どう、だったのか

 考え込むように、顎をさすってから。
 じっと、男を見つめ続ける彼女へ、深く突き刺すような言葉を男は告げた。

異民族の服従の声を聞き、民衆に偽りの希望を持たせ、自分の地位を拡張することに熱心な男だった。
そういった者だったとしか、記憶していない

……

 その言葉と、想像される存在の形に、彼女は言葉を失った表情をする。
 男によって、彼女の祈りは、あっけなく否定されてしまった。
 でも、それが男にとっての、真実だ。

 ――かつての世界が闇に覆われてしまった今の、形を取り戻した男の語るその言葉が、残ってしまった真実だ。

(話を聞く、ということは、でも、真実を聞くということじゃない)

 ……ただ。
 今までの男の様子と話から、それは、わかっていたはずのことだ。
 話をちゃんと聞いていれば、そんな甘さが入る余地がないことも、わかっていたはずなのだ。
 彼女は、男と、なにを話したかったのだろう。

 ――自分の望む答えを聞きたいのなら、私が行ってきた無言の行いと、いったいなにが違うというのだろう。

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