今僕が知るべきことはすべて、正蔵さんが語ったようだった。
最初とは違う、静かな沈黙。
今僕が知るべきことはすべて、正蔵さんが語ったようだった。
最初とは違う、静かな沈黙。
……今日はひとまず、帰ります
あぁ、そうだな。もう日がだいぶ暮れた。
私も歩きたい。送ろう
ありがとうございます
すっかり暗くなってしまったな。
長い時間付き合わせてしまった
気にしないでください。僕がそうしたくて、選んだことです
由宇君、君は、ほんとうにしっかりした人間だ
ほんとうは、ひとつ、心残りがある。
……寿命を売ってから、舞花のことをよく思い出すんだ
舞花。正蔵さんと花楓さんのお孫さんだ。まだ二歳くらいだったと思う。まだちいさい、女の子。
……あの子の成長した姿を、ひと目でいいからみたかったと、それだけはどうしても、捨てられない気持ちだ
…………
ひしひしと伝わってくる、それはしかし、後悔ではない。
僕にはどうしようもない、正蔵さんの、手遅れの葛藤。
ただただ、もどかしい。
僕に出来ることは、ないんでしょうか……
……いいんだよ。
私は君に話を聴いてもらえて、すこし気持ちが楽になったんだ。それだけで、十分だ
正蔵さん……
出来ることは、ほんとうにひとつもないのか?
いや、なにか。
なにかあるはずだ。
時間屋は道化。正蔵さんの言葉は、僕の心に鋭く刺さったままだ。
けれどなにか、なにか……
その道化に頼ってでも、もし、僕に出来ることがあるのなら----------
由宇君、危ないっ!!!!!!!
えっ
気づいたときには、正蔵さんの身体は、跳ね上げられ、
僕は道の端に倒れこみ、
血がじわじわ流れていくさまを、眺めていて、
車の運転手が正蔵さんに駆け寄っても、
僕になにかを叫んでも、
僕は、なにも……
なにも、出来なくて、
動けなくて。
サイレンが鳴り響いても、
救急隊員がやって来ても、
正蔵さんが救急車に運び込まれても、
僕はなにも、出来なかった。
花楓さんは、誰から聞いたのだろうか。
扉を開くと、花楓さんは身を起こし、手を、強く、強く、握りしめていた。
正蔵さんの意識が戻らないまま、夜が明けて。
僕はたくさんの人からいろいろなことを訊かれた。
ろくに応えられなかったけれど、僕はただ、謝らなければいけないという感情のまま、花楓さんのもとを訪れた。
花楓さん……
由宇……貴方は、怪我はないのね?
よかったわ……
すみません、僕が、僕が、車に気づけなかったから……!!
貴方が謝ることなんて、ないわ。
私はただ、彼のことが、心配なの。怖いわ、ひとり取り残されるかもしれないなんて……
正蔵さんもずっと、この恐怖と戦っていたのね……そう思うと、此処でこうしているしかない自分が、不甲斐ないのよ
僕にはなにも言えなかった。
僕には花楓さんを励ませるような言葉は、ひとつも、思いつかなかった。
ただ謝るなんて、それは、自己満足だということに気づいた。
なにも出来ないなんて、もう、嫌だ。
ただみているだけだなんて、それは、間違っている。
僕は、僕に出来ることをしなければいけない。
おや、今日は貴方ひとりですか
こうして僕は、物語の当事者になる。
なにも出来なかったと悔やむだけの未来は、僕には来ない。
そう信じて、僕は、『時間屋』を訪れた。
第二十二話へ、続く。