男は静かに、かつての世界に存在したというその村の形を、一息で話し終えた。
語られた言葉は、耳心地の良い、美しい言葉を並べられたもの。
その村は、太古より続く、古の神をまつる村。
山を育み、緑の幸を受け、水の流れを愛し、風と共に生きる……
そんな場所、だったらしい
男は静かに、かつての世界に存在したというその村の形を、一息で話し終えた。
語られた言葉は、耳心地の良い、美しい言葉を並べられたもの。
(……おそらく、とてもきれいだった、のでしょうね)
私には、それらを語った者達の姿を想いかえせても、それらの風景そのものを想い描くことはできない。
そう、それは……いつかの闇の中で出会い、グリの光により形を取り戻した者達が語った、想い出の地によく似ている。
彼らの眼を通して語られた世界の、"美しい"部分のみを選んだかのよう。
(そうした世界で生きたと語る者達は、とても、幸せそうだった)
静かで、穏やかで、いろいろな声や音が聞こえて。
まれに苦いことや苦しみがあっても、限りある生を想いきり生きていたと笑いながら語っていた。
――男が選んだ言葉は、そうした、美しい景色のものと同じだったはずなのに。
(なのに……どうして、かしら)
胸にわきあがる、言葉に出来ない不安は、いったいなんなのだろう。
男の語る言葉が、世界が、平和であればあるほど……陰が、より強く、胸に落ちるのは。
(……闇に包まれる、とわかって、冷静にいられないのと同じなのかしら)
――男は、すでに、結末を語っている。だからこその、重苦しさなのか。
ゆっくりと、男は言葉を続ける。
そして、その平穏な世界を語る男の言葉に、あの単語が混じる。
その村には、神がいた。
平和の象徴であり、永い時を生きる――現人神が
あらひと、がみ?
……それが、あなたに由来のある、
神なのかしら
私の質問に、だけど、男は答えなかった。
あらひとがみ、という言葉の意味が理解できなかった私の胸の内を読んだのか。
『現人神ってのは、かつての世界に、眼に見える形で現れた神様ってところかなぁ。人間だったり、神の化身だったり、いろいろな考え方はあるみてぇだが』
グリがそう教えてくれたけれど、やっぱり、わからない。
……見える神を、そう呼ぶの?
私は、小さくグリに問いかける。
――この闇の世界では、見えない神も、見える神も、同じ神と呼ばれる存在だったから。
『そのあたりは、かつての世界の厄介さって、いうかなぁ。……まぁ現人神も、神様ってくくりの一つなのは間違いじゃねぇから、そういうことなのさ』
グリの説明を聞いて、一つ、ため息をつく。
納得できたわけじゃないけれど、そう呼ばれる神がいたのだということで、自分を納得させる。
そのとおりだ。
神は特別でありながら、その村に住む者達とも近しく、共生していた。
……自分達の形を、遺し続けるために
……優しい神様、だったのですね
優しい、か。
……どうだろうな
男が続けた話は、その神と村人が、いかに共生してきたかの話だった。
いつ生まれ、いつその輪が生まれたのか、誰も知らない。
だが、他の地方にも噂で言い伝えられるほどには、彼らはその地に根付いていたようだ
そこまで言って、男は、少しだけうつむいて言葉をこぼした。
もう誰も、知ることはできない。――その記録も、記憶も、全て閉ざされてしまったのだから
(……それが、根絶やしということの、意味)
男の言葉に、私の胸が少し重くなる。横の彼女の顔ほど、深く辛くはないけれど。
(なにも、ない。なくなる。……そうなるかもしれないって、当たり前に、想っていたのに)
男と彼女に出会ってから、私の心は、おかしくなっているのかもしれない。
――かつて受け入れたその当たり前に、心を震わされるなんて。
本当に、あの、なにもかもなのですか……?
彼女は願うように、男へ話しかける。
少し口元を無言で動かした後、男は、端的に答える。
全て、ではない。
断片的な話は、残されている
その言葉が、止めていた男のなにかを開いたのか、再び口を開いて話し始める。
神の一族は、村の全てと、自然を愛した。
その常人離れした力で、村人を助けながら、その存在を護られてきた。
……村人もまた、神の一族を慈しんだ。
信仰という形と、共生という選択で
懐かしむような口調で、男は、かつて存在したその村を語る。
(――でも、懐かしいはずは、ないのに)
男の話を、信じるならば。
その村は、男が意識を持ったときには、もう滅んでいたはずだ。
なぜなら、男が形を持ったのは……その村が滅ぼされた後だったのだと、自分で語っていたのだから。
(男が語っているのは、そうであっただろう、かつての話)
懐かしむのは、優しくなるのは、なぜなのだろう。
……それは、その世界を、本当は知らないからなのかもしれない。
想像だけでしか、その、かつての理想郷を知らないから。
私が、そうすることでしか、かつての世界を知ることができないのと同じように。
――私は、進み続けてきた。無自覚に、考えることを止めて、ただ闇を払いながら。
(でも、それは。本当に、その世界へ、向かっているのか……)
想いかえした、かつての世界の者達との出会いが、胸を騒がせる。
光だけではない、眼を背けることもあった……彼らとの交流を。
……ステキな方達、だったのですね
男の話を聞き、感じ入るように呟く彼女に、私は同様のものを感じる。
その話は、想いは、真実とは言い切れない。
――でも、その問いかけに、何の意味があるのだろう。
――全てが闇に覆われた、この世界。
――見えて、聞こえるものが、ただ、『在る』という事実に過ぎないのに。
……だが、永遠は、ありえないのだろうな
各々の想いを抱えたまま、男は、話を続ける。
いや。ありえなかったのだ
ゆっくりと男は、握り締めた拳を、手前へと差しだして。
硬い拳も、いつかは、緩むときがくる
言葉とともに力を抜いて、五つの指先へと解放する。
内からの緩み、外からの圧力。
要因は、様々だが
……それが、あなたの言った、王家との関わりなの
身構えた心や身体が緩むには、理由がある。
外部からの圧力や、安心だと想える相手の存在。想像の斜め上をいく奇妙な会話など、様々にあるけれど。
(ずっと、構え続けることは、難しい)
王家との関わりだけが、その身を緩めた原因とは、言えないのだろうけれど。
私の問いかけに言葉ではなく、男はゆっくりと頷くことで反応した。
――男の語る、神と人との、関わり。
それは、男がいかなる存在であるか、より近づくことに他ならない。
(だから、この圧力に、身を固くもする)
近づくほどに身構える、私の心と身体。
ケッツァー、さん……
おぼろげな彼女の声を聞いて、だから、気づいているのだともわかる。
(王家……王。それが、男にとって、どんな意味を持つのか)
男の顔と周辺に、最初に見た、黒く重い気配がまた放たれていることを。
その村は、王の軍勢の前に、なすすべもなく滅ぼされた。
なんの抵抗もできず、瞬く間に
じっとりとしたその言葉は、実際には、あっさりと告げられたものだったのだろうと想う。
でも私は、おそらく彼女も、粘りつくような響きを受け取った。
その言葉に含まれる意味は……この闇に覆われてしまうことよりも、ある意味、もっと臭いを感じさせるものだと想えたから。
平和だったからこそ、周辺より忍び寄る闇に、気づけなかったのだろうな
平和、だからこそ……ですか?
低い声は、どこか重たい。彼女は、かぼそい声で問いかける。
あの、平和って、すごく穏やかで安心できるってことですよね?
あの、それなのに、なぜ
自分の信じたい想いを、乗せてしまうかのように。
……お嬢ちゃんは、この闇が怖いか
は、はぇ?
唐突な質問に、驚いたような声を上げる彼女。
横目で見ると、とまどったような彼女は、すぐに視線を上下させる。
え、っと……その、ですね
呟きながら、顔を下向けながら顎に手を当て、少しだけ沈黙してから。
ゆっくり、顎から手を離して、まっすぐに答えた。
……怖い、です
――背中に背負った闇と、握りしめたマッチの指と、ゆるがない表情。
私は、どこか、彼女の姿に安心していた。……それすらも違えば、私は、どう向き合えばいいか、わからなくなりそうだったから。
その恐怖は、突然、手元の光を覆い隠してしまうから……と考えて、いいのか
男の言葉に、彼女は口を開かず、小さく頷く。
眼孔鋭く彼女を見つめる男は、その反応を見た後、掌を指しだして。
では、平和に襲いかかる恐怖とは、その逆だ
その、逆……。
逆って、スーさんの光がいっぱい、あるってことですか
想像できるか
……考えることは、ありますけれど
弱く笑い、彼女は、手元の光をちらりと見る。
スーさんの光がいっぱいになれば、この、周囲の暗さはもう怖くないんだなって。
……そう、想っちゃう時は、あります
――常に、光が満ちている。
そして、闇を知らない。
それが、その村の状態だったのだろう
光が、満ちている……
ステキな、方達が、住む村……
恐怖に怯える中で、平和を想像できないように。
平和が満ちる中で、恐怖を想像することも、またできない
……平和さんは、平和なだけじゃ、ないのですか
悩むような問いかけは、すがるような、弱さにも感じられた。
それを、救いたいわけでは、なかったのだけれど。
神のいる村で、あなたと関わりがあるのなら、おかしいわね
感じていた疑問を、私は差し挟むことにした。
おかしい? なにがだ
男は、気づいているのかいないのか。
私の問いかけの先をうながすような、そんな反応を見せた。
すっと、私は空いた方の指先を、男の身体に向ける。
張りつめるほどに引き締まり、この闇にも負けない力を内に秘めた、神でも悪魔でもあるという肉体を。
その力を持っていたであろう、あなたの仲間達。
あらひとがみ
男の話では、その村を見守るように、常人離れしたその力をふるっていたという。
なら、力ある者が簡単に崩されるなんて、信じにくい話ではあるわね
――もしこの場に、男のような威圧感を発する存在が、何人もいたら。
(私も彼女も、光を灯し続けることができるのだろうか)
たった一つか二つの光で、新たな圧力の形を、受け入れられるのだろうか。
男は、今、独りだけ。だから私は、こうして戯れにも、つきあってしまっている。
(……彼女なら、やってしまいそうだけれど)
それはまた、別の話だ。……わからないことは、もう、考えない。
あらひとがみは、なぜ、根絶やしとなってしまったのか。村の形を……守れなかった、のか
そうなってしまった理由を問う私へ、男は口を開き、言葉を作る。
……研究結果によれば、近親により衰えたのも、あったという。
それゆえ、一部の者を除き力も弱く、数も少なくなっていたようだ
けんきゅう、けっか?
きんしん、おとろえ……???
聞き慣れない単語が繰り返されることと、そこから生み出される意味に、私と彼女は想わず声を出してしまう。
研究とは、そうだな。
例えば、俺から話を聞き、俺をさらにお前達が知る。
そこから、俺に関する新しい推測や考えを、お前達が考えること……かな
はわわ……。
聞いたお話、考える……???
むむむ、と呟きながら、考え込む彼女。
では、リンはお話ししながら、研究していることになるんでしょうか
『研究、かぁ。まぁ、コミュニケーションも、人を知る研究って、言えなくもねぇかなぁ』
グリの呟きと、私の考えが一致したことで、気になっていた別のことを聞く。
きんしん……とは、閉じこめること、だったかしら
あれあれ?
セリン、きんしんって『やっちゃダメ』って意味じゃなかったですか?
どちらも違うな
男は、かすかに笑うような声で私達の言葉を否定する。
閉じ込めることも謹慎とは言うが、違う。
お嬢ちゃんのは、禁止だな
訂正した男は、よどみなく、次の言葉を告げた。
男が『きんしん』と呟いた、言葉の意味を。
俺が言った近親とは……
近しい血を持つもの、という意味だ
近しい、血……?
似たような形の方達が、きんしん……?
同じように疑問を浮かべる、私と彼女。
で、でもでも、かつての世界の方達って、同じような形の方も多いですよね? それで、なんで衰えちゃうのですか?
血……形……
呟きながら、私は、ぽつりと呟く。
血と、形は……同じでは、ない?
はぇ?
血って、皆さんから出ている赤いものですよね……。
だから、形とは、違う?
『形の中に、血が流れている者も、いるよなぁ』
グリが、私の心に情報を伝えてくれる。
『それが、同じような形で、そこから新しい形を作って、でもすっげぇよく似た血と形になるのがあるわけさぁ』
それが……形を、成すということ?
『ざっくりな説明で、悪いがなぁ。まぁ、男を形作った者達は、逆に男とよく似たところも多かったりするわけよぉ』
例外はあるがね、と、グリは付け加える。
『例えばぁ、あの男の、両親や子供。そういったのが、近親かなぁ』
なるほど。
スーさん、かつての世界って、とっても複雑なんですね
納得するような声が、隣から聞こえる。彼女もまた手元の光から、血と形の違いを聞きとっていたようだ。
……それが、なぜ衰えとつながるの?
かつての世界の、つながりの形。
必要な形が組み合わさることにより、新たな意志を持つ形が、そのつながり方により生まれ出てくる。
それがいかなる形なのかは、その状況や方法により異なっていると、グリから聞いたことがある。
(――まるで、この世界で形を取り戻すみたい)
それがなぜ、衰えを生むことになるのだろう。
……この世界に絶望し、光を弱め、闇にのまれていった者達と同じなのだろうか。
グリの説明では、光で形を取り戻すことと、つながりにより形を持つことは、違うことのように聞こえる。
(この世界で出会った形の、衰えは。……自分の心が、ゆらいでしまって、消えてしまうことだから)
近しい形と、形を成すことが、なぜ弱さにつながるのかしら
私の質問に、男は首をひねりながら、また口を開き始める。
……ふと、その姿に、私は肩の力が抜けた。
奇妙なつきあいの良さを、男から感じてしまったからだ。
(恐ろしくもあり、どこか、柔らかくもある)
――それが、半分である、ということなのだろうか。
例えば、だ。
近すぎる光を糧にすれば、お前達はどうなる
男の言葉に、私達は顔を向けあった。
手元の光に、一瞬だけ視線を重ねて。
――お互いの眼は、想い出していた。
先ほど見た、二つの光が溶け合う、強すぎる光の記憶を。
光を、重ねる……
そ、れは……あの……
男の言葉に、私達は言葉を失う。つながりの、深すぎる形。
――近しい者の力を、自分の何かを保つために、分け与える。
(似すぎていると、混じり合いすぎたり、形がわからなくなったりもする。……そういう、ことなのかしら)
『……まぁ、新しい形になるのかもしれねぇが。おっかなくも、あるよなぁ』
ぼそりと、グリが呟く。
おそらく、その言葉が指し示しているのは、同じ記憶のイメージだろう。
記憶。いつから持ち始めたわからない、私とグリが歩んできた、ぼんやりとしたイメージ。
それのなかでも、先ほど見たものは、とても印象的なものだった。
――彼女の光とグリの光が、混じり合い、溶け合おうとした時の記憶。
(とても、とても強い光だった)
強く、眼と意志を焼くような光は、めったに動じないグリに不安の声を語らせた。
……近しい者が、混じり合う恐ろしさ。
黙ったままの彼女も、先ほどの光の溶け合いを、想いだしているのだろう。
まっすぐな視線は未だ変わらないが、どこか考えこむような暗さは、その明るい顔にも現れている。
……本題は、そこではなかったな。
話を、戻そう
村が滅びた理由や、神が衰えた理由は、確かに本題ではない。
聞きたいことは、男が、どんな存在であったのか。
なぜ、神でもあり、悪魔でもあったのか。
――そして彼女は、そんな男に、どうして光を取り戻してもらいたいのか。
私が、この茶番に付き合っている理由。
そこまで考えて、少しだけ、自嘲する。
(近しい者が危険というのは、そうなのかもしれないわね)
同じ光を持ち、でも、考え方も求める方法も、まるで違う彼女。
……今の私は、その影響を受けていることを、否定できない。
こうして、男がいかなる存在だったのかを、聞き取ろうとしているのだから。
結果は、記録は、変わらない。
俺が知るのは……残った者が記した、都合の良い、事実だけだ
また、想いに沈んでいる間に、男の話は再会されていた。
――さぁ、耳を傾けよう。
この二人の、光の形の、行く先を知るために。