……そうだな。
確かに、そのとおりなのかもしれんな

 私が拒否した願いを、男は素直に受け入れた。
 その顔には、なんの感情も見て取ることはできなかった。
 怒りも、悲しみも、寂しさも、なにも。
 ただ言葉だけが、ただ淡々と、その表情から生み出されていく。

この世界に、そのどちらもいれば、いないのかもしれない。
あの狂騒と、無自覚な信仰。
それらを見ていないものに、言葉だけを投げかけても、無意味ではあるのだろう

 男の呟きは、こちらの考えの浅さを指摘したようなもので、胸の奥がざわついた。
 『言葉だけを投げかけても、無意味』。

(私と彼女が、この闇で交わしてきた言葉は……そう、考えも、できるのかしら)

 グリの言葉や、今までの自分が進んできた闇の間を、否定されたような気がした。だから、心が、揺れたのだろう。
 でも、仕方のないことでもある。
 ……確かに、この闇を越える世界なんて、私達にわかるはずもないのだから。

わかったことが、あるわ

 私の言葉に、男は少しだけ眼を開いた。

あなたが、かつての世界で……恐れられ、普通ではなかったこと。
それだけは

 ――そしてそれは、この世界でも、同じこと。
 この闇の中で、かつての世界に存在した形達と、どれだけ出会えたのかはわからないけれど。
 ……そのなかでも、男の放つ雰囲気や威圧感は、大きく見える。
 私の言葉を聞いた男は、少しだけ、身体の張りを強くしたように見せた。

神であり、悪魔である。
それは、俺が過ごした、俺を受け止めた、ここでない……俺の世界の、認識だ

あなたの世界の、認識……

 ――なぜかその言葉に、少しだけ、ためらいのようなものを感じてしまう。

あの

 重い空気が、場を支配する中。
 しばらく聞こえていなかったその声が、ある問いかけを、闇の中に響かせた。

ケッツァーさんは、特別な人、だったのですか

(特別……)

 繊細な響きで問いかけられたその言葉を、頭の中で考える。
 特別。
 他とは異なる、普通より外れている、そうした存在に向けて使われる言葉。
 ……間違いではない。私もさっき、男の存在を、特別なものだと考えていたから。

特別。
……特別な人とは、どういう意味だ

 でも、その言葉が当てはまるのかは、私も不思議に想えた。

 ――私は、男の特別を、『恐怖』や『不安』と同じようなものだと想っていたから。

(彼女は、どう想っているのかしら)

 少なくとも、今までの彼女の様子から、私と同じではないとは考えられる。

 質問を返す男に、彼女は少し興奮しながら、特別と言った意味を告げる。

あの、あの、リンにはケッツァーさんが人らしく見えるのです!

 両の手を使い、上から下、左右へ広げた後に縮めて、少し上方へ。その後また下へ下り、すぐまた最初の位置あたりまで手を戻し、両手を広げる。
 その腕の動きは、なにかと想ったけれど。

でも、さっきケッツァーさんも言っておられましたけど。
リンの知る、人間の方よりは……神様とか、超人とか、そういった方に近いのかなって

 ――彼女が表していたのは、おそらく、人の形。
 頭部から肩、二つの腕と二つの足、そして中央の身体。おそらくその形を、両の手で、描くようにしたのだろう。
 改めて言われれば、男の身体は、分厚い力強さに覆われてはいるが、人の身体から大きく外れてはいない。

人間よりは、か

 確かに、過去に私がこの世界で見た、神や悪魔を自称する者達より、男はずっと人に近い。

 ――グリのような光をまといながら、闇に抗うためにグリを求めた、神と自らを呼ぶ者。
 ――堕落への誘いを生きがいと語りながら、周囲の闇に『つまらねえご同業だ』と呟いた、寂しそうな悪魔の姿。
 ――それらが持つ、羽や透明性、角や突き出たような四肢。
 ――それらと比べれば……男の姿は、人の形により近い。

(ただ、純粋にそうなのか、と言えば疑問も感じるけれど)

 人型の、人でないものもいたけれど、それらともまた異質な感じを私も受ける。
 彼女も、おそらく、私と同じように出会ったことがあるのだろう。神や悪魔と、自らに言葉をつけた、それらの存在に。

はい。
ただ、神様や悪魔って、でも言葉はそれだけじゃないって、おっしゃってたから……
ですから、ケッツァーさんは人でないけど人っぽくて……

えと……

はわ、はわわわ……?

 途中から瞳が、くるくる回り出しそうな顔をしている。
 無理をしながら、言葉を捻り出したのだろう。
 その様子を、見たからだろうか。

……ふっ

 小さな笑い声を、男はこぼした。
 どうしてか、彼女の幼い言葉や問いかけに、男は似合わない緩やかさを表すようだ。

えっと、ですね……
すーっ、はー。
すぅぅっ、はぁー

 彼女もまた、ふざけているわけではない。……ないのだろうが、私は、ため息をつきたくなる。
 眼を閉じて、何度も大きく呼吸を重ねる。
 混乱した頭をいったん整理したのか、よしっ、と一声呟いてから。

ケッツァーさんは、どういった方なのですか?

 まっすぐな視線と揺れない声で、男へと問いかけた。
 それは、さっきまでの曖昧な答えではない、男がどういったものだったかへの問いかけ。

私も、聞きたいわ

あなたは……いったい、ナンナノカ?

 そう想ったから、私も同じように問いかける。
 ――互いにとっての重要なことが、一致した問いかけを。

……ふむ

 男は、かすかな笑いを止め、何気ない口振りで答えを返す。

人間だよ。ただし、半分だけだがな

 ――半分。半分とは、どういう意味だっただろうか。

半分……半分って、確か、二つになっちゃうことですよね

でも二つにしたら、死んでしまうわね

 当たり前のことを返しながら、私も半分の意味を考える。

それでは、確かに死んでしまうな

 ……なぜだろう。私へ返された男の言葉に、かすかな笑いが含まれている気がするのは。

(半分の考えが、間違っているのかしら)

 男は、一つとして形を持っているのに、半分であると言う。
 それは、どういうことなのだろうか。

じゃ、じゃあ……どういうことなんでしょう?

……二つの存在から、生まれた、ってことかしら

 ――以前に、グリから聞いたことがある。
 どうしてこの光達は、形を持つことができたのか。
 かつての世界で、生まれるとは、どういうことであったのか。

そうでしょう、グリ

 また笑われるのも嫌なので、小さな声でグリに相談する。

『おそらく、だがなぁ。ただ……神様か悪魔の、子供ってのが、俺のいた世界では、うぅんって感じだがねぇ』

そういった考えが、なかった?

『あったが、ねぇ。ただ……そういった形が本当に世界へいたかっていうのは、俺の知ってる知識では、わからねぇなぁ』

……ありがとう。
それだけでも、助かるわ

 グリの悩みは気になったが、半分の意味は、何となく察せられた。

あなたの、半分が、人。
半分は……人ではない、なにか。
そういうことね

この世界で生まれるという意味が、俺の言う言葉と同じかは、わからんがね

 ――この世界。
 この、私達が今いる、闇の世界のことだろうか。

俺の世界の、生まれるとは……一人の男と、一人の女が、身体を重ねて子を成すことだ。
ゆえに、その血と肉を、半分ずつ受け継ぐことになる

半分ずつの、形を、受け継ぐ……

 言いながら、今一つ、実感がわいてこない。知識としては、今までもグリに、何度か聞いたことはあるのだけれど。

 ――この闇の世界では、グリの光の一時か、闇に埋もれた暗闇でしか、形を持つ者はいないから。

ケッツァーさんの、お父さんと、お母さん。
なるほど、それで半分ずつなんですね

 彼女も、手元の光に聞いたのだろう。
 一人の男を、父。一人の女を、母。確かそう呼ぶのだと、グリに聞いたことがある。
 理解した私達に、男は、自分の過去を再び語り始める。

俺は、純粋な人間ではない。
そして王も、そうなると知りながら、俺の母を宮廷へと囲い込んだ

きゅうてい……?

 俺を生んだ男が作った、住まいのようなものだ。男は、硬い声でそう説明した。

王、とは、あなたの父のこと

……ああ

 私の言葉にも、男の声は硬く重かった。どこか、その事実に対して、ためらいがあるかのように。

王とは、神に近づこうとする人間。
そして母は、神と呼ばれた特別な存在

ほわわ~

 彼女は、男の説明を聞いて、感心するような声を上げる。

じゃあ、お二人とも、神様に近い方達なんですね!

……ふっ。
あぁ、その通りだ

(……っ!)

 ――なぜか、その男の笑みは、さきほどまでと一緒なのに。
 私の背筋は、男の声が秘めた冷たさを感じて、ふるえた。
 そしてそのふるえは、間違いでなかったのだと、次の言葉で理解することができた。

そして、王は――自分の血を特別なものとするために、俺の母を道具として、俺という血を作らせたのだよ。
欲望に燃える人間の血と、人を超える力を持つ神の血を、混ぜ合わせてな

どうぐ……どうぐって、いったい?

ただ、俺を生むためだけの、モノだということだ

……っ!

 話を聞いた瞬間、彼女は、声を殺した。

ど、うぐって……でも、道具なんて、違います……

 今にも泣きそうなくらい、眉と口元に波を作りながら。

……つながらない形を、つなぐため。
そう、考えれば、いいのかしら

セリン……

 泣いたところで、話は終わってしまう。
 彼女の代わりに私が、男へ話を続けさせるよう、そう答え返す。

難しい言葉を使ったな

 感心するような男の声に、私の頭が、その力と存在を理解しようと務める。
 ――かつての世界は、混じりあえる形同士で混じり合い、新しい形を作っていたと聞いたことがある。
 男の言う、父と母も、そうして男の形を作ったのだろう。

(……私の姿も、そうした形に、見られることがある)

 あの時は、あのおぞましさがなんなのか、理解できなかったけれど。

(それは、まるで)

 ――この闇に、心も身体も、包まれたあの時を……。

『セリン』

……!

 混じり合い、よみがえりそうになる、暗闇の記憶。
 どろりとした心へ響く――あの時と同じ、グリの助け。

『前だけを、進むって決めたろぉ? ……想い出さなくていいことは、眠らせとけよぉ』

 ――グリの、言うとおりだ。
 そして、眼の前の男が、私をそういう対象としてみているわけではない。
 わかるのは……男は、そうした行為の果てに、今の力を持って生まれてきたという事実だ。

それほど、難しく考えることはない

 男は、自らの胸に手を添えながら、冷静に告げる。

キメラの誕生……キメラの育成。
俺の存在は、それだけのことだったのだから

きめら……?
キメラ、って、そんな……

 その単語の意味を知っているのか、男の告白に、言葉を震わせる彼女。
 キメラ。その言葉に、なぜ、そんなにも震えるのか。

(異形の怪物。その呼び名だという、だけのことなのに)

 ――この闇の世界では、珍しくもない。
 このわずかな闇の先で、数え切れない眼で、こちらを見ているかもしれないのに。

(ナニカという闇に、混じりながら)

 震える彼女の様子が気になり、私は、衝動的に。

あなたが苦しんだところで、なにかが変わるの

 そう、彼女を突き放していた。
 感情を挟むつもりは、なかったのに、だ。

……ごめんなさい。
そう、ですね

 私の言葉に、彼女も少しの間をおいてから、そう答えてきた。
 彼女の、自分が苦しく感じているという仕草に、私がまたいらだちを感じた時だった。

それを言うなら、お前もだ。
眉間のシワは、外見に似つかわしくないな

 男の、彼女を助けるようなその言葉に、私の内心でまた揺れが起こる。

(誰のせいで、こんな茶番につき合っているの……!)

 横にいる二人にそう叫びたくなり、手に力がこもる。

『いたたたたた……セリンよぉ、確かにちょっと落ち着けよぉ』

 手元のグリの声。さっきとは違う、いつもの、少しからかうような響き。

『いいじゃねぇか。こうして、開いた輝きの方が、長持ちする……。覚えてるだろぅ?』

……

 グリの言葉に、私は無言でうつむく。
 知っている。そんなことは、ずっとずっと、覚えている。

 だからこそ――そうしないように、グリと一緒に、進んできたはずだ。

……そうね。
覚えてるわ。
だから、わからない

 ――どうして、その輝きを求め続けられるのか。
 ――その温もりを見つめる辛さを、彼女も、知らぬはずはないのに。

セリン、あの、大丈夫ですか……?

 彼女の声に合わせ、その顔をちらりと覗く。
 男にも、私にも、同じように向けられる、その大きな瞳。

大丈夫よ。
……続けるなら、続けて

 そう言うのが、精一杯だった。正直、止めさせる考え自体、もうあまりなかったというのもある。

いい、のですか

……今更よ

そう言われると、傷つくものがあるな

えっ、あの、ケッツァーさん、
ごめんなさい! 
リン、お話をちゃんと聞きたいので、
あの……!

 慌ててバタバタと男へ言葉を投げかけるその様子に、私は、どこか気を抜かれるのを感じていた。
 それは、男も同じなのかもしれないと、なぜか感じてしまう。

(――不思議な、子)

 かすかに、誰のものともわからない笑い声が、小さく響く。
 小さく、けれど、さきほどよりも楽しそうな……男の、笑い声が。

どこまで、話したか……

 少しして、男は想い出すように、そう口を開く。
 考え込む男へ合わせるように、彼女は空いた手で人差し指をたてながら、言葉をつむぐ。

あの、ケッツァーさんが半分で、お父さんと、お母さんがいて……

 断片的な彼女の言葉に、男は頷き、話を再会する。
 ――途中で、その半分の意味を想いだした彼女が、辛そうな顔をしたのも、理由なのかもしれない。

そう、母の血を自身の王家に取り入れるため……

王は、母以外の血を、根絶やしにした

 ――だが、その始めの言葉ですら、私と彼女にとって衝撃的な一言であったのだが。

えっ、えっ……?

ね、だやし……

 言葉の意味が、また、上手くとらえられず。
 その動揺を抑えるように被せられる、グリの声。

『全てを、消し去る。この闇の中に、形を埋めちまい、なにも無くなっちまうようなもの。それが……根絶やし、さ』

 言葉の意味を、素早くグリが教えてくれる。
 そして、言葉の理解ができたと同時に、グリへ重ねた両手を少し強めた。

……一人のために、他の、形を?

 グリにかけた言葉は、男へも伝わったようだ。

規模はわからん。
だが、数十では、なかったようだがな

……そんな、ことって

 一つの血を手に入れるために、その他の似た存在を、全て抹消する。

 ――形ある、かつての世界のことなのに。
 ――この闇に飲まれたような、救いのない話。

 言葉を止める私達の様子を見ながら、しかし男は、ゆっくりとまた口を開く。

後から聞いた話だ。
俺が生まれ、それを知った時……
母の部族は、すでに滅びさっていたからな

 そうして男は、昔話だ、と前置きしながら口を開く。

 ――かつて存在した、平和な世界の物語。
 ――かつて失われた、平和だった世界の結末を。

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