鳴海 雪菜

この子、名前なんていうんですか?

しゃがんだ鳴海さんが、猫の喉をくすぐりながら尋ねてきた。

さぁ……。近所の猫なのは知っていますが、それ以上のことは僕もよくわからなくて

鳴海 雪菜

そうなんですか……。私、名前つけてあげたいです

ぜひ、つけてやってください。きっと喜びますよ

鳴海 雪菜

あ、その……動物の記憶って、覗けたりしないんですか?

やってみたことはあるんですけどね、子供の頃。できませんでした

鳴海 雪菜

そっか……。すこし、安心です

え?

鳴海 雪菜

動物まで記憶をみていただかないと解決できない問題を抱えていたら……嫌なので。私の個人的すぎる望みですけど

……そんなこと、今まで考えたこともなかった。

当たり前のことだけれど、自分はいつだって覗く側。侵す側。荒らす側。

覗かれ、侵され、荒らされる側の気持ちは想像することしかできない……言い訳がましいが、その想像すらおこがましいような気がしてその思索には、制限をかけてきた。

鳴海 雪菜

……でもやっぱり、ちょっとだけ、残念です

その素直な吐露に、思わず苦笑する。

彼女は、事前にしてきた覚悟が、依頼内容からしても、これまでの依頼人の方とは一線を画す。

だからだろうか、記憶を覗かれることに、あまり抵抗がないように……みえる。

そんなことはないとわかっている。ただ、それを表面に出さないだけだと。

それでも、僕の心は、すこしだけ、穏やかになる。

店を始めたばかりの頃は、受け入れてもらえないことばかりだったから--------。

依頼、来ないなぁ……

呟いた言葉は、もはや口癖。

ひっそりと始めたのだ、すぐに依頼が来るわけもなく。

わかっていても、なかなか納得は出来ないけれど。

記憶屋さん、記憶屋さん

はっ、はい、記憶屋です!!

店の入り口の声から声が飛んできて、驚いて大声で返事をしてしまった。

……記憶屋さん、と呼びかけられているのがほんとうに僕なのか、正直半信半疑だった。おかしな話だけれど。

記憶屋さん、記憶を覗けるんだろう?

え、えぇ、そうです

それなら、孫の探し物を手伝ってあげてくれないかねぇ

えっ、本当ですか!?

話をトントン進めていくおばあさん。

それは……初めての、依頼だった。

店を始めてから、半年近く経った頃の出来事だ。

うん?嘘なんてつかないよ。なにか大事なものらしいんだけど、見つからないって困ってて。助けてあげてくれるかい?

もちろんです、お引き受けします

迷う理由なんて、断る理由なんて一つもなかった。

おばあさんは、以前からこの店の存在が気になっていたという。嬉しくて、僕は何度も何度もお礼を言った。

そして次の日、おばあさんがお孫さんを連れてやって来た。

こんにちは……

みく、記憶屋さんの言うことをよく聴いて、探し物を見つけるんだよ

えっ、おばあちゃん帰っちゃうの!?

なぁに、すぐ戻って来るさ

それじゃあね、とおばあさんは去って行ってしまった。

不安そうな表情のまま僕の方を向く、“みく”と呼ばれた少女。

さらに、疑いの視線も加わって、なんとも複雑な表情だった。

記憶を覗けるなんて、怖い

そして、こう言われた。はっきりと。

おばあちゃん、なんでこんなところに連れてきたの……。これで見つからなかったら、記憶覗かれただけで大損。嫌だよ……

……嫌だよね、そりゃあ

そう思うなら、なんでお店なんて開いたの?

少女は、痛いところをグサグサと突き刺してくる。

僕の、じいちゃんの提案で

記憶屋さんの意思じゃないの?

最終的に決めたのは、僕だよ

……やっぱ怖い。でたらめ言って、お金取りたいだけじゃないの?

お金は、取らないよ

嘘、そんなの信じられるわけないよ。じゃあどうやってお店やっていくの!!

まさか両親の遺してくれた資金が潤沢だからだなんて言えるわけもなく。

きっとこの時の僕のおどおどした態度も、彼女の憤りに拍車をかけていたんだろう。

君が心配することじゃないよ、落ち着いて話を聴いてくれないかな……?

無理。これから、記憶を覗かれるんだよ?プライベート晒しまくり。女の人ならまだマシだけど、それでもかなり妥協してのことだもん。あなたは男の人だから、余計に怖いの

……やめてもいいんだよ?僕に、引き留める権利はないから

それでも!!!

と、突然大声を上げる少女。

キッと目を見開いて、少女はこう言った。

こうまでしてでも探さないといけない、大事なものなの!

じゃあなんで文句ばかり……という本音は飲み込んだ。

男に、少女がプライベートを晒すなんて不安でしかないはずだ。

その恐怖は、僕には想像すらできない。

それを紛らすために、ここまで言ったのだろう。……そうでも思わないと、僕の心が折れそうだった。

少女の探し物は、母親の形見だった。

父親は、生まれてすぐに事故で亡くなったという。

叫び通してすこし落ち着いたあと、話をしてくれた。

顔も覚えてない、と少女は小さく笑った。

母親も、後を追うようにして三歳の頃に亡くなった。母親の顔も、かろうじて覚えているだけだという。

母親は、少女に自分の大切な腕時計を託した。実際には、あのおばあさんが預かっていて、時期が来たら渡して欲しいと言い遺していったそうだ。

なによりも大切にしていたその形見の腕時計を、なくしてしまったという。

今とは少し違う方法で、少女の探し物を見つけ出した。……人の記憶を覗くことは、とても久しぶりだった。

場所を教えて、そこを探してもらい、見つけたという連絡をもらった。

少女は、聴こえるか聴こえないかというくらいちいさな声で、ありがとう、と言った。

僕のことを受け入れてくれたわけでも認めてくれたわけでもないことはわかっていたけれど、僕はやっぱり、嬉しかった。

初仕事は、そんな風にして終わったのだった。

少女が言い放った言葉は、電話などでも何度も言われたことだ。

プライベートを覗かれるのは恐ろしい、どうにかならないのか、金目当ての詐欺なのでは、と、何度も何度も、言われ続けていた。

最近はすこしずつ噂が広まってくれたのか、もう無くなったけれど。

今ではお金をいただくようになった。すこしずつ依頼も増え、ある程度の評判が立ち、怪しくはないという噂が広まったおかげで、逆にお金を取らないと不自然な状況になった。

いつまでも資金が残っているわけではない。生活していかなければいけないのだ。……それでもそこまで大金ではない、と思う。

……さん、記憶屋さん、

鳴海 雪菜

記憶屋さん?どうかされましたか?

えっ、あぁ、すみません、大丈夫です

そういえばさっきも似たようなやり取りをしたな、と思いつつ、自分も鳴海さんの隣にしゃがむ。

にゃぁー、にゃっ

喉を撫でると気持ちよさそうに鳴いたが、肉球をぷにっとすると、にゃっと手を叩かれた。

鳴海 雪菜

あははっ、猫パンチだ

猫パンチ!?確かに

鳴海さんの言葉の選び方が面白くて、思わず笑ってしまった。

鳴海 雪菜

あ、記憶屋さんが笑ったの初めてみました

え?

鳴海 雪菜

営業スマイル、みたいな笑顔じゃなくて、自然な笑顔、です

……すみません

鳴海 雪菜

なんで謝るんですか!?

……表情が硬かったのかな、と。まだまだですね、僕

鳴海 雪菜

ふふっ、変なの

確かに、こんな風に自然に誰かと会話して、自然と表情が緩む感覚は、久しぶりだった。

思えば、そう言う鳴海さんの柔らかい笑顔も、やっとみることができたような気がした。

第七話へ、続く。

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