神であり、魔物。
その響きに、違和感を持つ。
神であり、魔物。
その響きに、違和感を持つ。
う、ううん、ええと……
それは、私だけではなかったようで。
で、でも、それってちょっと違うものですよね……?
彼女の反応に、私も続ける。
神と魔物。
……それは、重ならないものだと、
私も見てきたのだけれど
神は、他とは違う力や光を持ち、崇められる存在。
悪魔は、他を圧する力を持ちながらも、あらゆる存在に疎まれる存在。
(グリに、そう聞いて……この世界で、似た存在に出会った)
初めて出会う異形の存在達に怯え、逃れながら、グリが語った言葉。
そう。神と悪魔という言葉を教えてくれたのも、グリだった。
(こうして、同じような姿かたちで、出会うことばかりではなかったもの)
今まで出会ったことのある、あらゆる存在。闇の中で交わされる、わずかな光の交わり。
グリが、その存在と、交流する方法を、結びつけてくれた。教えてくれた。
――あれは、『人』のようだ。それは、『悪魔』のようだ。これは、『道具』だね。あの姿は、『神』のようだなぁ。
(精いっぱい、慣れない言葉づかいだって言いながら、伝えてくれた)
今でも、その時のことが想い出せる。
胸にわき上がる、グリの、ほのかな暖かさ。
そして……それらとの交わりから教えられた、大きく苦い、闇の広がり。
交わったものは……いったい、なにになるのかしら
その、重ならない、二つの感情とともに。
……魔物は、いつ、魔物と呼ばれるようになった?
男の声が、深く耳に沈みこむ。
魔物という存在を、この闇でしか知らない、私達に向けて。
神は、いつ、崇められるようになった?
誰に、どうやって、なんのために?
……は、はわわわ……???
混乱したような声と、くりくりと回転する瞳。
考えても考えても、答えは出てきそうもない、彼女の様子。
『――そんなのは、よぉ。かつての世界に住んでたって、答えられるヤツは少数だろうになぁ』
グリの声は、彼女を見て呟いたものか。
それとも、口を閉ざした私に向けて、優しさをかけたものか。
……考えたことも、なかった。
私にとって、グリに教えてもらった単語と、眼の前の存在は、基本的に結びついているものだから。
だが逆に、結びつかない存在が、同じ言葉であるのなら。
(――結びつけた、言葉と記憶が、ぼんやりとしてしまう)
先ほど、男が言った言葉が、頭に浮かぶ。
"――その内にある考えと、過ごした時間……見たままでは、ないだろう"
そんなことを考えている私に、グリもまた、唸りながら言葉をくれる。
『ただ……『悪神』、というパターンもあるかぁ。だがそうなら、神でいいはずだしなぁ。あえての、悪魔ってのがねぇ』
あくしん……?
グリから聞く新しい言葉に、眉をひそめる。
『悪の、神。悪魔の神様、って考えかなぁ』
神と悪。
――神は、善や悪を越えた場所にいることもある、と、そうグリは語ったこともあった。
『しかしよぉ。男の言葉は、たぶんだけどなぁ……その、悪の神って意味じゃあぁ、ねぇ気もするんだよなぁ』
……神と名乗る者達が、善と呼べるような者ばかりだったか。
胸の内に押しこんでいた記憶を想いかえしながら、私は、グリだけに聞こえる声でささやく。
どうして、神と呼ばれたものが、悪魔の神となってしまうの
傾いた理由を、グリに問うと。
『かつての神が、悪と呼ばれる。
時と、環境と、思惑。
それらに乗せられた、人の流れによって、なぁ』
神が……悪? 人? 流れ、思惑……?
つかめない言葉が流れて、私は逆に乗れずに戸惑うばかり。
なのにグリは、光への答えを見つけた時のような調子で、すらすらと言葉を送ってくる。
『そしてその人は、新たな神となり、次の神が現れるまで……マツリゴトを行う。その人が、悪と呼ばれる、その時までなぁ?』
……やめて。頭が、言葉を吸いきれないわ
想わず強い言葉で、グリの言葉を止めていた。
……グリは、なんとなく、男の言葉の意味を捉えているのかもしれない。
でも、それはたぶん、私にはわからないものなのかもしれない。
(光と闇だけじゃわからない、ものだったのよね)
――この闇に埋もれてしまった、かつての世界の複雑さ。
そこは、受け取る断片と言葉からだけでは、形を想い描くことすら難しい。
なぜなら……眼の前で出会うその断片すら、言葉と真実が、食い違うなんてよくあることだから。
(だから私は、想像することすら、恐ろしい)
足を進める理由でありながら、私は、胸に不安を感じることがある。
……失われた世界に、私がいた記憶は、ない。
――いつか、その複雑で入り組んだ世界に、もし私が踏み込んだ時。
(その場所に、私の居場所は、果たしてあるのだろうか)
この闇の世界で、グリに照らし出された形達のように、なってしまわないだろうか。
(……怖いのは、世界では、なくて)
普段は感じない、背中の寒気を、久しぶりに感じた時。
『だなぁ、俺も悪かったわ』
あっけらかんとした、いつもの軽い調子で、グリは私の願いを聞いてくれた。
ただし、と、受け入れるだけではない言葉を付け加えて。
『言えるのは……やっぱり、なぁ。お相手が、やっかいそうだってことかねぇ』
グリは、わかっている。
私が、案外に集中力が持たないものであることを。
だから、注意することも忘れない。
――本当に、うるさくて、おせっかいな、優しいあなた。
……そんなの、始めからわかってることじゃない
グリにだけ伝わる声で、ぽつりと伝えた後。
"……ありがとう"
そう、唇だけを、小さく動かして。
男に、挑発するような上目遣いを向ける。
言葉をよく知るための話し合いが、必要かしら
そう、男に問いかける。
だけど、わかってもいた。
男の問いかけに、私も、おそらく彼女も、答える術は持たないことを。
――それは、過去の世界。
かつての世界の、しかも男だけに通用する、言葉のものだから。
それが、この闇を払おうと、存在を愛そうと、悪意を認めようと、なんら私達に関わりはない。
男も、それをわかっている。そのはずなのに。
――男は、沈黙を保ったまま。
しかたなく、私は言葉を続ける。
わかりあえないと聞く、それら。
なのに、あなたは……その両方の特質を、持っていると?
神と悪魔は、対立するもの。
グリから。そして、かつて闇の中で出会ったものから、そう聞いたことがある。
私は、こう考えた。
――この世界を払う光が、神で。
――この世界を覆う闇が、悪魔で。
そんなことを想ったりした時期も、あったものだけれど。
……重ならないものを、あなたは、持っているというの?
光と闇が入り交じる、この、私達が存在する空間。
――わからない。
かつての世界で、この、不安定な場所に似たという男の扱いは……いったい、どんなものだったというの?
問いかけを続けた私は、ただ、男の視線を受け止めながら言葉を待つ。
問いかけを重ね続けても、どれが本題なのか、わからなくなると考えたからだ。
――なのに。
あの、わかりあいは大切だと想います!
横から飛んでくる、空気を読まない声。
……少しだけ、視線が下に向けてしまう。
『く、くくく……確かにぃ、わかりあいは大切だなぁ。仲良くしないとなぁ、セリン?』
(無視、無視よ……!)
気を取り直して、男へまた視線を向けると。
……必要は、ないだろうな
男は、あっさりと切り捨てる。
必要は、ない? 理解する、必要が?
神と悪魔の定義、だよ。
それこそ、俺が見てきた各国ですら、なに一つとして定まったものはないのだ
定まったものは、ない?
想わず大きく、私は疑問を返してしまっていた。
グリから教えてもらった、言葉というもの。
便利で、頭を整理しやすくする、このイメージ。
それは確かに、眼の前の現実とズレてしまうこともあったけれど。
(きちんとあるのに、定まっていない……?)
問いかけようか迷っていると、私達に言い聞かせるように、男は再び口を開いた。
ある救いの神が、他国では絶望と破壊の象徴であることなど、よくある話だ。
また、全てを洗い流す悪魔が、再生の道標の神であることなど、珍しくもない。
厳格で公正な神は、無慈悲で容赦ない悪魔と、重なりもする。
人を誘い堕落させる悪魔は、また、心を癒す神でもあるのだ
ふ、ふ、ふぇぇぇ???
……?
彼女の慌てる声が、隣で聞こえる。
私もまた、声は上げないまでも、内心に戸惑いを感じていた。
――同じ言葉が、違う意味と、呼ばれ方をする。
かつての世界では、そんなことも、起こっていたというのだろうか。
『……時間、ってのは、人と言葉を置き去りにしていくからなぁ』
ぽつりと、グリは独り言のように、そんなことを呟いた。
もしかすると、グリにはわかったのかもしれない。
重ならない男の言葉が、造りだした意味を。
……困惑しているようだな
私達の様子を見たのか、男はそう呟いて、眼を細めた。
必要はない、と言ったその口で、男はまた説明をし始める。
一つだけ言えるのは、その二つは、重ならないものではないということだ。
形や名前が変わろうと、見ている者、存在する世界、流れゆく時間で、いかようにでも変化する
(――時間。かつての世界で、流れていたという)
闇の中で、まれに見つけることがある、文字盤と針の小物。
グリが言う、様々な生物が住んでいたかつての世界で、その全てのものが影響を受けていた……不思議な概念。
(……それも、また、神と言えるのかしら)
抗うことができない存在を、神や悪魔というのなら、その時間こそが……などと、脱線しそうな頭をふる。
存在しているものが、変化するというのかしら
たとえ、実在していなくても、していてもだ
……しっかりとした形を得ない回答に、言葉が見つからない。
そんな私を見たからか、男はかすかに笑う。
――しているほうが、厄介だがな
実在、しているほうが?
その言葉の響きは、私に向けられたものではなさそうだった。
どちらかといえば、男自身へ……そう、自嘲のように、発せられたものだったように想えた。
私の問いかけに、男はさらに言葉を返す。問いかけへの、問いかけを。
神として崇められていた存在が、もし、悪魔とされれば?
悪魔だと信じていた存在が、もし、かつてどこかで神と呼ばれていれば?
まるで、ぐちゃぐちゃな、意味のない言葉の羅列。
――この闇の世界で、言葉まであやふやにされたら、寄る辺を失ってしまう。
(だから、私は)
支えを失うわけには、いかない。
吐き出すように、終わらせるように、私は一致しない話を一蹴する。
……そんな未完成の断片が、世界を形造りは、しないでしょう
言ってから、私は、ふとある疑問にかられた。
――そもそも、かつての世界は、それほど確かな世界であったのだろうか、と。
背筋とグリを持つ手が、一瞬、震える。
『セリン……?』
心配そうに呼びかけるグリ。
落ち着かせるため、空いた手を、もう一方の手に重ねる。
両の手で支える、ランタンの光。
……支えられているのは、私の方、なのかもしれないが。
単純な話だ。
言葉も、世界も、語る者の視界と認識により成り立っている。
つまり、神や悪魔、と名付けられた言葉が、どう認識されて意味をもつかは……その時々の、都合によるものでしかない
……そんな、勝手な、話
勝手だよ
勝手なのだ。
だからこそ……
こんな闇でも、真偽のわからない話を、
することもできるのだから
そこまで聞き、私は、男の真意を問うのを止めた。
……そうだ。最初から、私は男の生い立ちなどに興味はない。
(図らずも、男の言うとおりだわ)
神も悪魔も、関係ない。
語られる言葉がどんなものであれ、私達に見分ける方法は、ない。
あるのは……語る言葉の結末と、そこから生まれる光の輝き。
重要なのは――男の存在が私達にとって、ナンデ、あるかなのだから。
もう、やめましょう。
謎かけで、混乱させる気なのかもしれないけれど
話を打ち切るように、私は、男に疑いの念を投げた。
――おそらく、逆なのだろうと、わかっていながら。
この男は、危険な存在でありながら、邪悪ではない。
先ほどまでの会話から、それを認めなくてはいけないくらい、私もわかりはじめてはいる。
情報は、おそらく、誠実なもの。
かつての世界の一面を伝えようとするために、私達へ自らの話を伝えるために、必要な知識や考え方として話しているのだと理解はできた。
――だからこそ、私と彼女にとって、この知識は扱うことができないものでもあった。
(なにを言われても、言葉が踊っているようにしか、想えない)
この闇で出会った、眼の前の真実ですら、きちんとした形を信じられない私達。
なのに、男の語る言葉の本質だなんて……頭の中で形を結ぶことすら、わからないことなのだ。
――確かな、かつての世界を目指し、進んでいたはずなのに。
――そんな疑念が、胸の奥で怪しく蠢くのを、止められなかった。