ある日のこと。
ひかりが、いつものように元気よく事務所に入ってきた。
ある日のこと。
ひかりが、いつものように元気よく事務所に入ってきた。
みんなおっはよー! あ、八葉ちゃんおはよー!
ひぅっ……お、おはようございます……
ちょうど一番近くにいた八葉が、びくびくした挙動で頭を下げた。
そそくさと視線を逸らし、すぐに離れていってしまう。
あ、あのあの、プロデューサー、私、レッスンに行ってきます
か細い声でそれだけ報告して、ひかりの方を見ることもなく、出ていってしまった。
…………
ひかりは何か思うところがあったのか、しばらく無言で立っていた。
それから、僕のところにスタスタやってくる。
めずらしく真顔だ。
……ねぇ、プロさん。もしかして八葉ちゃんって………私のこと避けてたり、しない……?
ああ……大丈夫だよ。八葉は誰にでもああいう感じだから
ひかりさんだけではなく、八葉さんは、どうやらかくれてみんなのことをみまもるのが、好きみたいです
お盆を持って歩いていた楓も、フォローしてくれる。
むむむ、そうなのかなぁ……?
ちょっと前に、唯ちゃんの取り合いっこしちゃったし
もしかして、それが原因で嫌われちゃったのかも……
ひかりは人の気持ちに敏感だ。
八葉がいつも通りに見えても、ひかりにとって心に引っかかってしまうのかもしれない。
私って誰にでもガツガツいっちゃうから……。きっとそういう距離感が苦手な人もいるのかなって……
もし避けられてたりしたら、ちょっと寂しいな……
ひかりさん……
がくりと頭を下げたので、ずいぶん落ち込んでしまったように見える。
楓も心配げな表情だ。
ひかりさんには、わたしがいま――
決ーめたっ!
おもむろにがばりと顔をあげたひかりは、明るい顔に戻っていた。
私、八葉ちゃんともっと仲良くなりたい! 深くお話してみて、たくさん交流してみたら、きっと仲良くなれるよね!?
う、うん。そうかも?
よぉおしっ! 八葉ちゃんの攻略、頑張っちゃうんだからねー!
絶対仲良くなるぞぉー!
ひかりの何かに火がついてしまったらしい。
瞳に炎をメラメラとたぎらせて、拳を突き上げた。
……そうですか。がんばってください
いつもの無表情なのだけど、じゃっかん楓の瞳の色があやしくなっている。
これはもしかして……ヤキモチなのだろうか。
あ、か、楓。僕たちもひかりに協力してあげようか?
……はい。おてつだいします
わぁっ、ありがとかえちゃん、プロさん! ああもう大好きだよー!
事務所のアイドル同士が仲良くなるのはいいことだけど。
ひかりと八葉か。楓の反応も気になるし。
はたして大丈夫だろうか……?
……。
…………。
* * *
後日の朝。
八葉が毎朝ジョギングをしているコースに、僕、ひかり、楓の三人でやってきた。
ひかりに協力すると言ったので、八葉のジョギングコースに連れてきてやったのだ。
わぁっ、ぷ、プロデューサーさんっ!?
走り込み途中の八葉はとてもびっくりして、のけぞっていた。
か、楓ちゃんに、ひかりさんまでっ!
おはようございます、八葉さん
えっへっへーおはよ、八葉ちゃん♪ 毎日精が出るね!
はうっ、お、おはようございますぅ……!
ジョギングの途中なので、では私はこれで……っ
八葉はすごい速さで逃げ出してしまった。
あぅっ
八葉ちゃんと、ぜ、全然お話できてない……! すぐ逃げられたぁ!
もういちど、ここをとおるのを待ちますか?
――ううん
ひかりはキッと前を見据えた。
私、足には自信あるんだよね。追いかける! 一緒にジョギングしたら、仲良くなれるかも!
言葉の途中にはもう走り出していた。
ま、待ってくれひかり!
僕も心配になって、ひかりの後を追う。
足に自信があるというのは本当らしい。速い。背中を追いかけるので精いっぱいだ。
待ってぇ! 八葉ちゃん待ってぇ! 一緒にはーしーろーうーよー!
わぁっ、え、な、なんで追いかけて……っ!?
プロデューサーさんも!? わ、わぁああっ! こ、来ないでくださぁぁい!
追いかけたり陰から見るのは良しとしても、追いかけられた経験はあまりないようだ。
八葉もさらにスピードを上げてしまう。
なんで逃げちゃうのっ? 一緒に走ろうよ~!
追いかけてくるから、逃げたくなっちゃうんですぅ……っ!
ちょ、ちょっとこのペース、年齢的にキツイ……
ちなみに楓は、最初からついてきていない。
八葉ちゃん待って! 待て待てこのこのぉ~! あはははは!
ひかりに完全に火がついている……!
絶対に追いついて、むぎゅーってする!
抱きっ!? な、なんでですかぁっ!?
八葉ちゃんのことむぎゅーってしちゃうんだからね!
鬼につかまったら、鬼に言うことに従ってもらいます!
いつから鬼ごっこになったんですか!? あ、わわわ……わ、わんわん、がおーー!!
わんわんわんわん!
効いてないですぅ……!
二人とも足が速い上に、体力が無尽蔵にあるタイプである。
――謎の鬼ごっこは、数キロにも及んだ。
ひかりは楽しそうに哄笑しながら、全く疲れ知らずである。
逃げる八葉も体力に果てがない。
放っておいたら、この二人、一日中続けられるのではないだろうか。
僕はもう、ダメだ……
ひかりと八葉の背中が遠くなっていく……。
限界を感じて、僕はばたりと倒れ伏した。
……。
…………。
* * *
途中で体力が尽き果てて、ひかりと八葉を見失ってしまった。
のそのそした足取りで元の場所に戻ってみると、ひかり、八葉、楓、三人ともそこにいた。
あ、ああ、よ、よかった。鬼ごっこは終わったんだね……
はい! さすがに走りすぎました!
あれからどれだけ走り続けていたのかは、おそろしくてあまり聞きたくない。
八葉、ランニングハイになってるし……。
逃げてしまってすいませんでした! ひかりさん
えへへ~、いいんだよいいんだよ。私も怖がらせちゃってごめんね?
なぜかひかりと八葉が仲良しムードになっている。なぜだ。
もしかして、ランニングハイになった八葉に、唯一立ち向かえる人物なのか……
いっしょに走ってたら、すごく楽しくなってきてしまって!
気持ちよくて、こういうのいいなって!
ひかりさんと、また一緒にジョギングできたら嬉しいです!
……ああ、そういうことか。
一緒に走って感覚を共有し続けたことで、二人の間に仲間の絆みたいなものが生まれたのだ。
結果的に、ひかりが猛烈に追いかけ続けたのは正解だったらしい。
えへへへ、八葉ちゃん可愛い~!
ひゃあぁ! それは恥ずかしいです~! たくさん汗かいちゃってるので……!
だいじょーぶだいじょーぶ、私も同じくらい汗かいてるし!
八葉がひかりに抱きしめられている。
……楓は大丈夫だろうかと、ちらりと楓の方を見る。
たくさんはしって、おつかれだとおもいます
つめたいお茶をごよういしておきました
わぁっ、ありがとうかえちゃん! 大好き!
ありがとうございます、楓ちゃん!
水筒のお茶をひかり、八葉に渡す楓は、にこにこ嬉しそうにしている。
和やかなムードに、僕もホッと笑ってしまった。
ひかりの、仲良しになる能力は本当にすごいな。
この三人には、全然心配なんていらなかったみたいだ。
“Happy birthday!”高花ひかりちゃん!