人の記憶を覗くこと。

それは、ときに自分の人生と向き合うことにもつながる。

触発され、感化され、自分を顧みる。

––––––––それが必ずしも幸せなことではないとしても。

場面が切り替わる。

今度は、夕方。夕日が沈みかけた空が、オレンジ色に染まっている。

帰宅中らしい鳴海さんと悠馬が、ふたり並んで歩いている。

ねぇ、悠馬

なに?

別れよっか

うん……

……って、は!?

ありがとう、頷いてくれて。それじゃあね

スタスタと先へ行こうとする鳴海さんの腕を掴んで、悠馬が隣に引き戻した。

どういうこと、いきなり。別れよっかってなに

頷いてくれたんだからもういいじゃん。離して

離さないよ。理由言ってくれるまで、納得出来るまで、離さない

理由言ったら離してくれるんだ?ただ、もう私たちは終わりだなって思っただけ。もう、言ったじゃん。離す約束だったよね

それだけで納得出来るわけ、ないじゃん。ふざけないで

ふざけてないよ、本気

本気、って、雪菜……

ねぇ、なんで離してくれないの?叫んじゃうよ?


本当に叫ぶ気なのか、すぅっと息を吸った。

それを、悠馬が手で口を塞いで止める。

……ふぁっ!?苦しいっ……

離すから、叫ぶのはやめて……


相当参っているらしく、語尾に力がない。

ありがと。それじゃ、帰るから

おいっ、待てって!!


ぴたりと足を止めて振り返る鳴海さん。……その瞳には、感情が全くなかった。

俺のこと嫌いになったの……?

さぁ?わからない

……それから、悠馬はもう鳴海さんを引き留めることはしなかった。




感情もなく歩き去っていく鳴海さんが、まるで夕日に吸い込まれていくような錯覚を受けた。

––––––––––––––––––––––––うっ、頭痛い。




……頭痛がしたということは、これで『忘れられない人』にかかわる『記憶』のすべてを覗いたということになる。


記憶を覗き終えたら、必ず頭痛が起こる。今回は、今までで一番ひどい。

眉間にしわが寄るのが自分でも分かる。


僕と合わせている、鳴海さんの瞳に怪訝そうな色が浮かんでいた。

……終わりました、手、ありがとうございました


終わったのにいつまでもこうしている訳にもいかず、僕は姿勢を改めた。

鳴海 雪菜

あっ、こちらこそ……。えっと、どこか痛むんですか?


やはり、気付かれている。

大丈夫です。終わった後はいつもこうなるので

鳴海 雪菜

そうですか……。えっと、それで……?

……話さなければいけないのだ、あれを。

みたもの全てを、包み隠さず。

だってこれは、全て鳴海さんの記憶。本人が思い出せずにいようが、それは確かに鳴海さんのものなのだから。

僕は覗かせてもらう権利をもらっただけ、一時的に。

それを伝える義務があるんだ、分かっているけど……。

さすがにあれをありのまま話すなんて……と、躊躇わずにはいられない。


あれではあまりにむごいではないか。

……ここで迷う権利すらないことも、分かっているけれど。

じゃあ、ありのまま伝えるか?


名前を教えて終わり……という手もあるけど、それが引き金になって、すべてを思い出す可能性もある。

だったらいっそ、最初から話してしまったほうが……。




じいちゃんは、こういう時どうしろとか、教えてくれなかったな。



自分で学べ。よく言われたことだけど、これは一体どうすればいいのか。

鳴海 雪菜

……あの?

僕がなにも話さずにいるからか、鳴海さんが顔を覗き込んでくる。


いつの間にか俯いていたらしい。ハッと顔を上げる。

あっ、すみません。僕、考え込むと俯く癖があるみたいですね……


あはは、と空笑いをする。明らかに不自然だ。

……もし、よろしければの話ですが、また後日改めてということは可能ですか?

なんて提案だ。明らかに不審がっているのがわかる。いけない、これではいけない。記憶屋として、失格だ。

鳴海 雪菜

あぁ、長かったですもんね。すみません、急かすようなことしてしまって……


けれど鳴海さんは、この言葉をあっさり受け止めてくれた。

えっ、いいえ、というか、いいんですか!?

鳴海 雪菜

私には勝手がわかりません。どういう風に記憶をみられたのか、ひとつもわからないですから。整理しなければいけなかったりするんでしょう?

時間も遅いですし、と窓の外に目を向ける鳴海さん。

日がとっぷり暮れて、随分時間が経ったことを物語っている。

鳴海 雪菜

明日、また出直しますよ

明日……。あっ、午後からということでよろしければ……


明日は、午前に別の依頼が入っている。

記憶の長さによって色々あるから、一件の依頼に半日使うようにしている。

鳴海 雪菜

えぇ、大丈夫ですよ。それでは、今日はありがとうございました。失礼します


コロ、ばいばい、と猫に手を振って、鳴海さんは帰って行った。

……コロって名前つけたんだ。

……覗いた『記憶』を、本人に返さないまま終わってしまった。

これじゃあ、相当な覚悟をしてこの店を訪れた鳴海さんに、あまりに失礼だ。

あーもう!!じいちゃん、どうすればいいんだよ……

思わず頭を抱えてしまう。

話しても話さなくても、傷つけてしまう。……わかっている。

落ち着いて、整理しよう。

まず、悠馬と鳴海さんは仲のいい恋人同士だった(と思う)。

藤谷という女子の存在を気にした鳴海さんが悠馬に気持ちを確かめたとき、悠馬は藤谷さんを『嫌い』だと言った。

けれどそのあと、『嫌いになるわけない』と、藤谷さんの前ではまったく別の言葉を吐いて……。


それを僕がみたということは、鳴海さんもみていたわけで。


別れを切り出した理由は、そういうところにあるんだろう。


覗けるのは、記憶だけ。触れた対象、なにかを感じた対象がわかっても、それを受けて鳴海さんがどう感じたのか、なにを思ったのか、それはわからないのだ。


……あの感情の全くこもっていない瞳。


記憶を忘れた理由は、ショックを受けて、か?


話したら、お互いすっきりするかもしれない。

って、僕がすっきりするために話してどうするんだ。

全てを話そう、明日、全部。

それから、記憶をどう受け止めるかを決めるのは、鳴海さんだ。


僕があれこれ悩んだって始まらない––––––––。

日を改めたことを後悔した。やはり僕はまだ、全然駄目だ。





『記憶屋』としての覚悟を、改めて試されているような気がした。

––––––––––––––––それでは、以上になります

ありがとうございました


午前の依頼が終了した。

次は、鳴海さんだ……


テーブルの上を整理しながら、ふっと思い出す。

そういえば、時間決めなかった……

何時に来ていいかわからなくて困っているかもしれない。



電話してみようか。

いや、でもな……。





迷っているうちに、昨日眠れなかった所為か、だんだん睡魔が襲ってきた……。

あれ……


やばい、僕、寝てた……。

体を起こして、時計を確認する。

一時半、か。もしかして鳴海さん来たかな!?

僕が寝ているのをみて、鳴海さんは帰ってしまったかもしれない。

僕、なにやってるんだ……

とりあえず、外をみてみよう。


そう思って立ち上がろうとしたとき、机の上に見覚えのない封筒があることに気付いた。

……なんだろう?

手に取り、封を切る。

手紙を開くと、見覚えのある字でこう書いてあった。

きっと、話しにくい記憶だったのでしょう

……そっか


人の記憶を覗いてきたんだ、察しはいい方だと思う。

だから、分かる。

鳴海さんは、聴かない選択をした。

知らないままで、思い出さないままでいる選択を、したのだ。

でもいいんだろうか、こんなことがあって。

腑に落ちない。人に記憶を知られたまま、野放しになんて出来るだろうか。

……やっぱり、電話してみよう。このままじゃ駄目だ

手紙をたたもうとしたとき、端のほうに小さく何かが書いてあるのをみつけた。

……嘘、だろ?

目を疑った。そして、自分の記憶に小さく触れるなにかがあった。

ぽたっと音がして、視線を落とすと、涙が滴り落ちていた。

なんで、こんなことが……

手紙の端、明らかに書きかけだとわかる、『悠馬、』という文字は、そのちいささの割に、僕の心を大きく揺らした。

最終話へ、続く。

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