人の記憶を覗くこと。

それはきっと、人生に触れ、その人の一端を知り––––––––

––––––––人の人生の一端を、自分も背負う覚悟が必要なことだ。

鳴海さんに電話をかけた。呼び出し音が鳴るたびに、心拍数が上がるような気がした。


……出なきゃいい、なんて、そんなことばかり考えてしまう。

鳴海 雪菜

はい、もしもし

けれどしっかり、応答があった。……息を吸い、吐く勢いそのままに僕は名乗った。

記憶屋です

鳴海 雪菜

あっ……

息を呑むのが伝わってくる。

けれどすぐに、

鳴海 雪菜

どうかされましたか?

平然を装うように、質問がきた。もしかしたら、電話が来るかもしれないと、心の準備をしていたのかもしれない。

まず、僕は謝らなければいけません

……あんなに酷いことをした記憶を、失くしてしまっていて、申し訳ありませんでした。そして……酷い裏切り方をして、本当にごめんなさい

鳴海 雪菜

……はい

許す意味の、はい、ではないだろう。こちらだって、許されるための謝罪をしたつもりはない。

僕は、お互いに記憶を取り戻した状態で、もう一度お話ししたい、と思っています

今度は、なんの返事もない。僕は黙って、待つ。

……心拍が受話器の向こうまで聴こえていないか心配だった。

鳴海 雪菜

……私は今、ただただ驚いています

……はい

鳴海 雪菜

あの頃の怒りとか、喪失感とか、苦しみのような感情を、記憶と一緒に全部、取り戻しました

……はい

彼女はすべてを思い出していたのだ。

……そうでなければ、あんな手紙は。



『悠馬、』、あれは、記憶を取り戻していない彼女には書けないものだ。
そして、あの言葉は……

鳴海 雪菜

でも、なんというか、時間がその濃度を、薄めてくれたような気がするんです

鳴海 雪菜

私は……貴方の所為で、傷つきました。でも、貴方のおかげで、失っていたものを取り戻せました

……おかげ、なんて

……僕に向けてのものだった。

鳴海 雪菜

おかげですよ。……記憶屋さんが、悠馬じゃなかったら、私はきっとこんな風に落ち着いていられない。あの頃の悠馬の像だけを心に取り戻して、憤って、怒って、泣いて……ずっと、受け入れられないままだったと思うんです

……そんなこと


声が詰まる。うまく、声が出せない。

––––––––悠馬が自分だと、どうして気づけなかったのか。

なぜ、忘れてしまっていたのか。


……名前が同じだということに、すこしの違和感も覚えなかったのは、一体、なぜなんだろう。

湧き出して止まらない後悔の波が、鳴海さんの声を聴くたびにどんどん寄せて来る。返ることはない。ただ、寄ってくる。

鳴海 雪菜

感謝、とまで言い切ることはできません。許すことも……きっと、できません

鳴海 雪菜

でも、なんというか……時効、ですよ。それに、私は今の記憶屋さんが優しい人だということを、もう知っています。あの頃の、表面だけの優しさじゃなくて、もっと、深いなにかを持った人間です


断言されて、僕はいよいよ––––––––涙を、零した。

でも、僕は、鳴海さんを––––––––雪菜を、傷つけた。僕が記憶を覗いたことで、鳴海さんをまた、傷つけました。優しいなんて、そんな、僕にはいちばん不似合いな言葉です

鳴海 雪菜

もし、記憶屋さんが昔のままなら、今こうして会話することも出来ていません

鳴海 雪菜

きっと昔の貴方なら、思い出すこともなくて、私だけあの記憶を取り戻して、また昔のように貴方を恨んだはず

鳴海 雪菜

蓋をしたまま、その蓋の存在にすら、昔の悠馬のままなら、気づかなかったと、思う……


それほど、昔の自分は最低で、矮小で、酷く彼女を傷つけたんだろう。


静かに、その言葉を受け止める。

鳴海 雪菜

でも貴方は思い出して、こうして電話してきてくれました。だから私は、あのことを許せはしないとしても、でも……今の貴方のことなら、許せます

矛盾しているような、けれどそれはどこまでも寛大な。

……ありがとう、ございます

鳴海 雪菜

……記憶屋さん。貴方の元へ、私よりもっと不幸ななにかを抱えた人がやって来る時がくると思います。そのとき、思い出してください。私みたいなお客は、過去と向き合う覚悟を持って、貴方を訪ねます。傷つくとわかっていても、その覚悟も決めて、貴方に記憶を託すんです

鳴海 雪菜

だから昨日みたいに、打ち明けることを躊躇わないでください。その記憶は全て、お客のものです。そのことについては、私すこし怒ってます

鳴海 雪菜

……私も置き手紙で済ませようなんて、逃げるようなことをしてしまったので同罪ですが

語尾に笑みを含んで、彼女は言った。



––––––––そうだ、僕は、依頼主の、お客様の記憶を託される立場にいるんだ。

その記憶と向き合い、自分の内に抱える覚悟をしなければならない。

何年やってるんだ、僕は。今更ながらに僕は、いちばん大切なことに気付かされた。

……はい!!

精一杯の、誠意を込めて、僕は応えた。

鳴海 雪菜

……お話しできて、よかったです

こちらこそ、本当に、ありがとうございました

すこし名残惜しいような、後ろ髪を引かれるような、そんな空気が漂う。

鳴海 雪菜

……また、コロに会いに行きます

……っ、はい、ご入用の際にはまた、遠慮なく、記憶屋をお訪ねください

鳴海 雪菜

……他人行儀っ

すっ、すみません……

鳴海 雪菜

って、私、お客でした。あははっ

鳴海 雪菜

……それでは、失礼します

……はい、失礼いたします


受話器を置く。心拍がすこしずつ、落ち着いていく。

––––––––もし、なにも繕う必要のない、昔の昔、その昔の屈託無い関係に戻ることができる日が来るなら。

そのときは、もっと、いろいろなことを話せたらいい。

すぐに戻れるとは思っていない。よそよそしく、なかなか相容れず、それでも探りながらすこしずつ。

昔の自分は––––––––能力を抑えられず、拗ねていた時期があった。

幼稚な拗ねではなかったが、じいちゃんからしたら、ただただ幼かったのだろうと思う。

今でも覚えているじいちゃんの言葉のひとつ。

俺はな、お前が人を傷つけるだけだと思っていたら、お前を周りと同じ人間だと言ったりしない。お前が人を傷つけることに傷つくことができる人間だから、同じだと言うんだ

……鳴海さんとのことがあった時の感情を、僕は取り戻している。

ずっと、なにかを吐き出したいような気持ちだった。重く苦しく、心臓が嫌な音を立てて、気を抜いたら破裂してしまいそうな痛み。


そのとききっと、僕も傷ついていた。

……じいちゃんは僕の様子に気づいても、多くのことを言わない人だった。



だから僕は変わらなければならないと、強く思った。叱責よりもなによりも、じいちゃんの視線が、折々のなんでもないような言葉が、僕の一部を作り上げたのだ。そしてよっぽど、心に響いた。

––––––––じいちゃん、僕、まだまだだけど、大切な記憶と、再会できたよ。失った時間は取り戻せないけど、そのぶん、きっと誠実に向き合える


今日は報告しなきゃいけないことがたくさんある。昨日はなにか後ろめたく、じいちゃんと向き合うことすらできなかった。

『記憶屋』としての自覚、覚悟。
……傷つけてしまった相手に、たくさんのものをもらった。



自分の『記憶』を同時に取り戻し、僕は確かに、今までより『記憶屋』として、まっすぐ『記憶』と向き合えるようになったような、そんな気がした。

にゃあ~

……コロ、か

五月の陽気に包まれ、猫が伸びをしている。僕もつられて、ぐうっと伸びをした。

……さて、と

立ち上がり、息を吸い、吐く。




いつもよりすこし澄んだ空気が、胸を、心を、満たした。

記憶屋でございます。



あなたの大切なものを探したり、失くしものを取り戻すお手伝いをさせていただきます。



未熟者ではございますが、ご入用の際にはどうぞ、記憶屋へお越しくださいませ。

誠心誠意、あなたの記憶と向き合うことを、お約束いたします。

MEMORIAL MAN
Fin.

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