7/7/2012 20:46 参道

 神楽舞は終わり、観客たちが帰路に就く。その中に真人と唯の姿もあった。二人の両親は、神宮寺家の手伝いということで、最期の片付けが終わるまで境内に残っている。両親に関しては昨年までと同様だが、今年は、去年までと違い二人での帰宅だ。長兄の姿はなく、二人は少し寂しさを感じながらも歩いていく。

 家路に就く神楽の見物客たちは、思い思いの感想を述べている。おおむね、見に来てよかったという感想だが、去年の巫女のほうが綺麗だったとか、今年の巫女のほうが好みだったとか、そんな言葉も聞こえてくる。そういった不純な気持ちで神楽を見に来ていた男性客に真人は苛立っていた。

高木 真人

世の中の男はなぜ、こういう連中ばかりなのだろうか、妹よ。

高木 唯

しほねえもなおちゃんも可愛いからしょうがないね!

 意外にも唯は真人に同意してくれない。それとも、これは男性と女性の視点は違うということなのだろうか。一瞬そう考えたが、そもそも唯は女性というカテゴリーに分類して良いのだろうかと疑問に思い、急にどうでもよくなった。

高木 唯

はやくお嫁さんにしないと、なおちゃん他の男の人に取られちゃうかもね。

 唯が奈緒に関して真人をこんな風に煽ってくるのは日常茶飯事だ。しかし、こういったやり取りは得てして逆効果である。

高木 真人

お前もかよ…確かに唯から見れば、奈緒はすごく良い姉だろうけど、恋愛とか結婚とかはそう簡単なものじゃないんだよ。小学生にはわからないかもしれないけど。

高木 唯

なおちゃんもしほねえも家族みたいなもんじゃん。なんでダメなの?

高木 真人

ダメじゃないけど…
本人の気持ちが一番大事だろう。とにかく、周りが騒いだり、ああだこうだ言うもんじゃないんだよ。

高木 真人

なるようになるし、ならないようにはならない。以上。

高木 唯

ふーん。

高木 唯

でも、お兄ちゃんは奈緒ちゃんのこと好きなんだよね?

高木 真人

ん~。今んとこは、幼馴染以上でも以下でもないかな。

高木 唯

嫌いじゃないんでしょ?

高木 真人

まあ、奈緒を嫌いになるのは、奈緒の人気に嫉妬した女子ぐらいだろうな。

高木 唯

やっぱり好きなんだ~。

 どうしても「奈緒を好き。」と言わせたい唯の意図はあからさまなものだったが、そのセリフを言うまでこの問答は永遠に続くだろうと思ったので、真人は先に折れた。

高木 真人

まあ、好きだよ。幼馴染として親しいって意味でな。

高木 唯

今日のなおちゃんすっごく綺麗だったね。

高木 真人

まあな。

 二人は石段を下り始める。石段を登ってきたときと比べれば、夜も更け周りはかなり暗くなってきた。

高木 唯

なんか、なおちゃんじゃないと思っちゃった。

高木 真人

まあ、それに関しては同感だ。
「馬子にも衣装」だな。

高木 唯

「孫にも衣装」?

高木 真人

要するに、着飾れば立派に見えるってことだよ。

高木 唯

着物着なくても、なおちゃんはかわいいけどねー!

高木 真人

それにしても、帰る時まですごい真剣な表情してたっけなー。

高木 唯

初めてだから、最後まで緊張してたのかな?

高木 真人

まあ、社務所に帰るまでが神楽奉納ってことか?

高木 唯

あー!遠足行くときに先生が言うやつだ!
先生!チョコバナナはおやつですか?

高木 真人

バナナはおやつじゃないけど、チョコバナナはおやつかな。

高木 唯

同じバナナなのに…

高木 真人

そもそもバナナ自体がグレーゾーンだから、チョコがついた時点でアウトだな。

 取り留めもないいつものやり取りだ。

高木 真人

いてっ!

 神社の石段を下りきって、通りに足を踏み出した瞬間、何の前触れもなく右腕に痛みが走った。手首から肘にかけて30センチぐらいの傷ができていた。深くはないが、どうやら切り傷のようだ。じんわりと血が滲んでくる。

高木 唯

どうしたの?おにいちゃん…

高木 真人

ん~、鎌鼬(かまいたち)かもしれないな。

 神社の石段の両脇にもどこにも茨のような植物や枝を伸ばした木はない。何もないところで急に傷ができたのだ。

高木 唯

イタチってあのかわいいやつ?

高木 真人

俺の腕にいきなり傷ができたんだよ。

 できたばかりのその傷を唯に見せる。

高木 唯

う~。痛そう…

高木 真人

切れた瞬間は痛かったけど、見た目以上にひどいわけじゃない。
これぐらいの傷だったら一週間あれば痕(あと)も残らず綺麗に治ってるな。

高木 唯

イタチがやったの?

高木 真人

ん~。イタチではないと思うけど、もしかするとコウモリとかカラスか?動物の可能性はあるかもしれない。

高木 唯

えー!
ペットじゃない動物ってばい菌いっぱい持ってるんだって。早く消毒しないとダメなんだよ。

 唯の言っていることにも一理ある。家まであと7分ぐらいの距離だが、すぐそこにある公園に行って、まずは傷口を洗ったほうがいいかもしれない。

高木 真人

傷洗うから、ちょっと公園よるぞ。

高木 唯

夜の公園って怖いけど、なんかワクワクする。

 相変わらず能天気な妹に、少し気が和む。

7/7/2012 20:57
八太ノ丸(やたのまる)公園

 祭りの後のせいか、公園には誰もいない。水が勢いよく流れる音以外に聞こえる物音は何一つない。

高木 真人

アルコール消毒じゃなくても、しみるな…

高木 真人

ん?

 軽くこすって流したせいか、傷口が少し開いて少し血が垂れていた。

高木 真人

あとは、あんまりいじらないほうがぶな…

高木 真人

んっ!

 傷口に鋭い痛みが走る。傷口の中央だ。見ると、傷口がさらに開き、血がさらに出てきている。

 腕をどこかに引っ掛けたわけでもないし、特定の動作によって腕の皮が引っ張られたわけでもない。しかし、傷口が深くなり、大きくなっている。

 真人は、状況が呑み込めない。

高木 真人

なんで…

 呆然と立ち尽くす真人に気づいたのか唯が近づいてくる。

高木 唯

どうしたの?おにーちゃん。

高木 真人

な…なんか…傷が開いて…

高木 真人

うっ…

 再び、鋭い痛みが走る。この異常事態は悪化していくだけだと真人は判断した。カバンの中から携帯とハンドタオルを取り出す。

高木 唯

おにいちゃん…うで…

高木 真人

思ったより傷がひどいみたいだから、救急車を呼ぶよ…

 傷はなぜかますますこじ開けられるように広がっていく。滲む程度の出血が、今では滴り始めている。命の危険を感じる。携帯に119番を打ち込むと、そのまま傷のある右腕で携帯を耳元まで持ち上げる。左手は傷口にハンドタオルをあてがっている。

高木 真人

すいません…
救急です。いえ、私です。腕の傷からの出血が止まらなくて…八太ノ丸公園です。30センチぐらいの切り傷なんですが…1センチぐらいだと思います。ちょっと難しいと思います。すぐ近くにいなくて。妹は隣にいます。ちょっと頭がくらくらして…高木です。わかりました。

高木 真人

いえ、これまで大きな病気やケガも特に…

高木 真人

うっ…

 傷口を抑えているタオルから温かさが伝わってくる。暗くてはっきりとは見えないが、タオルはもう元の色が分からないほど血に染まっているようだ。

高木 唯

お、おにーちゃん。くらくらするの? 

 思わず、「頭がくらくらする」などと電話では言ってしまったがそれはちょっとオーバーな表現で、はっきり言ってしまえば嘘だった。しかし、今は「嘘から出た真」となっている。出血に対する精神的ショックなのだろうか…それとも出血しすぎたのだろうか。動揺していて判断がつかない。

高木 唯

おかあさんたち呼ぼうよ。

高木 真人

すいません。ちょっと。

 電話を一時中断し、心配そうな表情の唯のほうを向く。

高木 真人

今、こっちで電話してるから、親父たちのほうに電話できない…

 携帯電話を持つ右手の肘から血がしたたり落ちる。

高木 唯

おかあさんたち呼んでくる!

高木 真人

ちょっと待て!

 こんな暗い中、一人で神社まで4分ほどの道のりを行かせるわけにはいかない。それに、この出血がますますひどくなっていく状況で病院まで意識が持つとも思えないし、呼んでくるころには救急車とすれ違いになるかもしれない。真人はそう思った。

高木 真人

焦る気持ちもわかるけど、とりあえず俺と一緒に救急車に乗ってくれ。そのあとのことは、病院についてからで大丈夫だ…

高木 唯

わ、わかった。

7/7/2012 21:04
八太ノ丸公園

 意識がぼーっとしてきた。自分としてはそれほど深刻という感じではない。昔小学生の時に熱中症になりかけたその感覚に似ている。
 不思議なことだが、さっきまで電話越しに何を話していたかうまく思い出せない。鋭い痛みもあれから何度か襲ってきたような気もする。体から温かさ抜けていく感じがする。妹の泣きながら話しかけてくる声が聞こえる。しかし、救急車の音が聞こえた気もする…だが、それらが本当に起こったのか、どのような順番で起こったのか、それを思い出すことさえできない。

 

 

序章 第5話「鎌鼬と傷口」

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