タラトは口元の血を大雑把にリストバンドで拭く。舌を口元の傷に這わせ、鉄分の味を吟味したように見える。シャセツの攻撃に驚いたらしく、拳を握りこまない平拳や掌底を自分の手で作っている。

 そんなタラトにシャセツは正対する。表情は至って冷静だが、どこかイラつきが見える。連撃を受け、傷を負えども、平気に立ち上がってきたタラトが気に入らないのだ。

シャセツ

素直に寝ていれば良いものを。

タラト

お、まえ……つおい。

シャセツ

ジジイとは俺がやる。
貴様は今度にしろ。

タラト

オレ……
つおいな、な……いい。

 片言ながら、タラトの言葉は伝わってくる。タラトは強い相手と戦いたいだけ。それが場長とは違う強い者でも何の問題もないのだ。純粋な戦いの欲求であり、他の余計な感情は一切見受けられない。




 場長への挑戦者がいると集まってきた野次馬達だったが、相対した二人を中心に盛り上がっている。誰もが強者の戦いを目の当たりにしたいと、目が釘付けの状態だ。




 歓声を割るように動いたのはシャセツ。あっという間に距離を詰めて上下に打ち分ける連打。タラトが拳を振り回した時には、既に離れて届かない位置に移動している。

タラト

ガァッ!

 空を切るタラトの攻撃は、当たれば無事では済まない勢いだ。その間にも、シャセツの攻撃は止まらなかった。

シャセツ

遅い!

 タラトの反撃に合わせたシャセツの攻撃は、タラトの視力を一時的に奪う手刀だった。

タラト

ゥグッ!

 流石のタラトも、慣れない刺激で顔を天に向ける。その瞬間、シャセツはタラトの背後に回り込み、隙だらけの後頭部に大振りの手刀を振りかぶる!

シャセツ

な、に……!?

 シャセツの腹部には、タラトの平拳が刺さっていた。


 シャセツの腹部に痛覚が走る。息が止まる箇所への打撃。これは先程シャセツがタラトに繰り出した攻撃。ここまで繊細な攻撃をしてくるなんて、シャセツは想定していなかった。それに何故、視覚を奪われた状態で自分の攻撃が分かったのか?

 シャセツの顎をとらえたのは、タラトの掌底。まさにシャセツが使用した連撃を、タラトがすぐにやってのけたのだ。

タラト

い、ぎ……ぐぃぃ……

 しかしタラトは初めて使った掌底に慣れずに、当て所が悪く手首を痛めてしまった。

シャセツ

くっ、っつぅ……
小癪な。

 当たり損ないだったとしても、がら空きの顎に打ち付けられたダメージは重く、シャセツの足元はフラフラになっている。

場長

おーおー、やっぱり
学習能力はピカイチじゃのう。
それに鼻も効く。

 場長の言葉から察するに、『勘違い』と言っていたのは、タラトの学習能力のことだろう。

場長

見とったらこっちまで
うずうずしてきたけぇ。

 肩をぐるぐる回して参戦の意志を表す場長。最高潮に賑わう野次馬達。ハルは更にもみくちゃにされているが、徐々に前列に進んでいる。

シャセツ

ジジイ……
初めからそう言え!

 即座に場長との距離を詰めるシャセツ。悠然と立つ場長に下段回し蹴りを放つ。が、それはフェイントで、場長の懐に踏み込むものだった。その右足を軸足にして、逆の脚での膝蹴り。場長の腹部に直撃。すかさず斜め上からの右肘を顔面に落とす。返す外から巻き込むような左掌底も顔面。続いて左上段蹴りも頭部に直撃した。

場長

ほんまわやするけぇ。

シャセツ

ジジイ、くたばれ!

 場長の胸板にシャセツの後ろ蹴りがめり込んだ。鋭く重いその攻撃からは、手加減などという言葉は見受けられない。

場長

ほんま元気じゃのう。

 シャセツの足首は掴まれていた。

 そして抗うシャセツを嘲笑うように粗雑にぶん投げる。

ハル

ぷっはぁ~、
やっと前列にこれたっ……
すびゃぁあーー!!

ハル

なななな、何すか、一体?

 シャセツの投げられた先にハルが居て、巻き込んで倒れる。他の野次馬訓練生も巻き添えになっている。


 ふと場長の方に目をやると、タラトの胸板に正拳突きを繰り出していた。

ハル

ぷぎゃあーー!!

シャセツ

ぐっ、何で貴様まで
飛んでくる。

 タラトまでぶっ飛ばされ、更に野次馬達を巻き込み倒れる。後ろに居たメナとエノクの視界が一気に広がった。

場長

やっぱりワシが一番強いのぉ。

いい加減にして下さい。

場長

げ!!

 声の主はリーベだった。エノクとメナの後方から、場長に冷たい視線を送っている。

リーベ

場長。
この訓練場のルール。
ご存知ですよね。

 いつも通りの冷静な口ぶり。しかし、底辺にある怒気が滲み出ているように見える。

場長

な、何だったかのぉ?

リーベ

訓練中その他の時間含めて
無関係な訓練生に
迷惑を掛けないことです。

場長

そーそー、
そーゆールールじゃ。

リーベ

貴方が暴れ回るから
新設されたルールですよ。

場長

あ!
ほうじゃった。
今日は特別メニューの料理が……

 場長は一人小芝居の後、逃げるように場を去っていった。

 リーベは逃げる場長の背中に声を飛ばす。どこか二人の関係が近しく思える。リーベの神秘的な雰囲気の下地にある、人間的な部分が垣間見えたような光景だった。

 ~錬章~     50、野性の嗅覚

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