7/7/2012 19:50 参道　リンゴ飴屋台前

　真人の背中に「何か」が激突した。体勢が崩れるが持ちこたえる。死角からその「何か」の手が伸びてくると、その手が真人のバッグの中から何かを取り出す。

　サイフだ。

　その財布から小銭を取り出し、唯は会計を済ませる。「はい、三百万円丁度！」リンゴ飴屋台の親父が威勢よく答える。唯はすぐに財布をカバンの中に戻し、リンゴ飴を受け取る。両手はリンゴ飴と猫のぬいぐるみでふさがった。

　突然の出来事にあっけにとられた。「不意打ちの全力疾走体当たり」と「手のふさがった真人の代わりの会計」でプラマイ…マイナスなのだが、ちゃらにしてあげた。

　クスクス笑いながら、奈緒がしたその発言には説得力がないようにも感じられたが、真人は神楽舞まで時間が迫っていたので、あまり気にも留めなかった。

　左手の手首につけた時計を見ている奈緒に真人が気付く。

　唯を「切り込み隊長」にして真人と奈緒は歩いていく。３軒隣の綿菓子屋台へ来る。直径20センチほど、長さ40センチほどのビニールの柱には、様々なキャラクターの絵がプリントされている。それが、ずらりと横に張った紐にかけられている。

　真人の身長は177センチほど、奈緒は160センチほどだ。頭一つとまではいかないがそれなりの身長差はある。
　奈緒はキャラクター物しかない袋の柄を選ぶのに頭を悩ませているようだ。中身は同じだというのに、生真面目だなあと真人は思う。

　選んだのは、日曜の朝に唯が欠かさず見ているアニメのキャラクターがプリントされた袋。屋台のおばちゃんがそれを一つ紐から取り外す。唯は猫のぬいぐるみを肘とわき腹に挟み、先ほどと同じように会計を済ませる。真人はリンゴ飴が財布につかないかハラハラしたが、無事会計が済み、わたがしは奈緒が直接屋台のおばちゃんから受け取る。

　３人は社務所へ向かって歩き始める。奈緒は袋の端を開き、ピンポン玉ほどの小さな雲の切れ端をちぎって、唯を見る。唯の右手にはリンゴ飴、左手には猫のぬいぐるみがぎゅっと握られている。

　奈緒の様子をうかがっていた切り込み隊長は、物欲しげな顔で、鯉のように口を大きく開けている。

　奈緒は先ほどの倍ほどの大きさの白い綿をちぎると、真人のほうを振り返る。真人の両腕はしっかりとクマを抱きかかえている。奈緒は一瞬考えたが、真人と目が合うと覚悟が決まった。

　拒否することもできない。ここで奈緒の優しさを拒否したらその優しさは誰が受け取るというのだろうか。真人は周りをサッと見回すと覚悟を決めた。

　奈緒は、白い塊を真人の口へと運ぶ。大きくちぎって正解だった。奈緒は心からそう思った。唯と同じサイズだったら、その指が唇に触れてしまっていたかもしれない。

　久しぶりに食べる綿菓子の味は、後味でしか甘さを感じることはできなかった。しかし、口の中で雪のように溶けた綿菓子は、奈緒の優しさが自分の中にしみこんでいくような、その優しさをしっかり受け入れられたような、そんな不思議で心地よい触感と甘ったるさだった。

　奈緒はようやく自分の分をちぎって口へと運ぶ。奈緒は自分の指先を見て、恥ずかしさがまたこみ上げてくる。

　真人は、無言になり少しうつむく奈緒の横顔を見ていたが、ふと忘れていたことを思い出す。

　言われてみると、確かにポケットが突っ張っていて、違和感を感じる。

　そう思っているとあっという間に社務所前まで来てしまった。あとは、奈緒を社務所裏口まで送るだけだ。奈緒と別れれば、神楽舞までその姿は見ることができないし、片付けやなんやらで、次に会って話ができるのはきっと明日以降だ。

　少し気恥ずかしいためにタイミングがぎこちなくなってしまったが、真人は今日一番奈緒に伝えたかった言葉をなんとか吐き出そうとする。

　奈緒の姉である志穂は、神楽舞の巫女の役目を中学生２年生の時から去年まで５年間こなしていた。勉強・スポーツ・容姿、全てにおいて中学・高校を通して並ぶ女子はいなかった。もちろん、神楽舞も初年度からその完成度は非常に高かった。
　そんな姉を持つせいか、奈緒は引っ込み思案で自分に自信がない。真人の目には、奈緒がそんな風に映っていた。

　真人はクマを抱きかかえたまま、よいしょっとクマを高い位置で抱えなおし、時計を見る。もうすぐ八時だ。

　奈緒は軽く手を振ると、二人に背を向け、社務所の裏口へと入っていく。

　戸が閉まると、なんとも言えない寂しさがこみ上げる。社務所とその外の空間が戸によって区切られてしまったこと、これから大舞台へ向かう奈緒の姿が相まって、何となく奈緒が違う世界に行ってしまったような例えがたい感覚を真人は感じたのだった。

　そんな真人の複雑な心境をすっとんきょうな発言でかき消す。

　真人はつぶやくように、唯にそう言い放った。恥ずかしいセリフを何とか言い切りほっとしたのか、クマのぬいぐるみが重さを取り戻したように感じる。それと同時に、くそまじめに奈緒に語りかけた先ほどのセリフを、この「荷物」を持ちながら言ったのかと思い返す。第三者からみればシュールなその光景を思い浮かべて、恥ずかしさがこみ上げてくる。

　奈緒の晴れ姿は一番良い場所でしっかり見なければ…そう二人は強く思っていた。