神宮寺家の裏手にある父の車の最後部座席にネコとクマのぬいぐるみをしまい、鍵をかけると二人は参道の方へと戻っていく。

7/7/2012 20:12 参道

 屋台が軒を連ねる参道の方は、先ほどより人が減っている。神楽殿の方にすでに人が流れていったのだろう。

高木 唯

良い場所あいてるかな?

高木 真人

親父たちが先に神楽殿でいい場所取ってることに期待しよう…

 この神楽奉納はこの神社が建立されて以来ずっと続いているそうだが、平成に元号が変わるまではここまで人が集まる行事ではなかった。
 ここまでこの神社を有名にしてしまったのは、奈緒の姉の志穂である。中二で神楽舞を初めて披露した翌年から加速度的に見物客が増えている。「可愛すぎる『本物』の巫女」として雑誌にも紹介された志穂の姿見たさに訪れる人がその主な原因である。その自由奔放な性格を知る身近な者は、「外面(そとづら)だけは良い。」と評価していたが、そのように言われることも雑誌で取り上げられたことも気にかけない志穂はいい意味でもマイペースだった。

高木 唯

しほねえもかずにいも居ないし、おにいちゃんだけじゃつまんないっ!

高木 真人

つまんない兄貴で申し訳ございませんね。

高木 唯

かずにいたちもなおちゃんのかぐらまい見に来ればいいのに…

高木 真人

まあな…
でも、本来あの二人は真っ先に来ると思うんだけど…

高木 唯

そんなに大学って忙しいの?

高木 真人

俺もよくわからないけど、あの二人が来れないということはよほどの事情だろうとは思う。

高木 唯

2年たったら唯も独りぼっちかな…

 唯を除けば、真人も奈緒も、和人も志穂も、高木家と神宮寺家の子供たちは同級生で大学受験・進学も同じタイミングなのである。
 自分も少なからず感じているこの寂しさは、独りぼっちの小学生にとってどれほどのものだろうと真人は同情していた。

高木 真人

まあ、少なくとも奈緒は絶対戻ってきてくれると思うぞ。だって、神楽奉納の役目は奈緒の後がいないからな。

高木 唯

ついでに、おにいちゃんもね。

高木 真人

ついで…
はいはい、絶対戻ってきますよ。この祭りの日だけは。

7/7/2012 20:16 神楽殿付近

 神楽殿の付近まで行くと、人込みが神楽殿をぐるっと囲んでいた。まるで視力検査に用いられるランドルト環が幾重にも重なっているかのようだった。
 いい位置取りは絶望的に思えたが、神楽殿からほんの少し離れた人混みの中に二人を呼ぶ声を聞いた。

高木 良雄

真人!唯!こっちこっち!

 高木家の大黒柱の高木良雄だ。長身であり、何度も声を出さなくとも十分目立っている。夫が大きな声で子供たちを呼ぶのを見て、となりでしかめっ面をしているのが母の美代である。

高木 美代

お父さん、ちょっと。恥ずかしいからやめて!

高木 良雄

すまん。すまん。

 そこへ、真人と唯が合流する。

高木 唯

よかったー!なおちゃんの踊りちゃんとみえそう。

 流石は毎年欠かさずこの祭りに参加している夫婦だ。見物客としてだけでなく運営委員としても参加しているためか、完璧な位置取りを心得ている。舞台は人が立って見ることを想定して高い位置に造られており、近すぎると見上げた時に死角が大きくなるので、実は少し離れた場所が丁度良い。

高木 良雄

踊りじゃなく、神楽舞だぞー。

高木 美代

唯、屋台であれこれ食べてないでしょうね?

高木 唯

そんなに食べてないよ。

高木 真人

たこ焼き、リンゴ飴、わたがし…まあ、唯にしては我慢したほうだな。

高木 美代

晩御飯食べてからそんなに食べたの?!

高木 唯

わたがしは、なおちゃんの一口だけ!

高木 良雄

まあまあ、お祭りは楽しむためにあるんだから、今日ぐらいは食べたいものを食べたらいいじゃないか。

高木 真人

いつも好き嫌いばっかりしてなければ、そういう風に考えてもいいんだろうけどな…

高木 唯

いーじゃん。そんなの~。
それよりかずにい達は?

高木 美代

和人と志穂ちゃんは…
いろいろ忙しいって…
こんな土曜日の夜に何が忙しいのやら…

 真人の兄である和人(かずと)と奈緒の姉である志穂(しほ)は、真人と奈緒の二歳年上で、同じ大学へ進学していった。学部学科、バイト、サークルまでも同じである。

高木 良雄

これは学生結婚もありえるかな?

高木 良雄

そうそう。和人たちが結婚しても、奈緒が許嫁という事実は変わらないから安心していいぞ。むしろ婿入りでもいいぐらいだ。

高木 真人

マジでさ…奈緒は「いやです。」ってキッパリ断れない性格なんだから、冗談でもそういうのやめてくんないかな。

高木 良雄

奈緒ちゃんも割と乗り気な気がするんだけどなぁ…

高木 真人

女心がわからん親父だな…
いいから、そういう話は特に奈緒の前ではやめてくれ。あと、あっちの親父にも変な話振らないでくれ。

高木 良雄

そうか?…

高木 良雄

まあ、「恋は障害があるほど燃え上がる!」というからな…わかった。

高木 良雄

お前らの結婚は断じて許さんぞっ!

高木 真人

それを言うとしたら、あっちの親父だろ…

高木 美代

親子漫才してないで…そろそろ時間よ。

 

7/7/2012 20:28 参道・神楽殿

 篝火(かがりび)が時折パキっという音とともに微かに動き、一瞬火の粉がチカっと闇をかき消す。

 だんだんと人の話し声が聞こえなくなってくる。すると、社務所から二名二組の計四名の巫女が出てきた。二人一組で、一本の紐の端と端を持っている。社務所から神楽殿までの道を確保するためだ。二つの紐はピンと張られ、準備はすべて整った。
 静寂の中、観客が神楽奉納を待ちわびている。

7/7/2012 20:30 参道・神楽殿

 静けさと、時折の篝火の弾ける音の中、やさしく笛が鳴り始める。澄んでいて、それでいて暖かいような、神聖で不思議な感覚にさせる音色である。

 笛の音が鳴り始めてから数秒すると、琴の音も鳴り始めた。それと同時に社務所から奈緒が姿を現す。社務所から神楽殿までは十数メートルといったところだ。

 右足を前に出すと、左足をその横へあわせ、今度は左足を前に出し、右足をその横へ…と、ゆっくりと歩みを前へと進める。髪は、天冠(てんかん)と簪(かんざし)で飾られ、右手には神楽鈴、左手にはその柄の先から延びる布をそれぞれ握っている。周囲の暗さと距離によって奈緒の顔はよく見えない。

 だんだんと奈緒が近づいてくる。

 真人は奈緒が近づいてくるのを見ていたが、それが奈緒であるという実感が全くわかなかった。別人のように見えたのだ。
 奈緒が真横を通り、その横顔を間近で見ると、これまでに襲われたことのない感覚で真人の胸はいっぱいになった。それは、胸が苦しく、動けない ― 金縛りのような感覚 ― 目は奈緒から離すことはできず、瞬きもできない。今横を通り過ぎて行った人物は確かに奈緒だった。しかし、頭でそれを理解できても、これまで積み上げてきた奈緒のイメージがそれを許さない。そんな衝撃もあった。

 まっすぐ正面を向く真剣なまなざし、きびきびとしたなかにも優雅さを感じさせる一つ一つの所作、うすく唇に差した鮮やかな赤。

 真人にとってそれは、決して手に入ることのない価格もつけられない至高の宝石細工であった。

高木 唯

なおちゃん…
きれい…

 深いため息が出るように唯の口から言葉がこぼれた。その言葉で真人ははっと我に返った。

高木 真人

「綺麗」なんてもんじゃねぇよ…なんだよ、あれ…奈緒じゃねぇよ…

 神楽舞台へ奈緒が上がると、いよいよ神楽奉納が始まる。ゆっくりと神楽鈴が弧を描き、終点でピタッと止まるとシャンと音を奏でる。奈緒の視線は、目の位置と神楽鈴の延長線上の遥か彼方を向く…

 優雅さと美しさと神聖さを併せ持つこの神楽は、これから八分ほど続く。


 現存する神楽はそもそも数自体が少なく、種類もばらばらで形式と呼べるものはないため、神事ではあるがその型は統一されていない。しかし、この神社の神楽には二つの特徴がある。一つは、神楽鈴を除けば楽器は神楽笛と和琴(わごん)の二種類のみであり非常にシンプルな演奏であること。今回も奈緒の両親がそれぞれ楽器演奏を務めている。そしてもう一つは、舞を奉納する巫女は一人であること。それによって、最低三人という非常に小規模で行えるものとなっている。

 真人は、何を考えるということもなしに、ただただ奈緒の姿に見惚れ、その姿を自分の目に焼き付けていた。

序章 第4話「両親と神楽舞」

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