今僕が知るべきことはすべて、正蔵さんが語ったようだった。

最初とは違う、静かな沈黙。

羽邑 由宇

……今日はひとまず、帰ります

二ノ宮 正蔵

あぁ、そうだな。もう日がだいぶ暮れた。
私も歩きたい。送ろう

羽邑 由宇

ありがとうございます

二ノ宮 正蔵

すっかり暗くなってしまったな。
長い時間付き合わせてしまった

羽邑 由宇

気にしないでください。僕がそうしたくて、選んだことです

二ノ宮 正蔵

由宇君、君は、ほんとうにしっかりした人間だ

二ノ宮 正蔵

ほんとうは、ひとつ、心残りがある。
……寿命を売ってから、舞花のことをよく思い出すんだ

舞花。正蔵さんと花楓さんのお孫さんだ。まだ二歳くらいだったと思う。まだちいさい、女の子。

二ノ宮 正蔵

……あの子の成長した姿を、ひと目でいいからみたかったと、それだけはどうしても、捨てられない気持ちだ

羽邑 由宇

…………

ひしひしと伝わってくる、それはしかし、後悔ではない。


僕にはどうしようもない、正蔵さんの、手遅れの葛藤。

ただただ、もどかしい。

羽邑 由宇

僕に出来ることは、ないんでしょうか……

二ノ宮 正蔵

……いいんだよ。
私は君に話を聴いてもらえて、すこし気持ちが楽になったんだ。それだけで、十分だ

羽邑 由宇

正蔵さん……

出来ることは、ほんとうにひとつもないのか?

いや、なにか。
なにかあるはずだ。

時間屋は道化。正蔵さんの言葉は、僕の心に鋭く刺さったままだ。

けれどなにか、なにか……

その道化に頼ってでも、もし、僕に出来ることがあるのなら----------

由宇君、危ないっ!!!!!!!

羽邑 由宇

えっ

気づいたときには、正蔵さんの身体は、跳ね上げられ、

僕は道の端に倒れこみ、

血がじわじわ流れていくさまを、眺めていて、

車の運転手が正蔵さんに駆け寄っても、

僕になにかを叫んでも、

僕は、なにも……

なにも、出来なくて、

動けなくて。

サイレンが鳴り響いても、

救急隊員がやって来ても、

正蔵さんが救急車に運び込まれても、

僕はなにも、出来なかった。

花楓さんは、誰から聞いたのだろうか。

扉を開くと、花楓さんは身を起こし、手を、強く、強く、握りしめていた。

正蔵さんの意識が戻らないまま、夜が明けて。

僕はたくさんの人からいろいろなことを訊かれた。

ろくに応えられなかったけれど、僕はただ、謝らなければいけないという感情のまま、花楓さんのもとを訪れた。

羽邑 由宇

花楓さん……

二ノ宮 花楓

由宇……貴方は、怪我はないのね?
よかったわ……

羽邑 由宇

すみません、僕が、僕が、車に気づけなかったから……!!

二ノ宮 花楓

貴方が謝ることなんて、ないわ。
私はただ、彼のことが、心配なの。怖いわ、ひとり取り残されるかもしれないなんて……

二ノ宮 花楓

正蔵さんもずっと、この恐怖と戦っていたのね……そう思うと、此処でこうしているしかない自分が、不甲斐ないのよ

僕にはなにも言えなかった。
僕には花楓さんを励ませるような言葉は、ひとつも、思いつかなかった。

ただ謝るなんて、それは、自己満足だということに気づいた。

なにも出来ないなんて、もう、嫌だ。

ただみているだけだなんて、それは、間違っている。

僕は、僕に出来ることをしなければいけない。

時屋 吉野

おや、今日は貴方ひとりですか

こうして僕は、物語の当事者になる。

なにも出来なかったと悔やむだけの未来は、僕には来ない。

そう信じて、僕は、『時間屋』を訪れた。

第二十二話へ、続く。

pagetop