当時……いや、生まれつき、花楓さんは身体が弱くて、それは歳を重ねてもよくなることはなかった。

十五年前……僕が十七歳の頃、その時も同じように花楓さんは具合を悪くして、入院していた。

なんでもない日だった。
でも、正蔵さんの様子が明らかにおかしかった。

その日僕は初めて『時間屋』を訪れた。

これは、僕にとっての『始まり』だ。

時屋 吉野

いらっしゃいませ。

……おや、今日はお連れ様が?

二ノ宮 正蔵

なにか問題かね?

時屋 吉野

いいえ、とんでもございません。奥でお待ちください

二ノ宮 正蔵

由宇君、行こう

異様な雰囲気。正蔵さんの張りつめた表情。……相対する男性の、余裕の笑み。

ネームプレートが、さらにその異質さを際立たせている。
『時間屋店主 時屋吉野』……此処は『時間屋』で、この男性は時屋吉野、というらしい。

思えば僕は、この時まで目的地の名前すら知らなかった。バス停の表示が『時蔵』だったことくらいしか、事前情報はなかった。

改めて、怖くなった。……ただ言われるがまま、僕は正蔵さんの後に続いた。

時屋 吉野

三回目……です。いいのですか?お売りするぶん、貴方の命が削られていきますよ

羽邑 由宇

は、命……!?

いきなり本題に入った時屋さんの言に、戸惑いを隠せず思わず声を上げてしまった。

正蔵さんが、静かに頷く。……説明は、なかった。

時屋 吉野

お話になっていないのですね……いやはや、訳もわからずついてきたのですか。お名前は?

羽邑 由宇

……羽邑、由宇です

時屋 吉野

羽邑さん……貴方、此処がなにをする店なのか、なにも知らずに来たのですか?

羽邑 由宇

……はい

時屋 吉野

……っ、おかしな人です。二ノ宮様、いいのですか?ご説明なさらなくて

二ノ宮 正蔵

店主が気にすることではない

時屋 吉野

……そうですか

おかしな人。……これまで生きてきた中で、そんなことを言われたことはなかった。

羽邑 由宇

……時屋さん、説明していただけませんか

時屋 吉野

おや……私は構いませんが。二ノ宮様、よろしいのですか?……ご都合が悪いのでは?

二ノ宮 正蔵

隠すことなどなにもない。信用を得るには、先にみせたほうがいいと思っただけだ

時屋 吉野

なるほど……そういうわけでしたら、私がお話するより、そうですね、始めましょうか

羽邑 由宇

えっ、ちょっと、待ってください……

時屋 吉野

なにか?

羽邑 由宇

説明は、していただけないんですか

時屋 吉野

羽邑さんは……契約者では、ありません。契約者である二ノ宮様のご意向を尊重するのが、先でしょう

『契約者』。耳慣れない言葉、店主の笑み。

そしてなにが始まるのかわからないままに、それは静かに『始まった』。

時屋 吉野

今回は、どれだけ削りますか?

店主がこの部屋よりさらに奥の部屋から、宝石のようなものを持ってきて、テーブルの上に静かに置いた。

そして、もうひとつ、装置も一緒に置いて、質問をした。

二ノ宮 正蔵

五年ぶんだ

時屋 吉野

……十年、五年、五年。もう二十年ぶんになりますね

二ノ宮 正蔵

……わかっている。もうそろそろ、限界なのだろう

時屋 吉野

……自覚をお持ちなら、私から言うことはなにもありません。
それは、二ノ宮様の『時間』ですから

静かに見守ることしか出来ない自分が歯がゆかった。

嫌な予感がして、此処まで来た。
けれど現状をまったく把握出来ていないのでは、なにもしていないのと同じようなものだった。

時屋 吉野

では、始めます。二ノ宮様、お手を

正蔵さんが、宝石に触れる。

結晶が光る。装置に備わっていた歯車が、動き出す。

音はない。静寂の中で、でも確かに、宝石は、『削られていた』。

時屋 吉野

……五年ぶん、確かに

静かな声と共に、光が消えた。

……正蔵さんの呼吸が荒い。

二ノ宮 正蔵

っ、あぁ、終わったか

時屋 吉野

えぇ、後の処理も、滞りなく

なにが始まり、なにが終わったのかわからないまま、けれど僕は確かに、なにかをみた。

正蔵さんが席を立つ。僕もそれに倣い、立ち上がる。

時屋 吉野

……またのお越しを、お待ちしております

時屋さんのその言葉の通り、僕は三日と経たないうちに、『時間屋』を訪れることになる。

そしてその時、僕はただの『登場人物』から、『契約者』になる。

大きなものを失い、得る。

これは、正蔵さんのためであり、舞花のためであり--------

----------自分のための契約だ。

第十九話へ、続く。

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