人の記憶は、すべて脳に残っているというわけではない。
人の記憶は、すべて脳に残っているというわけではない。
けれど僕が『覗く』と、その人の身体に染み込んだ習慣や経験などに触れることもできる。
すべて忘れてしまうわけではない。けれど脳は万能ではない。
記憶の断片と、感覚をあわせて、僕は依頼主の記憶に初めて触れることができるのだと思う。
--------始まった。
記憶を『覗く』という表現は、実はあまり正しくはない。
……僕が自分のことを揶揄するために使っているようなものだ。
--------仕事にして、最近は受け入れてくれる人も増えたとはいえ、やはり好きだと断言できるようなものではないと思うから。
実際には、記憶を『観る』という表現の方がしっくりくる。一本の映画を観るような形でその人の記憶に向き合うことになるからだ。
事前情報と関係のない場面は、早送りのように流れていく。
社会人生活、就活、大学生活--------どんどん遡っていき、中学生活の場面で止まる。
席替え席替え!
……学校?
学生服を着た、学生たち。……いや当たり前だけど。
うるさいよ、ユウマっ
髪を結んだ女子生徒が、騒いでいる男子の頭をぺしっと叩いた。
うわっ、雪菜、叩くなよ!
あ、あれが鳴海さんか。これまでの映像からは想像できないような明るい少女だ。
--------やはり、この時代になにかがあったのだ。
ユウマがうるさいからいけないんでしょ。私たち委員なんだから、席替え進行しないといけないのに
わかってるよ。それじゃ、森山と笹木、じゃんけんしてー
はいはーい
くじ引きの順番を決めるじゃんけん。森山、と呼ばれた女子が勝って、くじ引きが始まる。
引いたくじを鳴海さんが受け取って、不正防止だろうか、黒板に名前を記していく。
ユウマと呼ばれた男子の名前は、『悠馬』と書くようだ。もうひとり下の名前だけ書かれている人がいるから、名字が同じとかそんな感じだろう。
じゃ、席移動開始!騒ぐなよ
悠馬が言っちゃう!?
鳴海さんの文句を無視して、自分も机を移動していく悠馬……。
……呼び捨てで、いいのだろうか。鳴海さんは鳴海さんなのに。
誰に咎められるわけでもないことで悩んでいる間にも、『記憶』は進んでいく。
……まじか
全ての生徒が席を移動し終えた。
むすっとした悠馬の隣には……鳴海さん。
……嫌そうな顔しないでよ、それ私の表情
今とは印象が全く違うな、鳴海さん……。
これでよく、かまいません、とはっきり言えたなぁ。
って、こんなこと考えて、鳴海さんに失礼じゃないか。頭を振って、思考を切り替える。
忘れられない相手。
どうやって見つければいいんだ?
一番初めに登場したのが悠馬だから、可能性が高いのは悠馬、だけど……。
あまりに安直すぎやしないか、悶々と頭を捻る。
席替え終わったかー?
と、まだざわついた教室に担任が入ってきて、室内が静まり返る。
そうかと思えば、映像が早送りされ始めた。
次に現れたのは、夕暮れの教室。放課後だろうか。
教室には、鳴海さんと悠馬がいた。
……悠馬で、決まりだろうか。
悠馬、さっきは叩いてごめんね?
いいよ、気にしないで。それにあれ、手加減してたし
当たり前でしょ!……付き合ってないフリ、してるだけなんだからさ
そうだな……
付き合ってないフリ……。ということは、二人は恋人同士なんだな。
なぜ周りに付き合っていることを隠すのだろうか。語られなければわからないから、この疑問は置いておくとして……。
決まりだろう。“忘れられない人”は、悠馬だ。
それとさ、悠馬。……席隣になれてうれしかったよ?
っ!?……なんか珍しいな、雪菜がそんなこと言うなんて、なにかあった?
……えっ、えーっと……
なんかあるなら言えよー
いや、うん、わかってるよ……
そういえば、同世代の人の記憶を覗くのは初めてだ。
プロフィールに書いてあった年齢が僕と同じものだったのを思い出した。
教えて、気になる
……嫌いにならない?
え?なるわけないよ
……最近悠馬さ、華子と仲いいよね
華子……。藤谷か?
そうだよ
あー……。話すは話すけど、でも、それだけだよ?
そうだよね、分かってるけど!
……ごめん
いや、大丈夫。雪菜が心配してるようなことにはならないよ。俺、藤谷、嫌いなんだ
へ?そうなの!?
そうだよ。だから、心配することなんかない
……そっか、うん、分かった
よし。じゃ、帰ろう
うん!
……華子って誰だ?悠馬が仲良いフリをしてる、女子?
このくだりを僕がみることに、何か意味があるのだろうか。
そう思った時--------
--------少し離れたところから、足音が聞こえた気がした。
悠馬君!昨日のあれ、どういうこと!?
早送り。また、場面が切り替わった。
今度は、新しい人物の登場。昨日のあれ……?
なに、なんのこと!?
藤谷……って、さっきの記憶に出てきた、例の女子か。
……ドロドロとした『記憶』なのだと、ようやく悟る。
この記憶をみているということは、つまり視界に入っていないだけで、鳴海さんはこれをどこかから見ているということになる。
どこだろう……。探すにも、焦点は教室にいるふたりに合わせられていてどうにもならない。おそらく教室の外からこの光景をみて、会話に耳をそばだてているのだろう。見つけるのは諦める。
昨日の放課後、雪菜と二人で私の話してたよね?
気のせいかと思っていたが、走り去っていくような足音が聞こえたのを思い出した。
あれは、この少女のものだったのか……。
聞いてたんだ
うん、悠馬君を探してたから
その時、悠馬君私のこと嫌いって!!
あんなの、嘘に決まってるよ。……あの場を乗り切るための、嘘
……ほんとに、嘘だよね?
あぁ、嘘だよ
良かったー……。不安になっちゃって、私
…………嫌いになんて、なるわけないだろ
––––––––この台詞さっきも聞いた。
どうやら、悠馬は最低な男子らしい。どれが本音なのか全く読み取れない。
すこしずつ状況が掴めてきた。ふたりの女子にいい顔をする男子。どちらかが本命なのだろう。
––––––––結論は、もうみえているようなものだ。
そしてまた、記憶の早送りが始まった。
第九話へ、続く。